懸念
それからもミラの店は順調に経営を続けていたように思えた。
しかし、ひとつだけ変わったことがあった。
「ねぇ、この髪型どうかなぁ」
開店前の炊事場で、ミッキーが新しい髪型を同僚に披露していた。
ミッキーの髪型は普段のサイドテールに加え反対側の髪も結え、ツインテールになっていた。
「ああ似合うよ。頭悪そうなアンタには」と、トリッシュが言う。
「いいじゃん、ガキ臭くって」と、リタ。
「マジで?」
しかし、ミッキーには最初の“似合う”“いいじゃん”しか聞こえていないようだった。
「いやねぇ、ウチについてる客がツインテール似合うんじゃないかなって言っててさぁ。そんで思い切ってやってみたんだ」
「思い切る方向間違えてんよ」と、トリッシュが言う。
「あの客、多分馬鹿好きなうえロリコンだよ。たまにマリンのことヤバイ目で見てるからね」と、リタ。
「うそぉ!」と、洗い物をこなしていたマリンが驚いて振り向いた。
「いいじゃん、基本男って馬鹿っぽい女が好きでしょ」
「違うから、アンタに言い寄ってくるのが馬鹿が好きってだけだから」リタが遠い目をして言う。「太った女が男は基本デブが好きって言ってるようなもん」
トリッシュがミッキーの肩に手を置いて言う。「アンタさぁ、狙ってる男が頭悪い女が好きだからって、自分から頭悪いふりする必要ないんだよ?」
「いいじゃんか、そんなでも好きって言ってくれるなら」
ミッキーはふくれっ面で結えた髪を掴んだ。
リタが呆れて言う。「アンタ、殴られたあとに“好き”って言ってもらえたら許しちゃうタイプ? 薄幸ババア一直線だね」
「アンタたちだって、どうせ好きな男になら殴られたって文句言わないクセに。普段はいい人なんだけど~今日はお酒が~とか言って」
「は? テメェと一緒にすんな。馬鹿っぽく振舞うのが個性とか思ってるような奴とはよぉっ」と、リタが機嫌悪く言う。
「ふ、振舞ってねぇし、実際馬鹿だしっ」
「その開き直りはいいねぇ」と、トリッシュが感心する。
「開き直るのは勝手だけどさ、料理に関しても開き直るのやめてくんない?」リタが釜戸の上の鍋を親指で指して言う。「今日のアレ何? 三日後の便秘明けに出たみたいなやつ」
「ミートローフ、アリシアさんに教わったんだよ」
「わたしも一緒に教わったけどさ、アンタが作ると何か別物になってるよ」
「そりゃあ、ウチはアレンジ加えてるからね。個性よ、個性」
「だから個性の方向間違えてるっての」
「アレンジ加えないと愛情こもらないでしょ?」
「キチンと作ってから愛情とかぬかせよ」
「別にいいじゃん、どうせ腹の中に入っちゃえば同じなんだから」
「はぁ? だったらどうせ墓に入るって理由で、テメェ今ここで埋めてやろうか?」
リタはまな板の上の包丁を手に取った。
「ちょっとトリッシュ、リタを止めてよっ」
「テメェにゃ包丁が料理以外にも使えるってことを体に刻んでやるよ」
「ねぇ、トリッシュさん」遠巻きに見ているマリンが恐る恐る訊ねる。「リタさんって、たまに突然キレるけど何で?」
「謎ね」
そこへクレアが手を叩きながら入ってきた。
「ほらほら雌豚ども、クソみたいな駄弁りしてないで仕事しなっ」
「雌豚ですってっ?」
リタがクレアに包丁を向ける。
「言い方が悪かったね。可愛い雌豚ちゃんたち、お仕事してちょうだいな」
「“ちゃん”付けしたならまぁいいわ」と、リタは包丁をまな板の上に戻した。
「“可愛い”も入ってるしね」と、ミッキーも持ち場に戻った。
仕事をするでもないのに騒がしい炊事場の様子に、クレアは呆れて天井を見上げていた。
「……ねぇミッキー」
「なぁにクレア姉?」
クレアが右の眉を吊り上げて言う。「その髪型さぁ、ゴキブリみたいだよ?」
ミッキーは無言で髪をほどき、トリッシュとリタは苦笑してその様を見ていた。
クレアが言う。「ところで、誰かミラ見なかった?」
「え? ミラ姉?」トリッシュが言う。「何か出かけたみたいだけど……買い出しじゃないの?」
「こんな時間に? それに、そういう時はお竜さんを連れてかない?」
リタが言う。「なんかここ数ヵ月、ミラ姉どこかに出かけてるよね。しかも一人で」
「……そう」
クレアは何か気がかりなものを感じていた。
「ちょっと、クレア……。」
と、アリシアが炊事場に入ってきた。
「なに、アリシア?」
憤慨を抑えているような、硬い表情をアリシアは作っていた。
「……ちょっと来てちょうだい」
「……アンタたち、何やってんの?」
クレアの視線の先には、物置で隠れて酒を飲んでいる女たちの姿があった。ふたりはミラを頼って他の店から移籍してきた女たちだった。女たちは気まずそうに苦笑いをしながら目を背けるばかりだった。
「ちょっとアンタたち、ここで働くとき教えたよね? 店の酒は勝手に飲んじゃいけないって。もし飲みたいなら、客からもらうのがウチの鉄則だよ?」
「そうだっけ? その、ちょっとばかりは……いいんじゃない?」
「ちょっともそっともダメ。みんな頑張って客に酒を注文させてんだから、不平等でしょ?」
「そんな大げさだよ、細かいことに目くじら立てないでよぉ。アタイら、酒飲まないと仕事の気合い入らないんだから」
「これから農作業しようって農夫が酒とか飲む? 厨房に立つコックが釜戸に火ぃつける前に一杯やる?」
女はうるさいなぁと呟いて立ち上がった。
「え、このコ今うるさいって言った?」
クレアは驚いてアリシアを見る。アリシアは困惑して肩をすくめるだけだった。
「分かったって。アタイが悪かったよ、反省してる。もう二度としないから」
そう言って、ふたりは飲みかけの酒瓶を樽の上に置いて去っていってしまった。去り際に、ふたりが何か悪態をついたように聞こえたが、クレアは大きく息を飲んで感情を
「……まったく」
アリシアは渋々残された酒瓶を片付け始めた。
「何かさぁ、この店を頼って女が来るのはいいけど、ミラはどいつもこいつも受け入れすぎなんだよね。よその店を追い出されるってのは、それ相応の理由があるわけだから」と、クレアが言う。
「ま、アタイはそんなミラに拾ってもらった身だから、あんまり文句は言えないけどね」と、アリシア。
「そりゃあ、そうだけど……。」
クレアは、ミラどこにいったんだろと呟き、アリシアと一緒に酒瓶を片付け始めた。
──閉店後
「ねぇ、どうしてウチにはやたら駆け込み寺みたいに女が寄ってくるんだろうね……。」
営業が終わったドウターズ。トリッシュとリタ、そしてミッキーとマリンは店の掃除をしていた。今日もまた、余所の女がミラの下へ仕事を求めてやってきていたのだった。
「そりゃあ……ミラ姉に人望があるからさ」と、箒で床を掃いているトリッシュが言う。
テーブルを拭くマリンは無言で同意した。
「でもさ、おかしくない? 別に、ウチは待遇がよその店より格段良いってわけじゃないじゃん?」箒を持つ手を休めてリタが言う。「なのに、この数カ月で何人目よ?」
「あれだね、サハウェイの店の女を引き取ってからだよね」と、窓を拭いているミッキーが言う。
「そうそれ、あれから噂に尾びれがついたんじゃないかって思うんだよね」
「まぁ、アタイらだってそうだけど、娼婦ってのは常に藁をもすがる思いで生きてるからねぇ」と、トリッシュ。
「あ、降りてきたみたいだよ?」
マリンが二階から降りてきたミラたちに気付いて言うと、女たちはそそくさと掃除を再開した。
ミラを頼ってきた女は、ミラに礼を言うとそのまま店を出ていった。
ミラは複雑な笑顔を作って女を見送っていた。
「……ねぇ、ミラ」
女を見送ったミラに、背後からクレアが声をかける。
「どうしたんだい、クレア?」
「彼女、ウチじゃあ雇わないんだ?」
「あ、ああ……まあね。他所の店を紹介したんだよ」
「紹介? アンタ、そんなツテあったっけ?」
「そりゃあ、アタシだってこの街で商売やってるんだから、それくらいはあるさね」
「そう……。」
「さて、ひと仕事終わったし、アタシはそろそろ休ませてもらおうかねぇ……。」
伸びをして2階に上ろうとするミラ。そんなミラにクレアが声をかける。
「……ミラ」
「何さ?」
「アンタ、何か隠してない?」
「……何? おめでたみたいに見える?」
ミラは笑って自分の腹をなでた。
「……いいさ」
クレアは訝しげにミラを見た後、おやすみと言って去っていった。
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