うわべを取り繕う
翌日、ミラはマリンを連れて旅籠屋のある山の
「おう若女将、今日も綺麗だねぇ」
食料雑貨屋の店主が上機嫌にミラに話しかける。
「あらやだよおにいさん、そんなお世辞言ってなに買わせようってんだい?」
「そんなぁ、お世辞なんかじゃないよぉ。俺がミラちゃん目当てでお店行ってるの知ってるでしょ?」
「そうねぇ、……とか言ってクレアのことばっかり目で追ってるの知ってるんだから」
クレアは腕を組んで皮肉めいた目で店主を睨む。
「いやいや、ミラちゃんのところはいいコが揃ってるからついつい……。」
そう言って店主は恥ずかしそうに頭をかいた。
「まぁいいさ。今日も安くしてくれるんだったら許したげる。で、今日は何がオススメなのさ?」
「今日は羊肉を仕入たんだ。さっきさばいたばっかのやつ。買ってってよ」
「羊? ラム※ってこと?」
「違うよぉ、今日仕入れたのはマトン※」
「マトン? マトンは硬いんだよねぇ……。」
「何言ってんだい、ツウはマトンだよ。なんてったって肉の旨味が違う。酒にも合うんだから。ね、買ってってよマトン」
「そうさねぇ……。今日は料理当番誰だったっけ?」と、ミラはマリンに訊ねる。
「今日はリタさんだよ」
「そっか、あのコなら上手いのをこしらえてくれそうね」ミラは店主に微笑んだ。「じゃあオニイさん、それちょうだいな」
「どれくらいいるかね?」
「100ジルで買える分ほしいわね」
「そうこなくっちゃ。ようし、それじゃ今日はタマゴのピクルスもおまけしちゃうよ」
「あら嬉しい。いっつも
(ラム、マトン:ラムは仔羊の肉で、マトンは生後2年以上の羊の肉)
ミラは羊肉を包んでもらうと、それを店の荷馬車に積んだ。そして、馬車の積荷を確認するとメモを取りだし馬車に乗った。
手綱を握ってミラが言う。「さてと、じゃあ次はお酒ねぇ……。」
「……ねぇ、ミラ姉」
「ん? 何だい?」
荷台を気にしながらマリンが言う。「さっき買ったお肉、そんなに安いわけじゃないよ? 馬車で行けるくらのところにもっと安い店あるよ? ミラ姉、騙されてるんじゃない?」
ミラは手綱をふらずにしばらく考えていた。そして静かに、言い聞かせるようにマリンに語り始めた。
「いいかいマリン、アタシらみたいなのが買い物するって時は、数字だけ見てちゃあいけないんだよ」
「どういう意味?」
「持ちつ持たれつなの。確かにあそこのアンちゃんは安くしてくれないし、おまけのピクルスでも元が取れてるとも言えない。でも、あのアンちゃんはウチの店の常連なんだよ。結構なお金を落としてくれてるんだ」
「う~ん……だとしたら、こっちで払ったお金が戻ってきてるだけなんじゃ?」
「そういう見方もできるさね。でもね、お金ってのは空気みたいなもんでね、常に回していかなきゃあならないもんなんだよ」
「そういうものなの?」
「そ、そして金を回すってのは人間関係を回すってことでもあるのさ。だから、ここの住人たちと上手く関係を築いてくためには必要な事なんだよ。金ってのは物を手に入れるためだけのものじゃあないってこと」
「ふ~ん」
マリンには、いまいちミラの言っていることが理解できなかった。そんな遠回りなことをやらなくても、稼ぐことが目的ならもっと別の努力ができるのではないかと思っていた。
「ミラさんっ」
すると、そこへ農家の女性がやってきた。
「あぁ、ケリガンさん。旦那さんのことは気の毒だったね……。」
「良いのよぉ。戦争から戻ってきてから心も体もやられちまってね、もう長いことお荷物だったんだもの」
「そんなぁ~お荷物って……。」
ミラはケリガンが冗談を言っているかと思い、口に手を当てて笑ったが、ケリガンの目を見て本気だと言うことが分かり、思わず口をつぐんだ。
顔を見合わせてぎこちなく笑い合うミラとケリガン、気まずい空気が流れていた。
「そうそう、それで今日はお願いがあるんだけど……。」
ケリガンが娘に目配せをすると、娘がカバンから手製のエプロンを取り出した。
「悪いんだけど、これ、買ってくれないかしら?」
お世辞にも出来の良いエプロンとは言えなかった。左右の肩紐の長さが違うため、肩にかけたらずれてしまいそうだった。
「あら素敵なパッチワークじゃない」ミラは無理に明るい声を上げてエプロンを見る。「いいわ、1枚ちょうだい」
「ありがとう、助かるわ~。でね、これね、3枚買ってくれたら安くしとくんだけど……。」
申し訳なさそうな笑顔を作って、ケリガンはさらにカバンからエプロンを取り出した。
マリンはミラを見た。
ミラは首を傾けて言う。「う~ん、ただエプロンは間に合っててねぇ」
マリンはケリガンを見る。
「まぁ、このマリンがまだ小さいから、換えがあったほうがいいかもね。じゃあ3枚ちょうだいな」
「ありがとね~。いっつも助かるわぁ」
「いいんだよ。さてと……」ミラは懐から巾着袋を取り出して硬貨を摘んでマリンに渡した。「アンタはこれで何か好きなもんでも買ってきな」
「え? いいの?」
「ああ、いいさ。これからの買い物はアタシひとりで十分だしね。お菓子を買うならそのコと一緒にね」と、ミラはケリガンの娘に目配せをした。
「うん、分かったっ」
そうしてマリンは渡された硬貨を握りしめ、ケリガンの娘と一緒に雑貨店へと駆けていった。
マリンは雑貨店で棒付きのべっこう飴を二つ買うと、ケリガンの娘のキャサリンに一つを渡した。ふたりは店の前の
キャサリンはマリンがミラの店「ドウターズ」で働き始めてから、この地元でできた数少ない友人のひとりだった。キャサリンからは貧乏暮らしの薄幸さがにじみ出ていたものの、発育が良く上背があり、マリンよりも歳がふたつ上だったが、見た目には十代の半ばに見えた。
キャサリンが飴を含めたままの口で訊ねる。「ねぇ、ミラってアナタのお姉さんなの?」
「ううん。ウチの店の主人で、私はそこで働かせてもらってるの」
「ふぅ~ん、じゃあミラもショウフなんだ」
「……う、うん」
キャサリンはマリンを見る。
「わたしもいつかお店行くんだったら、ミラのお店がいいかなぁ……。」
「え?」
思わずマリンは口にくわえていた飴を落としそうになった。
「え? ダメなの?」と、キャサリンが言う。
「そうじゃないけど、だって……。」
「仕方ないよ。うち、お母さんが色々頑張ってるけど、どうせわたしが稼ぐしかなくなるし……。」
「そんな……だって今日はエプロン買ってもらえてたじゃない?」
「あんなの……ミラのお情けでしょ」
「それは……。」
「母さん、ホントはショウフのお情けなんか欲しくないくせにさ」
「……え?」
「やんなっちゃう。陰ではミラたちのこと悪く言うくせに、ああやってたかってるんだもんね」
「そんな……“たかってる”なんて……。」
「遠慮しなくていいよ、出来が悪いエプロンだってのは母さんだって分かってるし。他じゃあ買ってくれないから、ミラんところに持ってってるんだよ」
マリンは何も言えずに飴を口の中で弄んだ。どうしてみんな娼婦の事を悪く言うんだろう。ケリガンだけではない、ミラ自身も自分の仕事を恥じているようだった。あんなにも誇り高く、周りに好かれているミラなのに、何故か自分に仕事の全てを見せようとしないのか。どうして人々は上辺だけを取り繕い、さも問題がないふりをするのだろうか。まるで何かに怯えて暮らす小動物みたいだ。
「でさ、わたしもっと大きくなったらショウフやるしかなくなると思うんだよね。母さんと離れて暮らすわけにもいかなけど、イリアじゃあロクな仕事ないからさ」
「娼婦……やるんだ」
「仕方ないでしょ? 生きていくためには」
生きていくため。生きていくために自分の人生を削り取りながら仕事をするなら、一体生きていくというのはどういうことなのだろう。マリンにはいよいよ世の中のことが分からなくなっていった。
「だからさ、もしわたしがショウフになることになったら、その時はミラに口利きよろしくね」
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