女たちの拠点

 一ヶ月後、ミラは隣町の地主の家を訪ねた。そこには、ホールデンの娼館から転売されたアリシアがいた。

「何のつもりさ」

 買い戻されたアリシアは不満げに馬車の荷台に乗っていた。

 馬車を運転しながらミラが言う。「ウチでまた働いてもらおうと思ってさ」

「はぁ? アンタ頭大丈夫?」

「記憶力はいい方でね。アンタ、ホールデンのところで前に言ってたでしょ? 男を落とす手練手管はいくらでも身につけたって」

「そのご自慢の記憶力、どうやらあてにならないみたいだね。大事な所が抜け落ちてるよ」

「肝心の体がお払い箱ってこと?」

「……アタイが悪かったよ。ならどうしてそれを承知で買い戻そうと」

「その手練手管ってのはアンタの体に染み付いてるんだろう? だとしたら、それを若い子達に教えてやって欲しいんだよ」

「……ゴメンだね」

「ただってわけじゃない。アンタが下働きで稼げるよりも多く出すし、何よりアンタにかかってた借金はこちらで肩代わりしてるから、それを利子なしにしたっていい。言ってみればアンタはこれから借金抱えたただの女ってわけ。ウチで働きたくなけりゃあ別にいいんだけど、せっかく身につけた技術があるんなら、それを利用して金を稼いだ方が返済もうまくいくと思わない?」

「何が目的だい?」

「深く考えなくていいよ、アタシは適材適所で自分の店を経営していこうって思ってるだけ」

 気に食わないという表情で、顔をそらしたアリシアだったが、自身が必要とされているということに悪い気はしなかった。

「ところで……。」と、アリシアが周囲を見渡す。「どこまで行くつもり? とうに店は通り過ぎてるんじゃないの?」

「ああ……店は売っぱらった」

「なんですって?」

「新しいアタシらの城へ案内するよ」



 そうして着いたのは、身寄りのない金持ちがつい棲家すみかにした、ボロボロの別荘だった。

「冗談でしょ……。」と、アリシアが首を振りながら呆れる。

 窓は全て破れ、屋根には穴が空いていた。作りが丈夫だったために、かろうじて建物の骨組みに老朽化が見られなかった。

「もちろんこのまま使わないよ。大工のアンちゃんたちに手伝ってもらいながら、ウチらで補修作業をしてんのさ」

 ミラの言うように、男に混じって女たちが大工仕事を手伝っていた。

 屋根の上で雨漏りの原因の穴を塞いでいた女が、「お~い、終わったよぉ。受け止めてぇ~」と言った。茶色の髪をサイドテールに束ねた、十代後半のやや背の高い女だった。

「おっけ~」

 下では、その女と近しい年齢のふたりの女が立っていた。ふたりはマットレスを広げて彼女を受け止めようと待っていた。

「もうちょっと右ぃ~」と、屋根の上の女が言う。

「え? 右? それだとズレない?」と、マットレスを持つ巻き毛の女が首を傾けて訊ねる。長い銀色の前髪がはらりと流れた。

「いや、これで大丈夫っしょ~?」と、屋根の上の女。

「アンタ、目ぇ良かったっけ~?」と、巻き毛の女が訊ねる。

「な~に~? 聞こえない~」と、屋根の上の女。

「分かったよ~、じゃあ飛び降りてきなぁ~」と、巻き毛の女が言う。

 しかし、屋根の上の女は決心がつかず中々飛び降りてこない。

「早くしなよ~、日が暮れちまうよ~」と、巻き毛の女が急かした。

 しかし上の女は屋根のヘリまで行っては戻り、何度も飛び降りるのを躊躇ちゅうちょしていた。

「あ~ん、やっぱり無理~」と、とうとう屋根の上の女は座り込んでしまった。

「おいテメェ!」ボブカットの女が突然叫んだ。「カマトトぶってんじゃねぇ! マン○ぶら下げてメス!って生まれたんならちったぁ根性見せろや!」

 黒髪のボブで、体は他のふたりに比べると華奢で、一見すると幼く見えた。しかし、その外見とは裏腹に、女は巻き舌の啖呵たんかを屋根の上の女に切った。

「ちょっとリタ、落ち着きなって……。」と巻き毛の女が言う。

「だって~」と屋根の上の女。

「……まったく、ありゃダメだ」と、巻き毛の女がボブカットの女に言った。

「いつまでこうしてろっての……ん? あ、ミラ姉っ」と、ボブカットの女がミラに気づいた。

「あ、おかえりミラ姉っ」と、巻き毛の女も振り返り、そしてマットレスから手を離した。「どうだった? ああ、その人が言ってたスゴ技の娼婦って人?」

 ふたりともマットレスを地面に置き、ミラの方へと駆けていった。

 下のふたりがいなくなったことに気づいていない、屋根に取り残された女が目を閉じながら言う。「よ~し、じゃあ思い切っていくよ~」

 そして女は飛び降りた。

 ミラの元へ行っていたふたりは、地面からドスンという音が聞こえて振り返った。

「あ、やばい……。」

 後ろでは、背中を仰け反らせた女が悶絶していた。

「がああ……あ……。」

「アンタたち何やってんの?」と、ミラが痛ましい顔で言う。「まぁ、何が起きたかは予想がつくけど……。」

「なんだい、このさわがしい三人は?」と、アリシアがミラに訊ねる。

「髪の短いのがリタで、巻き毛の子がトリッシュ、向こうでもんどりうってるのがミッキーだよ。三人ともうちで働いてもらうんだけど、借金のカタってわけじゃないんだ」

「借金じゃないって……まさか自分から?」

「そ、働きたい理由は色々だけど、やっぱり針子やらの下働きに比べたらすぐに稼げるからね」

「わざわざ自分からこんなとこ来るなんて……奇特な娘たちだね。どうしてこの子らは街の娼館で働かないんだい?」

「まぁ……色々あってね……。」と、ミラは気まずそうに言った。

 若く、器量が良いのに大きな娼館を追い出されている。アリシアは三人がワケアリなのだと理解した。

「おーい、ミラーっ」

 そこへ、屋敷から出てきたクレアが手を振りながらやってきた。

「あ~クレアっ」

 青みがかった黒い長髪のクレアは、スカートの裾をまくり上げてミラの下へ駆け寄ったが、ミラの隣にいるアリシアに気づくと一転して「あ……アリシア」と気まずい表情になった。ミラとアリシアが険悪だったことは、ホールデンの店の者なら周知のことだった。

 そしてそれはアリシアも同じことだった。アリシアは意味深な態度で「久しぶり」とクレアに挨拶をする。

「……久しぶり」

 ミラがクレアに訊ねる。「で、どうしたのさ? そんなに急いで?」

「うん、先日言ってた隣町の“面白い婆さん”ってのに来てもらったんでけど、それが……。」

「ちょっと、クレア。私は面白い女がいたら教えてって言ったけど、見世物小屋をやりたいってわけじゃないんだから、変人奇人に声をかけるのはやめてくんない?」

 それにクレアは気まずそうに目をそらした。

「アンタもしかして……。」

「ま、まぁ取りあえず会ってみなよ」クレアが慌てて言う。「せっかく来てくれたんだからっ」

「居座って帰らないってことないだろうね」

 クレアはそれに首を傾げて苦笑いをして答えた。ミラは首を振ってため息をついた。



 ミラが屋敷に入ると、改装中の居間の真ん中の椅子に独特の雰囲気を醸し出している老女が座っていた。

 真っ白な髪ももちろん、服装も奇妙だった。白いローブのようでもあるが、服として仕立ててもあり、布地には黒い花の柄があった。どうやら異国の服のようだった。

 ミラがクレアを見ると、クレアは伺うように老女に声をかけた。

「……お竜さ~ん」

 老女が振り向いた。

「……あ」ミラは驚いて小さく声を上げた。


 正確に言うと、それは老女ではなかった。もとい、男か女かも分からなかった。そもそも、人間ではなかった。白く長い髪のため、鱗のある顔のため、遠めに見るとシワとシミに覆われた老婆のように見えていたのだ。

 そこにいたのは、遠い東方の島国に生息する亜竜人リザードマンだった。


 “お竜”は席から立ち上がると、ふたりの元へ歩いてきた。近寄ると、いっそう人外の者だという事が際立った。

 正面に立ったお竜は琥珀色の瞳でミラを見つめる。ミラは射すくめられたように動けなくなった。

「仕事があるって聞いたんだけど?」

 性別の判断がつき辛かったが、その口調からは女のようであり、しかし声は男のようでもあった。

「え、ええ、そうね」ミラが言う。「店を開くから特技のある女を探してたんだけど……。アンタ……女だよね?」

「……え?」

「細かいことは気にしないでちょうだいな」そしてお竜は腰の刀を指で撫でた。「腕が立つが必要でしょう?」

「ええ……。そりゃあのも必要だけど……。」

「ウチの社長が言いたいのはぁ」と、クレアが横から割り込んできた。「アンタの腕は確かか? てことさ」

 慌ててミラはクレアを睨むが、クレアは「だってそうでしょ?」と悪びれない様子だった。

 お竜は目を細め首を傾けた。表情に乏しいリザードマンの顔からは、彼女が怒っているのか気落ちしているのかがわからなかった。

 そこへ大きなアブが二匹飛んでいた。室内だったが、山の麓にあるため、また窓が壊れているために入ってきたようだ。

 お竜は琥珀色の瞳を細めてアブを見ると、抜刀して空中でひと振りした。

 目の前を走る閃光に、ミラは思わず目を閉じる。

 お竜は刀を床に突き刺し、その先端を見るようにミラに促した。

「ん? ……うわっ」

 刀の先には二匹のアブが突き刺さっていた。抜刀からのひと振りで二匹を仕留め、しかも一突きで床にまとめて突き刺していたのだ。

 お竜が納刀して言う。「まだ説明が必要?」

 ミラは感心して言った。「……十分さね」

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