パフェ

 ※


 1年前


 ──ヘルメス領シトロエン


 ガロは肩をいからせ街の喫茶店に入って行った。普段冷静なガロにしては珍しく、その表情からは怒りが見て取れた。

 入店したガロに店員が声をかけるが、ガロは彼を完全に無視して2階へと上がっていった。あまりにも憤慨していたため、薄い木板の階段が優男のガロの体重でもミシリと音を立てていた。

 ガロは喫茶店の2階を見渡すと、男女ふたりが座る席へと大股開きで歩み寄った。

「……探したぞ」

 ガロが見下す先には、薄いブルーのダブルのスーツを着た鋭い目鼻立ちのフェルプールと、白シャツの上から黒いレザーのベストを着た、毒々しいメイクの女がいた。ディアゴスティーノとリザヴェータだった。ふたりの間のテーブルにはパフェがあったが、ふたりは種族が違うどころか、出で立ちがまるで違うので、男女が仲睦まじくアフターヌーンティをしているようにも見えなかった。

 ディアゴスティーノはガロを一瞥すると、向かいに座るリザヴェータに訊ねる。「……よぉリーズ、今日は何か商談の予定があったか?」

 リザヴェータは手帳を確認すると首を振った。

「いいえシャチョー、今日の午後はお客さんの予定はありません」

 病的な白い顔に青い口紅を塗っている割に、間延びした、あっけらかんとした口調で話す女だった。

「だとよ。悪いがアポ無しは断ってんだ、日を改めてくれ」

「気取るのはやめろ……。」

「俺が言ってんのはマナーと礼節の話だ」

「俺のシマをめちゃくちゃなやり方で奪っておいて、何がマナーだ礼節だ!」

 ガロの頭髪のない頭は、叫ぶと首と頭の筋肉の動きがよく見えた。さらに今はそれに血管が浮かんでいた。

 一部の客が、そんな三人の様子を如何わしく思ったのか、ひとり、またひとりと店を出ていった。

 ディアゴスティーノは肩をすくめて言う。「マナーも礼節もない界隈なら、そりゃ仕方ねぇさ」

「貴様ぁ……。言っとくが、そっちがその気ならこちらにだって考えがあるぞ」

「ほう……。」

 ディアゴスティーノの榛色ヘーゼルの瞳が静かに鋭くなった。

「俺のバックにどれだけの人間がついてると思ってる? 伊達にこの界隈で生き延びてきたわけじゃあないんだぞ?」

 ディアゴスティーノはうざったらしそうに手を組み遠い目をする。「……確か、ヒムの野郎も同じこと言ってたなぁ」

「貴様、ヒムをどうした? ここ数年行方が分からないと聞いたが……。」

「オメェ、ソーセージ好きか?」

「……何の関係がある?」

「いや……もしかしたらオメェの腹ん中に入っちまったかもしれねぇって話さ」

 ガロは目を剥いてディアゴスティーノを見る。「な……何だと、き、貴様ぁ……。」

「冗談だ、そこまで悪趣味じゃねぇよ」ディアゴスティーノは牙をむき出して冷ややかに笑った。

「クソ、ふざけやがってっ」動揺しながらガロは顔をそらす。

「オメェが食ったかもしれねぇのは、奴を食った豚だ」

「……なっ」

 ディアゴスティーノの目は笑ってはいなかった。

「恨むな、豚は悪くねぇ」ディアゴスティーノが再び牙をむき出する。しかし、今度のそれは笑顔ではなく獣の威嚇行為だった。

 睨み合うディアゴスティーノとガロ。間近にいるリザヴェータは、何も聞こえていないかのようにパフェをすくって黙々と口に運んでいた。

 さらに店からは子供連れやカップルの客がいなくなり、代わりに昼の喫茶店に似つかわしくない、厳つい顔をした男たちが入店してきた。

「何が目的なんだディアゴスティーノ? お前、金貸しじゃあなかったのか? 娼婦を使って何をしようって魂胆だ?」

「おいおい、娼婦なんて言い方はやめてくれ。俺んとこの女はエスコートガールって言うのさ。体売るだけが脳じゃねぇんだ」

「はんっ、名前を変えたところで何が変わるってんだ」

「……コイツはな」ディアゴスティーノは指先でパフェの容器の端を叩いた。「転生者が好んだって食いもんを、ここの主人が文献や法術を参考に再現したもんよ。この店の目玉商品でな、ここ連日これ目当ての客が絶えねぇんだ」

「何の話をしてるんだ?」

「まぁ聞けよ。おもしれぇよな、冷てぇクリームに細かく切った果物、砕いたビスケットとそれにジャムを器に入れた程度のもんを“パフェ完璧”って名前にしちまうんだ。下手すりゃパイやケーキの方が手間や原価がかかるってのによ」

「完璧っていうくらいのデザートだから、てっきり私、ケーキとかプリンとか、全部のものがいっぺんに食べられるものだと思ってましたよぉ」と、愉しそうにリザヴェータが口をはさむ。

「アホウ、貴族の夜会じゃねぇんだぞ。そんなもんが街のサ店で出せるかよ」

 リザヴェータが不満げに下唇を突き出す。

「だが、これはもう完璧パフェになっちまった。そう決まったんだよ。これからも客どもはこれを目当てにはるばるやって来る。なんてったって完璧なデザートなんだからな。モノ以上の価値がこれにはできる。それだけじゃねぇ、他の店もこれを真似し始めるだろうぜ。だが、例えどう変化をつけようが基準になるのはこれだ。そしてこの店はパフェを出した最初の店として一目置かれることになる。この完璧ってぇデザートの基準を作り出した店としてな」ディアゴスティーノはパフェからガロに視線を移した。「オメェのやってきたことは女を転がしてただけだ。だが俺は違う。新しい女の仕事の基準を作ってんのさ。やがては女たちを取り巻く状況も変わるだろうぜ。……このパフェみてぇにな」

 ディアゴスティーノはスプーンでクリームをすくって口に運んだ。

「たかが食いもの一つを例にして、まるで世界の秘密を解き明かした賢者みたいな話しぶりだな、ディアゴスティーノ」

 クリームのついたスプーンをひと舐めしてディアゴスティーノは言う。「意外と簡単なもんさ。実践できる奴は少ないがな」

「誇大妄想が過ぎるぜ」

「ありがたいことに、その妄想に付き合ってくれる奴が大勢いるもんで、商売は右肩上がりよ」

「敵も増えそうだが」

「その分、味方も増えるさ」

 大柄な男たちが入店して、彼らの隣に座った。

「分かったよ、これ以上くだらんおしゃべりをしてもしょうがない」ため息をついてガロが言う。「念を押しておくが、この街は、ヘルメスは俺のシマだ。すぐにでも返してもらう──」

「オメェのシマだぁ?」

 ディアゴスティーノのはスプーンでパフェの容器の縁を二回叩いた。すると、一斉に店内の男たちが彼らを見た。すでに一般客は全て店から出ていて、店内にいるのはディアゴスティーノの身内だけだった。

「オメェがいんのは俺の腹ん中なんだよ。アンちゃん、迂闊うかつだぜ」

 ガロは息を飲んで店内を見渡す。てっきりガロは自分がディアゴスティーノを追いかけていたものだと思っていた。しかし、自分がここへ追い詰められていたことを、今この時になってようやく理解した。彼にディアゴスティーノの居場所を教えた知人、さっきまでいた一般人にしか見えなかった客、すべてがディアゴスティーノの息のかかった人間だった。

「オメェに恨みはねぇ。だが、一週間以内にここを出て行くんだな。でねぇとお友達みてぇになっちまうぜ」

「……脅迫してるつもりか?」

「脅迫? そうじゃあねぇよ、これは予定だ。俺はただそうなるってぇ事を前もってオメェに教えてるだけだぜ?」

「……その程度で俺がビビると?」

 ディアゴスティーノが隣のソファに座る男に朗らかに言う。「このアンちゃん、毛がねぇから処理が楽だぞ。豚も喜ぶ」

 そう言われた男はまじまじとガロの体を眺める。まるでガロの服の下の躰を見透かし、どうやって解体するかを思案しているようだった。一瞬で、紅潮していたガロの顔が青ざめた。

「……まぁ、どっちにしろ一週間経ちゃあ俺の前にオメェは現れなくなる。ここで険悪な雰囲気になる必要もねぇ。どうだ? パフェでも食ってくか?」

「……ふざけるな」

 ガロは拳を握り、やりどころのない気持ちを抑えていた。

「ま、何度も言うがオメェに恨みはねぇ。仕事も住処も一気に失うことに関しては同情するぜ、本当さ」

「……なぜだ?」

「あん?」

「だったら、なぜ俺の仕事を奪うような真似をする? 俺は、ただ自分の領分でつつましく生きてきただけだ……。」

「それをオメェが言うか? オメェが他人のつつましい人生を踏みにじってこなかったとは言わせねぇ。誰の涙も見てこなかったとはな」

 ガロは言い返すことができなかった。

「……オメェが守ろうとしたのは単なる箱庭だ」ディアゴスティーノは足を組んで、ガロを諭すように話し始めた。声には、これまでの嘲るようなトーンはなかった。「季節を待たずに枯れ果てる箱庭で、オメェはそれの手入れするしか能がない年寄りさ。で、新しい建物作るのに邪魔だから、そこを潰させてもらったんだよ。住んでる年寄りには立ち退いてもらってな」

「こんなやり方じゃなくても……良かったろう?」

「一日でも早いほうが良かった。なんてったってオメェは同族の売買もやってたんだからな。俺からすりゃあ一日でも仕事が進む方が大事だ。それで同族が一人救えるなら、テメェら人間が100人路頭に迷おうが知ったこっちゃあねぇ」

 ガロはディアゴスティーノの榛色ヘーゼルの瞳を見ていた。光の加減で、緑色にも黄色にも見える瞳だった。綿密に仕事をしながら、狂信者じみた信仰を持ち合わせている男に、これ以上言い合いしてもしょうがなかった。ガロは手探りの言葉すらも見失っていた。入店した時にはあれだけ溢れていた怒りはガロから失われていた。目の前の亜人が、怒りも敵意も届かない、遠いところにいる気がしていた。

 最後に、ディアゴスティーノは息子に言い聞かせる父親のように、小さく、厳格に告げた。

「失せろ」

 わずか数分で、ガロは自分が荒野に放り出されたにも等しい状況にあることを理解していた。


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