ミラとパルマ
パルマの口利きで、ミラはホールデンから炊事洗濯を任せられるようになった。ホールデンがしばしばミラの事を訊ねてきたが、その度にパルマは「あの娘は成長が遅いみたいで……。」とはぐらかすようにしていた。
「おおい、嬢ちゃぁん」
ある日、ミラが娼館と併設されている酒場で給仕をしていると、酔っ払った客のひとりが彼女を呼び止めた。
ミラが盆を携えてその男のもとへ行く。「はい、ご注文でしょうか?」
「いくらだぁ?」
頬を赤くした男は、弛緩した顔でミラを見る。
「え?」ミラは男が手に持っている酒瓶を見た。「お酒のおかわりですか?」
「ちっげぇよ、オメェはいくらだって訊いてんだよっ」と、男はミラの手首を掴んだ。
「え? 私?」
「そうだよぉ、お前も娼婦なんだろ? だから俺が金で買うってんだよぉ」
「えっと、あの、その……。」
困惑しているミラのもとへ、滑り込むようにパルマが入ってきた。
「ごめんなさいねぇ、この娘はまだなのよぉ」と、パルマはミラと酔っぱらいの間に立つようにして猫なで声を上げる。
「はぁ? どうせ遅かれ早かれ客取らせんだろうがぁ?」
「そういうのは、ホールデンさんが決めるからぁ」
「じゃあ、ホールデンの奴に直接訊いてくるわっ」
「ちょっとちょっと……。」
すると酔っ払いの連れの男が口をはさんだ。「そいつ、若い娘が好みなんだよ。若いっつっても、本当にそれこそ10代前半くらいのな。ホントどうしようもねぇんだから」
「うるせぇなぁ、オメェだって若い娘が好きなんだろうがぁ」
「お前ほどじゃないさ。お前はもう病気だよ」
「ね、ねぇ、今夜は私が相手をするから、ね? いいでしょ?」
「はぁ? ババアに何か興味ねぇってのっ」
「言っとくけど、若い娘にはないテクニックってのがあるんだからぁ」侮辱されてもパルマは客に穏やかに微笑みかけ、さらに男の手を取って娼婦用の胸の空いたドレスの谷間に潜り込ませた。「それに……若い子の胸だとこんなに柔らかくはないでしょ? 青い林檎は硬いし酸っぱいわ」
それでも男はミラの方ばかりを見ていた。
「じゃあ、今日は半額でいいわ。どう?」
「え、いいのか?」
「ええ、後でホールデンさんには私から言っとくから」
酔っ払いの連れが言う。「おいおい羨ましいな」
パルマは「お兄さんはまた後でね」と、手を小さく振って酔っ払いと客室に消えていった。去り際に、ミラに小さくウインクを向けて。
ふたりの男の相手をした後、パルマは台所で洗い物をしているミラの所へやってきた。
「あ、パルマさんっ」と、パルマに気づいたミラが言う。
パルマは微笑んで答えた。
「パルマさん、大丈夫でした?」
「いつもどおりの仕事よ、なんてことないわ」
「でも……。」
「いいってば。ところで、客が残したお酒が余ってないかしら?」
「あ、ありますよ」ミラは葡萄酒の酒瓶を取り出した。「けど……あんまり残ってなくて」
「大丈夫」
パルマは棚にあった安い蒸留酒と料理用の果実の汁を取り、それを葡萄酒に混ぜた。
「こうすれば結構飲めるのよ」パルマは得意げに混ぜ物をされた酒を飲み干した。「やりようによっては、普通の葡萄酒よりもおいしいんだから」
ミラはうなずくと、パルマのために食事を用意し始めた。
食事を前にしてパルマが言う。「貴方も食べなさい」
「え?」
「ひとりで食べるなんて味気ないでしょ?」
「ええ、まぁ……。」
ふたりはテーブルを囲んで食事を始めた。残り物の、野菜の端切ればかりが浮かんだまかないもののシチューと硬い黒パンといったみすぼらしい食事を囲むふたりは、しかし同じ赤毛の女だったので一見すると親子のようにも見えた。
「赤毛なのに直毛ってのは珍しいわね」と、ミラを見ながらパルマが言う。
「え? ええ、お母さん譲りなんです……。」と、ミラは自分の髪の端を掴んだ。
「ふぅん……どんな人?」
「優しかったけど……いつもお父さんに殴られてました……。」
「ごめんなさい、悪いこと訊いたわね……。」
「いいえ……。」
「……ま、私たちはここに来た以上、あまり綺麗な過去があるとは言えないからね」パルマはミラの表情を確認しながら話す。少女の心に傷をつけないよう注意を払うように。「でも、過去はどうであれ大事なのはこれからだからね。もし困った事があったらこれからも私を頼ってちょうだい」
「良いんですか……?」
パルマは頬杖をついて微笑む。「もちろんよ。同じ境遇の女同士、助け合わなくちゃ。そうでなけりゃあ、掃き溜めにいる者同士で途端に奪い合いが始まるものよ」
ミラはパルマの話しを熱心に聞ききながら頷く。
「覚えておきなさい、情けは人のためにならずってのは、情けは自分の身を助けるものでもあるって意味なのよ。だからね、もし貴方がちょっと人より多く何かを、物でも才能でも持つようなことがあったら、少しでも人を助けることを忘れないようにね」
「はいっ。……あれ? じゃあ、パルマさんが私に優しいのは、何か理由があるってことですか?」
「そうねぇ、新人に恩を売っておけば、後々おいしい思いができるかな~ってことかしらね」
「なるほど~。」
「冗談に決まってるでしょ」
食卓を囲んで笑い合うふたりは、いっそう親子のように見えた。
「じゃあ私、片付けちゃいますね」
ミラは立ち上がって食べ終わった食器を取った。
「ああ、ちょっと……。」
パルマは自分の横を通り過ぎようとしたミラを呼び止めた。
「何です?」
パルマはミラの髪に手を伸ばした。
「……ゴミ」
そしてミラの髪をつまんで、手ぐしを軽く入れた。
「あ、ありがとうございます」
「うん……。」パルマは口角を僅かに釣り上げて言った。それは、微笑みというには複雑な表情だった。優しくありながらも、そこには影があった。
ミラはそのパルマの表情を不思議に思ったが、食器を片付けると、「おやすみなさい」と台所から出て行った。
ミラが去った後、パルマは台所にとどまりひとりで飲み続けていた。
入口の方で物音がしたので、パルマは「ミラ……。」と振り返った。
しかし、そこにいたのは同僚の娼婦のアリシアだった。
「何だ、アリシアか……。」と、期待が外れたような表情でパルマが言う。
「何だとはずいぶんじゃない」
「そんな意味じゃないよ……。」
アリシアはテーブルの上の酒瓶を取って、手にした杯に注ぎ始めた。
友人の様子にパルマが訊ねる。「……何か言いたげね?」
「アンタさぁ、死んだ娘の年数えるような真似はやめなよ……。」
パルマは酒を飲むアリシアから目をそらした。
「別に……そんなんじゃないさ」
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