ハウンドの裁き

 半分以上の街の男たちが集まっていた中央広場では、群衆が熱狂しいよいよ暴動が起きそうになっていた。号令台に立つ保安官は大声でとりあえず待て、もう少し待てと繰り返し、何とかその場を取り繕っていた。


「くそっ、まだなのか……。」

 保安官が困り果てているところへ、その場を離れていた彼の仲間がブラッドリーを連れてやってきた。

「お、おお……神父様、お待ちしておりました」

 号令台の上で保安官と共に群衆に罵声を浴びながらも、ブラッドリーは教会で信者の前に立つ時と変わらぬ表情をしていた。

「お困りの……ようですね」

 喧騒の中にありながらも、ブラッドリーの声は正確に保安官たちの耳に届いた。

「え、ええ……。こちらまでに来る途中で、大まかなお話は伺っていると思いますが……。」

 ブラッドリーは頷くと、号令台の中央に立った。


「何だよ、神父じゃねぇか!」

「やることには関係ねぇだろ!」


 しかし、どれだけ非難されようともブラッドリーの落ち着いた表情は変わらなかった。

 そして、そんないつも通りのブラッドリーを見て群衆の一部は徐々に我を取り戻し始めていた。

 ブラッドリーはそれを見て取ると、静かに手を挙げた。

 さらに群衆の大部分がブラッドリーの挙動を見て、今まさに神父が何かを語りだすのではないかと彼に注目し静かになり始めた。


 群衆の一人が言う。「おい……何だよ、みんな急に静まり返って?」

「静かに、神父が何か話すみたいだぞ」

「何かって……何だよ?」

「……さあ?」


 機が熟した事を知ったブラッドリーは語り始めた。開いた口は小さかったが、声量は集まった民衆に届くほどに大きかった。

「皆さん、この場にお集まりいただき誠にありがとうございます」

 ブラッドリーの口から出たのは、突然の感謝の言葉だった。群衆は訳も分からず顔を見合わせる。

「私は知っています。今この場にいる方々は、街の自治を強く誇りに思う、善良なる方々なのだと。対岸の火事にここまで熱心に興味を示されるということは、きっと皆さんには強い正義の心が宿っているということなのでしょう」

 ブラッドリーは目を細めて、素晴らしいと付け加えた。

「私も今回の事件に関しては聞き及んでおります。とても痛ましい事件でした」ブラッドリーは哀しげに首を振った。「被害者となったピートのこともよく存じ上げております。彼は勤勉で信仰深く、地域の高齢者のためとあれば、代わって農作業を引き受けるなど、とても善良な男でした」


 群衆に紛れていたクレアが言う。「善良な男が女殴るかよ」

 クレアは群衆の中で呟いただけのはずだった。しかし、ブラッドリーはそのクレアの呟きを聞き取ったかのように、目を見開いてクレアを見た。ブラッドリーと目が合い、心臓が凍りついたように驚いたクレアは、そ知らぬ顔で号令台から顔をそらした。


 ブラッドリーが言う。「……私たちの同胞であるピートは、しばらくの間働くことができません。その損失の代償をこの女には求めるべきでしょう」


 群衆の一人が叫んだ。「そうだよ! そのための裁きを求めてんだろうが!」


 ブラッドリーが跪いている女を見ると、女は許しを請うような瞳でブラッドリーを見上げた。

「目には目を、歯には歯を」ブラッドリーは群衆を見渡し、大きく息を吸い込んで告げる。「この女の顔を焼きましょう」


 群衆が静まり返った。

「……なんですって?」と、クレアが小さく声を上げた。


「そ、そんな、待ってください!」跪く女が言う。「顔を焼くだなんて、あんまりです!」

「黙りなさい。貴女は自分がやったことが分かっていないのですか? 貴女のために、ひとりの男がしばらく働けなくなってしまったのですよ?」

「先に手を出したのはあの男です!」

「侮辱をしたのは貴女だと聞いています」

「そんな、侮辱だなんて……彼の反応が面白かったから、つい……。」

「男たちは日々の疲れを癒すため、慰めのために貴女たちのもとへ行くのです。妻をめとれば娼館に行く必要などないというのに。しかしピートは善良な男でしたが、良縁には恵まれませんでした。気の毒な男だったのです。貴女はそんな彼を侮辱したのですよ?」

「でも殴るだなんてっ」

「男の誇りを傷つけた報いです。男には大いなる使命があります。戦争で戦い、荒野を開拓し、工場を動かすという使命が。女の仕事はその使命の下支えに過ぎません。いいですか、男の仕事があってこそ世界は動くのです。大いなる物語を紡ぐため、日々傷つき、打ちひしがれながらも社会を動かしている男に対する侮辱、それは許されることではありません」

「そんな、神父様……それを言うなら、私にだって誇りが……。」

 不思議そうにブラッドリーは首を傾ける。

売女ばいたの誇りがなんだというのです?」

 女は歯を食いしばり、目に涙を溜めた。

 ブラッドリーの後ろでは、保安官の一人が焼きごてを用意して号令台に登ってきていた。


 群衆の中で、クレアは号令台を険しく睨んでいた。号令台の女と同じように、歯を食いしばり拳を握り締めながら。そんなクレアの服の袖が引っ張られた。残してきたはずのマリンだった。

「……クレア姉」

「マリンっ、アンタ待ってなって言ったでしょ?」

「遅いから……心配して」

「そう……。」

 クレアは号令台を見ると首を振った。

「……行くわよ」

 クレアはマリンの手を引いて群衆から離れようとする。

「ねぇ、あの人、どうなるの?」

 か細い声でマリンが言う。

「アンタは……気にしなくていいの」

「……助けられないの?」

「助けるって……。」

「ミラ姉なら、なんとかできるんじゃ……。」

 クレアはマリンを見る。純粋な目だった。ミラを親であり、庇護者であり、どんな問題をも解決できる神のように信頼している瞳。ある懸念を抱いていたクレアは、堪らずにその瞳から視線を外した。

「……行くよ」

 そしてクレアはマリンの手を引いてその場を去っていった。

 足早に去るクレアが群衆の一人とぶつかる。クレアが娼婦だと知っていたのだろうか、男は冷ややかな目で見た。クレアは顔を隠すように男から顔を背ける。

 クレアが群衆の中から出ると、ちょうど女の悲鳴が広場に響いた。

 クレアは振り向こうとするマリンの肩を抱いて、少女に陰惨な光景が見えないよう、小走りで駆けていった。



 クレアが仕入れから戻ると、店ではミラが業者に店の改装の指示をしているところだった。

「……良いわね。これなら店に入ってきた時、客が賑わっている様子がすぐに見えるし」

 満足げにミラは業者の男たちに微笑んだ。

「どう?」と、ミラはアリシアに意見を訊く。

「いいんじゃない? カウンターがすぐに見えるから、よりキチンとした店っぽく見える。これまでは、どうしても大きな家って感じがしちゃってたから」

 アリシアは顎に手をやって頷く。

「前から閉塞感あったからね。でも、壁をぶち抜いただけでこれだけ変わるなんて思いもしなかったわ」ミラも頷く。

「ま、無駄な部屋の仕切りだったしね」

「……ミラ」

 話しをしている二人の後ろからクレアが声をかけてきた。

「おや、クレア。仕入れ終わったんだね、ありがと」

 しかしクレアは頷きもせずにミラを見ていた。

「……どうしたのさ? 街で何かあった?」

「話があるんだけど」

「話?」

 クレアの様子に、ミラとアリシアは顔を見合わせた。

 クレアは何も言わずに2階へと登っていく。ひとりで来るようにという意味らしかった。

 ミラはクレアの後に続いて階段を上っていった。


 ミラが2階の執務室に入ると、先に入っていたクレアは窓の外を物憂げに見ていた。

「……で、話って?」

 窓の外を見たままクレアが言う。「昨日の女……。」

 そう言うと、クレアはミラを見た。

「……その様子だと、どうやらアタイが考えてる通りみたいだね」

 ミラは俯いて目をそらし、自分の執務用の席についた。クレアも続いて執務席の前に立つ。

「アンタ、彼女を売ったのかい?」

「そんな、売ったってのは違うよ……。その、彼女はそもそも手配されてたんだから……。アンタだって、厄介事はゴメンだって言ってたでしょ?」

「そうだけど……でもどうして彼女が逃げてきた女だって分かったのさ?」

「それは……。」

「アンタがここ最近、ひとりで出かけてるのと関係があるんじゃない?」

 ミラがクレアを見る。

「……サハウェイの所の女を引き取ってから、あれからアンタ変だよ」

 ミラは大きく息をして、椅子に深く座り込んだ。

「ミラっ」と、さらにクレアが迫った。

 ミラはクレアを再び見た。何かを話そうと迷っている様子だった。

「従業員としてじゃなくて……ダチとして打ち明けてくれない?」

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