第三章 Fall In Line

売られた少女

 ──数日後、ダニエルズからベクテルへと向かう山道


 一台の幌馬車が狭い小道を走っていた。馬車のコーチ※には親子3人がのっていて、彼らはこれから新しい商売を始めるためにベクテルへと向かっていた。

(コーチ:馬車の先頭、人が乗るところ)

 季節は春を迎え、道端には山菜や花が姿を見せる季節だった。父と母に挟まれるようにコーチに乗っている少女は、そんな花々の名を隣に乗る父親に質問していた。父親は、適当に思いついたふざけた名前を言いながら娘を笑わせる。

 のんきな夫に心配しながら妻が訊ねる。「ねぇアナタ、ちょっと馬車が揺れすぎじゃない? それに随分とへんぴだわ。ホントにこの道であってるの?」

 ダニエルズからベクテルという五王国一の大国に向かおうというのに、道は舗装されておらず、幅は狭く馬車一台でもう余裕がなくなるほどだった。

「間違いないさ。ここが近道なんだ。俺は以前にもこの道を通ってベクテルに行ったことがあるんだから大丈夫だって」

「ホントに? アナタ、時折堂々とやらかすことがあるから心配よぉ」 

「何だよぉ、夫のことが信じられないのかぁ? まったく悲しいもんだよ……。」父親は娘に顔を寄せて甘い声を上げる。「でも、マリンはパパのこと信じてくれるよなぁ?」

「うんっ」

 しかし実際には少女・マリンは木の上にいたリスを目で追うことに夢中で両親の話を聞いていなかった。

 父親が少女に訊ねる。「マリンはベクテルに着いたら何がしたい?」

「ん~、ベクテルにはお菓子でできたおウチがあるんでしょ? わたし、そこに行きたいっ」

「……アナタ、そんな事吹き込んだの?」

 どうりで、娘が故郷を離れることをグズらなかったはずだ、と妻は呆れ返った。

「いや、あるさっ。なんてったってベクテルなんだからなっ。それはもう、お菓子でできた家も宝石でできた家も何だってあるさっ。そうに決まってるんだっ」

「えっ? 宝石でできたおウチもあるのぉ?」

「そうだよぉ~」と、父親がまた猫なで声を上げる。

「アナタっ」

「いや、宝石の家っていうか、ほぼ宝石の家とかな? そりゃベクテルの貴族は五王国で一番裕福なんだし、法術やら科学やらでそんなものだってこしらえちゃうのさ」

 父親は自分に言い聞かせるように、そうに違いないんだからと言った。

「まったく……。あら?」妻は目を細めて道の先を伺い、夫の肩を叩く。「ちょっと、アナタ……。」

「ん? ……おやっ?」

 道の向こうには、ボロをまとった物乞いらしき男が倒れていた。このまま馬車を進ませると下敷きにしてしまう。

 夫は手綱を引いて馬車を停車させた。

「おーい、そこのアンター、そんなとこにいると危ないよぉっ?」

 夫は声をかけるが、倒れている男はピクリともしない。

 夫と妻は顔を見合わせた。

 夫が「仕方ないなぁ」と馬車から降りようとするが、妻がそれを心配そうに引き止める。

「大丈夫、生きてたら声をかけて道をあけてもらうだけだ。厄介事に巻き込まれるのはゴメンだからな」

 夫は馬車を降りて、倒れている男に近寄った。

「アンタ、大丈夫かい? こんな所で寝てると馬車に轢かれちまうぞ?」

 夫はさらに近寄り、死んでるのか? と呟いた。

「……悪いが、こっちも余裕のない旅なんだ。アンタを助けるのは無理だよ?」

 夫は倒れている男に最後の声をかけ、それでも返事がないために男を道の端に寄せようと服を引っ張った。すると──

「ア、アナタッ!」

「ん? ……なっ、何だお前ら!?」

 夫が馬車を振り向くと、妻と娘の両脇には盗賊が乗り込んでいた。盗賊たちは、妻と娘の首にナイフを当てている。

「くそっ……。」

 夫が家族に気を取られていると、倒れていた男が突然身を起こし、脅すこともなく夫の胸にナイフを突き刺した。

「ぐぅあ!」

 急所を刺され、夫は悶絶して倒れた。

「きゃぁあ!!」

 夫が殺される光景を見て妻は叫んだ。

「うるせぇなぁっ」

 女の首にナイフをあてがっていた強盗は、女の首を横一文字に切り裂き、そして馬車から蹴落とした。

 突然のことで、マリンは母がどうなったかを見ていなかった。

「ママ?」

 マリンの首にナイフをあてがっていた男が、母親を蹴落とした強盗に訊ねる。「こいつもやっちまうか?」

「いや、せっかくだから売れるもんは何でも売りさばいちまおう。カッシーマの娼館に持ってけばそこそこの金で売れるはずだ」

「ガキだぜ?」

「だからいいんだろうが」

 あまりにも突然で、あまりにも冷酷で、あまりにも当然のごとく行なわれた惨劇だった。強盗たちは一切の躊躇いも憐憫もなく少女の両親を殺し、少女を売ることを決めた。世界ではあるいは頻繁に起きる悲劇なのかもしれなかったが、そうであってもそれはあまりにも白々しすぎた。

 少女は自分の身に何が起きているのか理解できなかった。悲しむいとますらなく、泣き出すという選択肢すらなかった。両親の死も自分のこれからの運命も受け入れられず、少女はただ呆然と男たちにカッシーマへと無言で連れ去られていった。



 しかし、強盗たちがカッシーマに到着した後に娼館を回ったものの、少女を売り払うのは難航した。カッシーマの娼館の主たちは、彼らが強盗でマリンを攫った事を察して誰もが彼女を買い取ろうとしなかった。もし役人の手が及べば、強盗事件と誘拐事件の被害者としてマリンを保護して連れて行ってしまう。そうなれば、例え罪に問われなくても彼らには痛手にしかならないからだ。


「ウチも無理やぞ」

「そこをどうにか、この街で一番の有力者のサハウェイさんならなんとかなるんじゃないですか?」

 巡り巡って、強盗たちはサハウェイがたまたま訪れた店で彼女に直談判をしようとしていた。しかし、サハウェイもゴロツキ相手に会話すらしたくないらしく、彼らを目の前にして一切の一瞥もくれず、受け答えるのはサハウェイの部下がやっていた。

「やけん無理言うとろうが。お前ら露骨な上にガサツやもん。どげん辺境いうても、そげんおおっぴらにやりよったら、役人が来んとか思わんかったとや?」

 しかし、それにも強盗たちは呆けた顔で受け答えるだけだった。

 サハウェイの部下はため息をついて主を見た。しかしサハウェイは彼にも一瞥をくれない。部下はサハウェイの意図を察して、一言「帰らんかい」とだけ言い放った。

 強盗たちは途方に暮れて顔を見合わせていた。すると、ひとりがカウンターで飲んでいるガロに気づいた。強盗は仲間の肩を叩くと、ガロの隣に座り声をかけた。

「なぁガロ、どうにかなんねぇか? オメェならヘルメスとかにも顔が効くだろう? ガキをそっちでさばいてくれよ?」

 しかし、とうのガロは酒で顔を斑に赤くさせカウンターに突っ伏し、返事もおぼつかない様子だった。

「おいおい、どうしちまったんだよガロ? お前ともあろうモンが深酒か?」

 カウンターの店主が食器を拭きながら嘲る。「無駄だよ、そいつは女衒としてはもうお払い箱だ」

「なんだって? またどうして?」

 女衒のガロといえば、彼ら強盗にとっても名を知られた存在だった。驚いて盗賊はガロを見る。

 しかし、ガロは呻いているのか悪態をついているのか分からない声を上げるだけだった。

「そいつ、ヘルメスの縄張りを根こそぎ奪われたんだよ。もう商売ができねぇのさ」 

「根こそぎって……いったい何があったんだ?」

「さぁ、だが相手は亜人だって話だ。情けねェ野郎だぜ、亜人になんかにしてやられるとは」

「う……るさいぞ」

 ガロがようやく声を上げた。しかし、本人も誰に言っているのかわからないようだった。

「亜人っていうからには、エルフとかじゃあねェよな?」

「もちろん、相手はフェルプールさ」と、店主が答える。

「フェルプールに……。」

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