月下の竜
盗賊たちが去った後、サハウェイはガロの隣に座った。
「信じられないわね、貴方が亜人なんかにしてやられるなんて」
「……お前もそう言うのか」
ガロがカウンターに突っ伏したままで言った。
「……ま、貴方を陥れるんだから、相当なやり手なのかもしれないわね。でも、別にヘルメスの縄張りを奪われただけでしょ? 仕事をやめる必要もなかったんじゃ?」
ガロは突っ伏したままで顔をサハウェイに向ける。
「……もう、しばらく距離を置きたい」
「距離を置くって、仲介業との?」
「奪われるのに怯えながら生きることだ……。」
「ちょっとぉ、貴方、亜人に去勢までされちゃったわけぇ? この界隈じゃ名の知られた貴方でしょ? 悔しくないの?」
「……悔しい?」ガロは鼻笑いをして、再び顔をうずめた。「もう悔しさもないさ。……お前は知らないんだよ」
「知らないって、なんのことよ?」
ガロはあの時見たディアゴスティーノの瞳を思い出していた。自分たちとあまりにも根本的に違うものを見ているあの瞳を。
しばらく待っても何も答えないガロにサハウェイが言う。「ねぇ、貴方さえ良かったら、私のところで働かない? 貴方くらい経験のある男だもの、私だって喜んで迎えるわ」
「……結構だ。言ったろ、距離を置きたいって。荷馬車でも引くさ」
「……そう」
とうとう盗賊たちは、サハウェイへの直談判も失敗し、いよいよマリンを始末せざるを得ない状況になっていた。
「ちきしょう、積荷はセコイもんばかり、ガキは売れねぇ。散々だったぜ」
少女の家族から奪った馬車の中で、盗賊たちは頭を抱えていた。
傍らにいるマリンは、盗賊たちの様子から自分の運命を予感していた。しかし、それでも今朝からの現実感のない出来事の連続と、父と母の死を受け入れられない少女は、未だ夢を見ているような心境だった。
「なぁ、始末する前に味見してもいいか?」と、ボロをまとって行き倒れのフリをしていた強盗が言う。
「マジかよ? ガキだぜ?」
「俺はよぉ、今日はたんまり金作ってイリアで女を買うつもりだったんだぜ? なのに手元にはガラクタしか残ってねぇ。お楽しみの一つでもないとやってられねぇよ」
「……好きにしろよ」
「へへへ……。」
男はマリンに覆いかぶさると、服を脱がし始めた。そんな様を、他の二人の強盗はつまらなさそうに見ていた。
マリンは相変わらず虚ろな目をしていたが、男の悪臭と重み、そして眼前にある不潔な顔を目にして、ようやく我に返った。
「……キ、キャアアアアアア!」
「お、おいおい何だってんだよ今さら!」
街の外れに馬車を停車していたとはいえ、人が通りかからないとは限らない。馬車の中の強盗たちは慌てて馬車の荷台から顔を出して周囲を確認する。
「おいっ、黙らせろ!」
「く、くそ!」
覆いかぶさっていた男は、慌ててマリンの口を手で塞ぐ。生命の危機を直感し、全生命力を振り絞って抵抗していたマリンは最大限の力でその手に噛み付いた。
「い、痛でぇ!」
少女とはいえ、本気の咬筋力は男の手のひらの端を引きちぎっていた。
予想以上の出血に戸惑う男。その隙にマリンは馬車から飛び出した。
マリンは夜道を悲鳴を上げながら走り続けた。しかし、見慣れない土地だったため、マリンの駆け出した方向は町からより外れ、森の入口にたどり着き、より一層、強盗たちの都合の良い状況になっていた。
さらに少女の足では大の大人を振り切ることができず、その森の入口でマリンは再び男に組み伏せられてしまった。
少女を押さえつけながら男が言う。「ちきしょう、いい加減にしろよ!」
マリンは、体を反らせながら抵抗する。「いや、やだよぉ!」
「黙れっつってんだろ!」男はマリンの頬にナイフをあてがった。「お袋みてぇになりてぇか? あん? まぁ、俺が殺ったのはお前の親父だがな」
マリンはようやくあの時の光景の意味を理解した。この男たちが自分の両親を殺したのだと。
力なく涙を流し始めたマリンを見て、男は薄ら笑いを浮かべながら、再びマリンの服に手をかけ始めた。だがうまく脱がすことができず、「めんどくせぇ」とナイフで衣類を裂き始めた。
「お、おうお前ら、しっかり見張っとけよ……。」
興奮しながら男が言う。しかし、後ろにいるはずの二人の返事がなかった。
「……おい?」
男が振り返ると、後ろにいたはずの二人の内、一人が既に地面に倒れていて、もう一人は口から刃を突き出させて痙攣していた。
刃が飛び出た口を動かして男が白目を向きながら言う。「こ、こへぇ、だれれすかぁ……?」
刃が引き抜かれると男が倒れ、その向こうには異様な影が現れた。
白い布をまとった白髪の、人間とは微妙に異なる立ち姿。瞳は琥珀色に光っていた。
「な……なんだ?」
影は剣を振ると、すり足で男に近寄った。
「な、なんだって聞いてんだよぉ!」
男は脇に置いてあった剣を手に取り、立ち上がって抜刀した。
後ずさる男、影はさらにすり足で歩み寄る。月明かりで露わになった、鱗で覆われた顔を見ると、男はさらに恐怖した。
「く、来るな……来るなぁ!」
男は剣を突き出す。
男が完全にマリンから離れると、そこへミラがやってきてマリンに毛布をかけた。
「アンタ、大丈夫?」
しかし、マリンは硬直した顔で何も答えなかった。
「可哀想に、怖い目にあったんだね……。」
ミラは対峙するお竜と強盗を見て、そして既に倒れている二人の強盗を見た。今は店で三味線を弾かせているが、そもそもはお竜は剣の腕を見込んでの雇用だった。しかし、お竜が実際に人を斬るのを見るのはミラも初めてだった。普段とは違うお竜の様相に、ミラも息を飲んでいた。
男は剣を突き出したまま後ずさる。
すると、お竜が一歩駆け出して間を詰めた。
まだ距離がある、そう思った強盗は一歩だけ後ろに下がった。
しかし、お竜は立て続けに後ろ足を蹴り、さらに間を詰めた。
「!?」
高速のすり足での接近からの小手打ち、男は堪らず剣を落とした。
さらにお竜は後ろ足を蹴って体を伸ばし、飛び込むように突きを放った。
「く……か……。」
刃は男の喉を貫き、そのまま強盗は膝をついて地面に倒れた。
お竜は懐から真白い紙を取り出すと、それで刀を拭って死体に放った。紙は、雪のようにはらはらと男の上を舞っていた。
「……終わったわよぉん」
ミラたちを振り向いてそう言ったお竜の口調は、妙に演技がかっていた。
その後、ミラはマリンを自分の店へと連れて行った。
「おかえりミラ……ちょっと、その娘?」
炊事場にいたアリシアは、町へ買い出しに行ったはずのミラとお竜が子供を連れて帰ったのを見て驚いて声を上げた。
「ゴロツキに襲われてたんだよ」と、ミラが答える。
「で……そいつらは?」
「明日、保安官の所に話をつけに行くわ。襲ってきた強盗を斬ったってだけだから、大事にもならないわよ」
そう言ったお竜の口調が、女の喋り方だが妙に低い声になっていたのを炊事場にいた誰もが感じていた。
冬ももう完全に過ぎ去っているというのに、顔面蒼白で今にも凍えだしそうなマリンだった。心配したミラは、マリンを座らせるとまかないの料理を従業員たちに用意させた。
「ちょっと……アンタの料理は誰かを呼び寄せる呪いでもかけてあるわけ?」
そして、今日もまかないで出されたのは、ミッキーが作った見た目の悪い煮込みだった。ポトフのつもりなのだろうが、野菜の大きさはバラバラで、下味はついていなかった。
髪をサイドテールでまとめているミッキーが不満げに言う。「そんな言い方ないじゃんミラ姉ぇ。今日は結構自信あんだから」
ミラはマリンに優しく声をかける。「……ま、見てくれは悪いけど……いや味も大概なんだけど、お腹すいてるだろ? 遠慮せずに食べなよ。いっぱい残ってるから」
勧められたマリンは、一口、また一口とポトフを口に運んだ。数口食べると、食べる手を止め、俯いてすすり泣き始めた。
様子を見ていたリタが言う。「あちゃあ、やっぱり不味かったんじゃない?」
「……黙っときな」と、少女を慮ったミラが言う。
少女一人があんなところで、明らかに身内じゃない男たちに襲われていた。馬車の積荷も、あの男たちの物とは思えない。少女の様子からしても、考えられることはひとつだった。
「アンタ、行くあてはあるのかい?」
マリンは首を振る。
「しばらく……落ち着くまでここにいな」
ミラは従業員たちに目配せをした。女たちは頷くと炊事場を後にして持ち場へと戻っていった。
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