死に方

 寄合が開かれたのは、かつてサハウェイが娼館の経営者として承認され、そしてヒョードルが全てを失った食堂だった。

 中央に座るのは、ヒョードルから娼館を奪う際、サハウェイの後見人になった最年長のアンデルセンとその息子スヴェン、そしてその横にサハウェイが座っていた。

 寄合が始まってから、サハウェイもアンデルセンも、そしてテーブルに他の娼館の経営者たちも、ホールデンの動向を気にしていた。

 最年長のアンデルセンが口を開く。「今日は……ホールデンが話があるという事なのだが……。」

 しばらく周囲の視線を浴びてからホールデンが話し始めた。

「今日……集まってきた方々には、すでに話が行っていると思うんだが……。」ホールデンはサハウェイを見る。「そこのサハウェイ女史が去年から推し進めている、このカッシーマの事業拡大の件……ワシは反対だ」

 アンデルセンの言うように、すでに予想していた話だったので、多くの経営者たちは冷静だった。しかし、最年長のアンデルセンに同席した彼の息子・スヴェンは不満げに舌打ちをした。

「時代の波には抗えん。特に、ワシらの仕事に対する世間の見方も変わってきた。今まで通りの仕事を続けたら、いずれ王都の連中に睨まれるのは時間の問題、ましてや事業の拡大など……。ワシらは元来日陰モンだ。日陰者ならば分を弁え細々とやっていくべきではないだろうか……。」

「とはいってもホールデンさん」サハウェイが意見する。「貴方の仰るように細々とやっていっては、いずれ私たちの仕事は先細るばかりです。一つの畑から永遠に作物が作れるわけではありません。私は別に、野心から事業の拡大を推し進めているわけではありませんのよ? 前進することでしか、衰退を防ぐことはできないんです」

 一部の経営者たちが気難しそうにうなずいた。

 サハウェイの話しを黙って聞いた後、ホールデンは足元のカバンから資料を取り出しテーブルの上に置いた。

「ワシの所の帳簿だ……。」

 そしてホールデンは、その帳簿を隣の経営者たちに回し始めた。経営者たちは、利益の上がっている彼の店の帳簿に目を大きくする。

 経営者の一人が訊ねる。「ホールデンよ、これは……?」

「ウチの店は最近経営方針を変えてな……。女に腰を振らせるだけじゃない、無駄な経費を抑えたり、別のサービスで利益を増やしとるんだ」回ってきた帳簿を見ているサハウェイにホールデンが言う。「サハウェイよ、何も女を増やして店を増やすが娼館の仕事じゃあないだろう。古いやり方にこだわっとるのは、むしろお前の方じゃあないのか?」

 サハウェイが読み終わった帳簿を掲げながらほくそ笑む。「雀の涙ね」

「なんだと?」

「確かに収益は上向きかもしれませんが、私が推し進めている計画に比べれば、家計のやりくり程度の話ですわ」

「それはそうかもしれんが……しかし、店を広げるならば女も必要だ。そのために女をどこから連れてくる? よもや、ひとさらいや人身売買をやるつもりか」

「人身売買だなんて人聞きが悪い。負債の返済ですよ。借りたものを返す、当然のことです」

「親の借金を子に背負わすのもか?」

「親の責任は子の責任、逆もまたしかり」サハウェイは呆れたように高い声で一笑してから言う。「ねぇ、今さらこんなことを話すのはよしませんこと? 貴方だってこれまで散々手にかけてきたことじゃありませんか。お世辞にもきれいとは言えない過去でしょう? 貴方のやってきたことで、一体どれほどの女の涙と男の血が流れたというのです? それとも、その御歳になって信仰に目覚めたとでも仰るの? ホールデンさんが改心して悔い改めるのはご自由ですが、それで私たちの事業に口を出すなんて、随分と勝手じゃありませんか」

「そんなんじゃあない……。」ホールデンは経営者たちを見渡して言う。「だがお前たちに訊きたい。さっき言ったように、ワシらは流れ流れてこの仕事に就いた日陰モンだ。どんなに自分に言い聞かせたって、母子の涙に背ぇ向けてきたのは心地良いもんじゃなかったはずだ。だがワシらはこういうやり方でしか成り上がることができなかった。持たざる者だったんだからな。しかし、たとえ流れには逆らえなかった人生だったとしても、死に方くらいは自分で決められる。もし他にやり方があるなら、ワシは陽の光を拝んで終わりたい」

 経営者たちは黙っていた。サハウェイも黙っていたが、彼女の沈黙は男たちとは違った。

 最年長のアンデルセンが口を開く。「ホールデンよ、お前の言いたいことは分かった。確かに、ワシらはこれまで通りでやっていくわけにはいかん。それがサハウェイの言うやり方なのか、お前が言うやり方なのか……もう少し検討する必要があるのかもしれん」

 サハウェイが目を見開いてアンデルセンを見る。

「いずれにせよ……。」そのサハウェイの視線に気づいたアンデルセンが言う。「急激な変化に迫られている。だが大胆な変革でも、ワシらが追い付けなければ意味がない。今一度、どちらのやり方がワシらに向いているか考え直してもいいだろう」

 サハウェイはアンデルセンの息子、スヴェンに目配せをした。

「親父」と、慌ててスヴェンが意見する。「そりゃあよぉ、親父たちの世代はこれから終わってくかもしれねぇけどよ、俺らはこれからがあるんだぜ? これから先細っていくこの稼業を継ぐ俺らの身にもなってくれよ。親父たちは好き勝手やって、俺らには倹約だのなんだの、生き残るためにせせこましくやれってのかよっ?」

「だからワシはお前にこの稼業を継がせるつもりはなかったと言っとるだろう」

「なっ?」

「この稼業、明日はどうなるか分からんどころか界隈すら危うい。他の兄弟のように、堅気の仕事につけと言っていたのに……。まっとうに働かずに楽をしようとしたのはお前だろう」

「お、親父、こんなところでやめてくれよ……。」スヴェンは顔を真っ赤になっていた。

「そんなお前になら」アンデルセンはテーブルの上のホールデンの店の帳簿を取った。「ここから学ぶことも多かろう」

「う、ぐ……。」


 その後、寄り合いはお開きとなり、食堂では宴が開かれた。

 娼館の経営者たちは、数年前までは子供や妻の話や自身の仕事の先行きの話をしていたが、高齢化が進んだ今では、患っている病気や医者の話や親しい人間の死を話題にするようになっていた。

「さぁ皆さん、飲んでくださいなぁ」

 サハウェイが酌をして回る。この界隈では屈指の経営者となりつつあったサハウェイだったが、こういった役割は年少で、しかも女の彼女の役回りだった。

「サハウェイ、俺にも頼むよ」と、スヴェンが杯を掲げる。

 サハウェイは持っていたのとは別の酒瓶を取ってスヴェンの杯に注いだ。

「おいおい、何で酒を変えるんだ?」

 サハウェイが周囲を少し気にしつつ言う。「高いお酒ですもの、古株の皆さんから回さないと……。」

 スヴェンはチェッと舌打ちして杯を飲み干した。


 宴が終わると、娼館たちの経営者はそれぞれ帰路についた。

 酒豪の男たちのはずだったが、特に年長組のアンデルセンやホールデンは酔いつぶれていた。

 ホールデンが馬車に乗り込んでいると、サハウェイはスヴェンを見て頷いた。スヴェンは酒が入っているというのに青ざめた顔でサハウェイに頷き返した。


 深酔いしていたホールデンは、馬車の激しい揺れで目を覚ました。

 まったく、以前ならこの程度でこんなに酔うことはなかったというのに。ホールデンは寄る年波にうんざりしながら頭を振って、痛む側頭部を軽く叩いた。

 いったい自分はどれくらい眠っていたのだろうか、体感では結構眠ったはずだがまだ自分の店には戻っていないのか。それ以上に、ホールデンは馬車がやたら揺れていることに気づいた。彼の知る限り、寄り合いの店から自分の店まで、こんなにも整備されていない道はなかったはずなのだが。

 ホールデンは馬車の窓の外を見た。見慣れない山道だった。

 ホールデンは馬車の中から御者に声をかける。「おい、御者っ。いったい今どこを走ってるんだっ?」

 だが返事がない。

 ホールデンは馬車ののぞき窓から御者を見る。

「お前……誰だ? 見たことないやつだな?」

 御者はホールデンに話しかけられているのというのに見向きもしない。

「おい! どこに行ってる!? なんのつもりだ!?」

 ようやく御者はホールデンを見た。目を見開き、覚悟を決めたような顔つきだった。

「お前……?」

 そして御者は馬車の運転席から飛び降りた。

「何!?」

 ホールデンは馬車から転げ落ちた御者を見ていたが、馬車の進む方向を見て仰天した。

「まさか……。」

 馬車は崖に向かっていた。

「クソっ!」

 ホールデンは馬車の扉を開けようとするが、扉は少し開いたものの外からつっかえがしてあるようでそれ以上動かない。馬車の窓を蹴り破ろうとするが、よく見ると窓には目の細かい金網が張ってあり、ガラスが割れても外には出れなかった。

「くそったれ……。」

 ホールデンは小さく呟いた。

 そして、馬車は谷底に真っ逆さまに転落していった。


 同時刻、サハウェイは爪をヤスリで研ぎながら報告を待っていた。

 そして、スヴェンの使いからアンデルセンが急病で死んだことを聞かされると、「死に方も自分で選べなかったわね」と、磨き終わった爪に息を吹きかけた。

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