捕らえられた女

 翌日、クレアとマリンはイリアの中心部まで買い物に出かけていた。地域住民とのコミュニケーションの一環としての買い物は必要だったものの、やはり安くて良質な品を手に入れるには、街道が通る中心にまで来る必要があった。

 サハウェイの膝下のイリアの中心部は、彼女の尽力のおかげでここ数年で大きく商業が発達していた。もちろん、それは彼女からすれば娼館事業のために他ならなかった。街が栄えれば男たちの出入りが増える。そして男たちは旅先で恥をかき捨てるように、見知らぬ土地でこそ女を買う傾向にあったからだ。


「ミラ姉、体調が悪いのかなぁ……。」

 クレアが運転する馬車で、彼女の隣に座るマリンが言った。

 いつもならミラがやる買い出しだったが、その日はクレアが買い出しを頼まれていた。

「こんな日もあるよ」

 しかし、そう気休めを言うクレアの方が、どこか沈んでいるようにも見えた。


 クレアはミラに指定された酒屋に行き、頼まれた蒸留酒と葡萄酒を購入した。

 クレアに乞われた店主が、酒瓶の入った木箱を持ち上げクレアの荷馬車に詰め込む。

「悪いね、お兄さん」

「いやいや、女にゃこんなことやらせられないよっ」

 40代前半の店主はクレアに強がって見せようと、いつもなら持たない重さの木箱を抱えていたせいで、腕がプルプルと震えていた。

「ありがと。ウチは男手がいないから助かるわ~」

 甘い声を上げるクレアに店主は鼻の頭を赤くする。

「へへ、何かクレアちゃん、いつもお店で見る格好もいいけど、今日みたいなふ、普段着もか、可愛いね」

 買い物だったため、今日のクレアは薄手のシュミーズドレスではなく、シフトとボディスを着ていた。店主はそんなボディスで強調されたクレアの胸に、ことある毎に視線を送る。

「んも~やめてよぉ、お世辞でも照れるわぁ」

「ほ、本当だって、俺、本気でクレアちゃんのこと、その……あの……。」

 店主は場違いなタイミングでクレアに想いを伝えようとしたため、バランスを崩し始めていた。

「ちょっと、あぶ──」

 危うく木箱を落としそうになる店主。クレアが叫ぼうとした刹那、その木箱をお竜が片手で支えてそれを防いだ。

「お、おおアンタ……。」

「ちょっとぉ、情けないわねぇっ」

 お竜は空いている方の手で、店主の尻をぴしゃりと打った。

「あだっ」

「アンタそんなへっぴり腰でおんな口説けるとでも思ってんのぉ?」

 驚いて店主がお竜を見上げる。お竜は無表情で──もっとも、本人はそのつもりはなかったのかもしれないが──木箱を片手で持ち上げて荷馬車へと積み込んだ。

「た、大した力だね……。」

 お竜は琥珀色の瞳で店主を一べつして鼻から息を吹きだす(おそらく本人は一笑したつもりだったのだろうが)と、そのまま馬車に乗り込んだ。

 店主が小声で訊ねる。「……なぁクレアちゃん、アレって女なのかい?」

「え? お竜さんのこと? ……さぁ?」

「さ、“さぁ”って」

「いいじゃん、本人が女だって言ってんだから」

 そうしてクレアも荷馬車へと乗り込んだ。

「……さぁて、次は食いもんだね」


 クレアが次の食料雑貨店へと馬車を走らせていると、往来で急ぎ足で駆けていく数人の男たちとすれ違った。

「……ねぇクレア姉、どうしたのかな?」と、クレアの隣に座るマリンが訊ねる。

「さぁ、火事かしら?」

 さらに荷馬車とすれ違う男たちの会話がクレアの耳に入る。

「あの逃げた女、捕まったんだって?」

「ああ、昨日の夜、山の方に逃げたって目撃があったが、捕まったのはこっち側らしい」

 手綱を持つ手が止まり、クレアは男たちが駆けていった方向を振り返った。

「……山の方?」

「どうしたの、クレア姉?」

「……ちょっとここで待っときな」と、クレアは馬車から降りた。

「え?」

 男たちと同じ方向へ駆けながらクレアが言う。「お竜さん、マリンをよろしくっ」

 男たちと一緒に駆けていくクレアの後ろ姿を見た後、マリンとお竜は顔を見合わせた。



 クレアが街の住人が集まっていた場所、街の中央広場に到着すると、そこでは木製の号令台の上に拘束された女が両膝をついて座らされていた。女は昨晩ミラの店に逃げてきた女だった。女はうなだれ、両脇にはふたりの保安官が立っていた。

 クレアは集まっていた群衆の一人に訊ねる。「ちょっと、彼女一体どうしたのさ?」

「ああ、昨晩客にランプを投げつけて火傷を負わせて逃げてたってぇ娼婦さ」

 男はとんでもねぇ女だと言って、憎らしげに号令台を見た。

「そんな……。何で、彼女はそんなことを?」

「ピートが勃たなかったのをあの女が笑いやがったのさ。それでピートがあのアバズレを殴ったら、アイツ、ピートにランプを投げつけたんだ。それが引火してピートは顔に大火傷よ。殺されなかっただけでも感謝すべきだ」

 群衆の一人が言う。「おい、保安官! とっととそいつの処分を決めろよ!」

 また別の群衆の一人が声を上げる。「娼婦の分際で男にたてつきやがった! 縛り首だ!」

「ピートの奴は大怪我負ったんだぞ! おかげでしばらく働けねぇ!」

「やっちまえ! 躾の悪いアバズレならもう娼婦だってやれねぇさ!」

 ヒートアップした群集たちはそうだそうだと言い始め、熱狂の渦が起こり始めていた。彼らにとって、客に、男に逆らった娼婦は飼い主の手を噛んだ野良犬のようなものだった。彼らの目には、彼女は処分されるべき畜生としか映っていなかった。平日は労働に従事し、休日は教会に足を運ぶであろう平凡な男たちは、女の死を何の思慮もなく求めていた。


「ちょ、ちょっと、いくらなんでも縛り首ってのは……。」

 クレアが慌てて隣にいた男に言う。女の隣にいることで冷静を保っていた男は、気まずそうに髭を撫でた。


「お前たち落ち着け! 殺人ってわけじゃないんだ! たかが火傷したくらいで縛り首なんて出来るわけないだろ!」と、号令台の上の保安官が慌てて群衆をいさめる。

 隣にいたもうひとりの保安官も言う。「そのとおり! まずは自治区の裁判所に申し立てをして──」

「いったい何ヶ月かかるってんだ、待ってられるかよ!」しかし、それを昂ぶった群衆のひとりが遮る。「この街にはこの街のやり方があるんだ!」

「テメェらいつから役人のガキの使いになったんだ!? こんな時のための保安官だろ!」


 保安官たちは困り果てて顔を見合わせるばかりだった。保安官といえど、彼らは街の住人から選挙で選ばれた一般人だった。格好も町民の服に保安官の目印の刺繍ししゅうされたマントを羽織っているだけだったので、まともな武器を携帯しておらず、もし群衆が暴徒と化した場合、抑える術は持ち合わせていなかった。

 保安官のひとりが訴えるように目配せをすると、もうひとりの男は頷いて号令台を降りて駆け出していった。残された一人は、騒ぎが暴動に発展すれば、女を群衆に差し出し逃げ出す算段を立てていた。

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