動き出す女たち
その後、アンデルセンの娼館は彼の息子が引き継ぐことになり、主人を失ったホールデンの娼館をサハウェイは自分の傘下におさめようと手を回し始めていた。
そんな折、サハウェイの娼館を一人の客が訪れた。ミラだった。
「貴女、確かホールデンさんところのコよね? どういったご用件かしら?」
執務机の前のサハウェイは、目を通した手紙を秘書に渡し、返事を書いてちょうだいと微笑んだ。
「で、何かしら?」と、サハウェイは部屋の中央に立つミラに訊ねる。
右手を腰に当て、まっすぐにサハウェイを見つめてミラが言う。「嫌な話を聞いたもんでね」
サハウェイは「嫌な話?」と首を傾けた。
「……ああ、ウチの店がアンタんところに乗っ取られるって聞いてね」
「……まずは、ホールデンさんのことをお悔やみ申し上げますわ。主を亡くして貴女たち従業員一同、悲しみに暮れているでしょう」
ミラはいけしゃあしゃあと語るサハウェイに対して思わず奥歯を噛みしめた。
「それでもこれはビジネスですから、早急に正当な手続きを踏んで仕事を再開する必要があります」サハウェイは机の上で両肘をつき、手を組んで手の甲に顎を乗せた。「ウチの組合は、加盟している娼館が都合で営業できなくなった場合、他の娼館が女たちの債権を引き継いで営業を再開できる契約になってるの。知らなかった?」
「……それは、債権を引き継ぐ人間がいなかった場合でしょう? 知らないとでも思った?」
ミラの様子に、サハウェイは姿勢を改めた。言いくるめられると思った小娘の思わぬ反応だった。
「ええ……そうね」
ミラはカバンから一枚の紙を取り出した。
「これに……ウチのとっつぁんが自分に何かがあった時、自分の店の経営をアタシに譲るって約束が書かいてあるの。遺言状っていうのかしら」
サハウェイが秘書を見る。秘書はメガネをずらしてその書状を見た。
「だから、ホールデンの店はこれからアタシが引き継ぐことになるわ。で、今日はその挨拶にと思ってね。同じ町だし、何より同じ女の経営者として、アンタにはまっさきにね」
唖然とするサハウェイとその秘書。ミラはそんなふたりの様子を見ると、「じゃあ」と部屋を出ていこうとした。
「ちょ、ちょっと待ちなさい」と、サハウェイがミラを引き止める。
「何さ?」と、扉に手をかけていたミラが振り返る。
「その遺言状……本物なの?」
「随分な言い方だね。アタシがアンタらをだまくらかそうとしてるってのかい?」
「そこまでいわないけど。でも、組合の今後の運営にもかかわる大事なことでしょう? だから、きちんとした確認をと思って……。」
「疑わしいってんなら、そこのセンセーにでも不備がないかチェックしてもらいなよ。確かホールデンは他の組合の奴らにも、アタシのことは話してるって聞いてるから、確認してもらったら?」
サハウェイには覚えがなかった、困惑して再び秘書を見る。
「ホールデンは、自分の身に何かあるかもしれないって予感してたみたいだからね。
「あら……そう」遠まわしに挑発されたサハウェイは、左まぶたを小さくヒクつかせミラを見た。「でも、やはりこの一帯で娼館の仕事をするなら、組合の承認は得ないといけないわよねぇ? 何の経験もなさそうな貴女が新しい経営者なんて、全員が納得すると思えないけど?」
サハウェイは感情を乱し、かつての自分のことを棚に上げていた。
「ああ、その事なんだけど、今後ウチの店は組合からは外させてもらうよ」
「なんですって?」
「窮屈で、しかも年寄りばっかの寄り合いじゃないのさ。しかも事故まで起こるとなったら、加盟するメリットなんかありゃしないよ」
サハウェイは席から立ち上がった。「貴女、そんなことをして、この界隈で商売が出来るとでも思ってるのっ?」
ミラは肩をすくめる。「別に、細々とやらせてもらうだけさ。アンタたちと競合して迷惑をかけたりはしないよ」
そしてミラはサハウェイに背を向けて扉の取ってに手をかけた。
「はんっ、驚いたわ、まさかホールデンみたいな年寄りに情婦がいたなんてね」サハウェイが言う。「貴女もなかなかやるじゃない、孤独な老人の心につけ込むなんて」
「別に……。」ミラが振り返った。「この世にゃあ、オメ×とイチモ×以外で繋がる男と女だっているんだよ。アンタにゃ想像も及ばないかもしれないけどさ」
そして、今度こそ本当にサハウェイの部屋を出ていった。
サハウェイは真っ赤な瞳で扉をしばらく睨み続けていた。
「さぁて、どうしたもんかねぇ……。」
ミラはホールデンがかつて座っていた執務机の上で頬杖をついていた。
「タンカ切っちゃってぇ、どうなっても知らないよぉ? あのサハウェイって姐さん、裏でそうとうド汚ねぇことやってるって話だし」と、ミラの正面に座るクレアが呆れ顔で言った。
「裏どころか表でも相当じゃん」
「まぁ、そうだけど……。で、これからどうするの?」
「う~ん、店そのものは売っぱらわないとダメだろうねぇ……。」
「え、どういうこと? 結局売っちゃうわけ?」クレアが驚いて素っ頓狂な声を上げる。
「まぁ聞きなよ」ミラはクレアをなだめるように言う。「アタシは他の奴らがやってるように手広くやるつもりはないんだよ。そんな野心もないしね。だからほそぼそとやっていきたいんだ。それに、そうやってりゃあ他の娼館の奴らに睨まれることもないし」
「そりゃそうかもしれないけど……。」
「で、その元手で手頃な旅籠屋でも始めようかなって。もちろん娼館と兼ねてる奴を」
「でも、もし今より手狭になったらどうするの? 客はもちろん、女たちも入りきれないんじゃ?」
「女たちのほとんどの借金、この際減額しようかなって」
「ええ!? アンタ聖人にでもなったつもりぃ!?」再びクレアが素っ頓狂な声を上げた。
「だから落ち着きなって。この店に今いる女たちは結構とうが経ってるからね。娼婦として働いてもらおうったってこの先難しいじゃん。いい女はだいたいサハウェイのところにいるし。だから、娼婦としては雇えないけど従業員としてなら雇えるんじゃないかって。そうすれば、客室だって女ごと客ごとに割り当てる必要ないでしょ?」
「う~ん……。」
クレアは腕を組んで考え込んだ。未だ懸念があるようだった。
「それでさ……。」と、クレアが顔を上げて言う。
「うん?」
「店をやっていけるの? せっかく店継いだのに、ジリ貧で結局潰しちゃうんじゃ?」
「……例えばさ、クレア。アンタ、金に余裕があるとき何食べる?」
「え? そりゃあ新鮮な肉とか魚の料理を食べるかな?」
「じゃあ、金がないときは?」
「そりゃあパンとチーズで我慢さ」
「それなら、普段何食べんのよ?」
「普段? 普段だったら……まぁシチューとかじゃない? 適当に材料つっこんだ」
「それよ」
「……どういうこと?」
「この界隈には金がある奴らが行く娼館はある、金がない奴らが行く場末の女郎宿もある。でも、そこそこ金がある時に、それこそシチューにあたる場所はないでしょ?」
「あ~~」
「アタシはね、そういうところ狙ってビジネスを展開しようっての。経費を抑えて、そこそこの値段でそこそこの女たち。殊さら良いわけじゃないけど悪いわけでもない、そんな店よ。酒は偽物でも酔いは本物なんだから、うまく盛り上げてそういう場所を提供しようって感じかね」
「そっか……。いける……かもね」
クレアは腕を組んで何度も頷いた。
「でも、それだけじゃあダメなんだよね」
「どういうことさ?」
「人が足りない」
「どういうことさ? 人を減らすんじゃないの?」
「もちろん。でも、人を減らすけど……あくまでそれは娼婦としての女たち。店を動かすには、もっと違う形で女を集める必要があるんだよ……。」自分の話に難しく考え込んでいるクレアに、ミラは微笑んで付け加えた。「とりあえず、この地区にいる面白い女がいたら教えてよ」
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