他愛もない愚痴
決闘騒ぎの後、ミラとクレアはふたりで洗濯物を干していた。
黙々と仕事をこなしていたクレアだったが、ふと娼館の前の通りを見てその手を止めた。
クレアの異変に気付いたミラが、クレアの視線の先を見る。そこには、豪商人の家族がいた。家族はミラたちの娼館の斜向かいにある家具屋に入って行った。
「……見た今の?」と、振り向いているミラにクレアが言った。
「見たって……何をさ?」と、ミラが訊ねる。
「あの金持ち一家の娘」
「娘?」
「ちょ~不細工だったじゃん!」
「え? あ~そうだね、お世辞にも良い造りとは言えなかったね」
「絶対客なんかつきっこない顔してたね」
「いや、客つかないって……あの娘はそんな必要ないじゃん」と、ミラは呆れてクレアを笑う。
「いやさ、たとえばよ? もし仮にあの家が事業に失敗して、娘を売っぱらわないといけなったとして娼館に来ることになったらさ、転売されまくって最後はお荷物扱いで安宿の飯炊き女か針子になるしかないよ。それか男に混じって塩坑か炭坑いきだねっ」
「かもね」
「
友人の妬みからくる無意味な妄想に、ミラはひたすら苦笑いをするばかりだった。笑うしかなかった。理不尽な不公平──揺り篭から墓場まで親の財力の恩恵で永遠に少女でいられる女がいれば、産まれてからすぐに親の借金を背負わされ、初潮を迎える前から娼館で大人の洗礼を受ける女がいる。何の因果もあろうはずがない。それでも何かしら答えを求めるならば、ただくじ運がなかったというだけである。
「女としてなら、絶対アタイの方が上だっていう自信があるんだけどなぁ」そう言ってクレアは
「そうだね……。」
「器量なしで金持ちの家に生まれるか、美人だけど貧乏人の家に生まれつくか……。」そこまで言うと、クレアは思い直して話題を変えた。「そういや、あのじいさん勝つと思った?」
「まさか」と、ミラが答える。
「勝ってくれたらねぇ……。」
「勝ったらどうなってたのかな?」
「そりゃあ……まぁ、あんまり変わんないか。少なくとも、アタイらの生活は」
「そりゃそうさ」ミラは淡々と洗濯物を洗う。
「何があれば変わるかねぇ……。」
「例えば……白馬の王子様とか?」ふざけたようにミラが提案する。
「現実的じゃないねぇ……。」
「じゃあ、金貯めて自由の身になるとかさ」
「その頃にはもう年よりだよ。やり直すにはとうが過ぎてる。それに、下手に頑張りすぎたら孕んじまうよ」
「なら、博打で大穴当てるとかは?」
「……どっちにしろ夢物語じゃないのさ」
「じゃあ、どうしようもないか……。」
「どこからか大金が転がり来るなんて、よほど日頃徳を積んで、それで神様が恵んでくれるかくれないかってレベルでしょ」
ミラの手が止まった。
「ちょっとミラどうしたの?」
「ああ、いや、なんでもないよ」
「ふ~ん……ん?」クレアがミラの後ろの通りを再び見た。
「今度は何さ……あら」
ミラが振り返ると、そこには近所の農家の女が、卵を入れた籠を携えて立っていた。
「あらぁ、ケリガンさ~ん」
ミラは声色を高くして、エプロンで手を拭きながら庭の柵まで歩いて行った。
ミラは農家の女と雑談を交わすと、卵を受け取りポケットから硬貨を出して女に渡した。
戻って来たミラにクレアが言う。
「アンタ、別に卵なら間に合ってるでしょ?」
「あそこのお宅、旦那さんが病気で寝込んでるらしくてね。困ってるみたいだったから、たまに買ってあげてるんだよ」
「か~っ」クレアは額に手を当て首を振る。「アンタさぁ、んなの方便かもしれないでしょ? 寝込んでるけど酒の飲み過ぎとかさぁ、聖人にでもなったつもりぃ?」
「そんなんじゃないさ。でも、まぁホントだったなら助けてやるに越したことないだろ? 騙されてたなら騙されてたで、アタシが歯がゆい思いをすればいいだけさ」
「アンタのそういうところわかんないねぇ」
「何もいいカッコがしたいわけじゃないよ。恩ってもんは、売っときゃどこかで巡り巡っていつか戻ってくるかもしれないだろ」
「どうだか……。」
「おいミラッ」
そこへ、娼館の主のホールデンが声をかけてきた。
「何さ、ホールデン?」
「すまんがそれは後回しにして、ワシの部屋の帳簿の整理をしてくれんか」
「別にいいけど……いつもの手伝いのアンチャンはどうしたのさ?」
「書類の束を持ち上げるときに、ぎっくり腰やりやがった。ワシより二まわりも若いというのに情けない」
「ふ~ん」
ミラはホールデンの言いつけどおり、彼の部屋に溜まった書類の整理を始めた。書類の中に金や権利書といった重要なものが挟まれていないかどうかを確認した後、紐で束ねてゴミに出すという簡単なものだった。
しかし、ミラはそうやって帳簿を整理している中で、店の金の流れに違和感を持った。不正というわけではなく、妙に無駄な流れが多いのだ。雑貨店での買い物の仕方、業者から外注している建物の補修などなど、ホールデンを無能な経営者とはいはないが、それでももう少し気を使えば節約できるところが多いようにミラには思えた。
その晩、ホールデンは娼館の台所での騒ぎを聞きつけて台所へ向かった。そこでは、ミラと厨房の給仕長が言い合いをしている最中だった。
ホールデンが割って入る。「なんだ、どうしたってんだ? 揉め事はゴメンだぞっ」
給仕長がホールデンに訴える。「聞いてくださいよホールデンさんっ。ミラの奴がとんでもないことしでかしやがったんですよっ」
「なに? ミラが?」
ミラが肩をすくめて言う。「大げさじゃないっ。ちょいと酒を弄っただけだよ」
「なに? 酒を?」
「どうしてくれんだっ。客に出すんだぞっ」
「うるさい、落ち着かんかっ。一体どうしたんだっ。おい、お前代わりに答えろっ」ホールデンは隣にいた給仕に命令した。
給仕はしどろもどろに答えた。「いえ、あのぉ、なんといいますか、ミラさんが、お客にお出しするはずだったワインに……混ざり物を……入れまして」
「なんだと……。」ホールデンはミラを睨んだ。「どういうことだ? 答えようによっては稼ぎ手のお前と言っても容赦せんぞ」
ホールデンに睨まれたミラはため息をついて瓶から杯にワインを注いだ。そしてその杯を無言でホールデンに差し出す。
「……なんだ? 飲めってか?」
そう訊くホールデンにミラは頷いた。
ホールデンは杯の酒を飲むと何でもないように言った。「ただのワインじゃないか。これがどうしたんだ?」
給仕が恐る恐る言う。「それ、ミラが混ぜ物を入れた奴なんですけど」
「なにっ?」
ミラが言う。「混ぜ物っても、水でかさ増ししたわけじゃないさ。果実の汁とか安物の蒸留酒を混ぜたんだよ」ミラはテーブルの上の酒瓶を見渡す。「最初はきちんとしたワインを出して、酔いが回ったら安物を出すってのはどこもやってるけどね。でも最初からバレない混ぜ物出して、さらに客が酔ったら混ぜものの割合を増やせば、酒代をかなり浮かすことができる。特に、娼館の客にサービスで出すくらいだったら、最初から混ぜ物ばかりの奴を出したって文句はないはずさ」
ホールデンが言う。「なぜこんなことを?」
「別に、こうすれば日々の酒代を浮かせられるって思っただけだよ。今日帳簿見せてもらって気づいたんだけど、問屋からまとめて買う場合は安く済んでるのに、酒が足りなくなったら近所から買いつけてるだろ? それだけでも十分無駄な出費になってると思ってさ」
「アコギな真似しやがって。とんでもねぇ女狐だぜっ」と給仕長がミラをなじった。
「なんだって!?」
つり目がちのミラにとってその悪口は我慢できなかった。ミラは給仕長に食ってかかる。
「もういい、やめんかっ」と、ホールデンが仲裁する。
「ホールデンさん、良いんですか? コイツの好き勝手させて?」
苦々しくため息をついてホールデンが言う。「おい、ミラ。後でワシの部屋に来いっ」
「勘弁してよ~。」とミラが言う。
「うるさい。だいたいお前が蒔いた種だろっ」
「じゃあホールデンさん、この酒はどうします?」と、給仕長が言う。
「仕方あるまい。客に出せ」
「え、しかし……。」
「ミラの言ったとおり、酔客と娼館の客のサービスで出すだけにしとけ」
「は、はい……。」
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