雨に降られる死者

 翌日、パルマは酒場の掃除をしていたミラに緑色のリボンをプレゼントした。

「これは……。」

「その赤毛に似合うと思ってね。どれ……。」

 パルマはミラの後ろに回って髪を結った。真っ直ぐに肩へと伸びていた髪が束ねられ、ミラの顎のラインや耳が顕になる。

「うん……。貴方、せっかく耳の形が綺麗なんだから、もったいないと思ってね」

 ミラは後ろ髪を確認すると、結わえたリボンを解いてしまった。

「……嫌だった?」

 ミラは髪を束ね直すと、肩の辺りで髪を結って、後ろ髪が肩から胸元へと垂れるようにした。

「……こうすると」ミラは恥ずかしそうに微笑んだ。「パルマさんとお揃いになりますね」

 しかし、パルマはそれに答えずに無表情でミラを見ているだけだった。

「……パルマさん?」

 我に返ったようにパルマは言う。「ああ、そうね。……とっても似合うわよ」

「ありがとうございます」

 ミラはバケツを取ると、お辞儀をしてホールを出て行った。

 パルマがミラに声をかける。「次はどこを掃除するの?」

「ホールデンさんのお部屋です」

「……そう」


「失礼します、ミラです」

「おお、お前か、入れ」

 ミラがホールデンの部屋に入ると、ホールデンが口頭で使用人に手紙を書かせている最中だった。

 ミラは一礼すると、黙々と雑巾で部屋を掃除し始めた。

 ミラの様子に気づいたホールデンが言う。「そのリボン、どうした?」

 男とはいえ、娼館の主だけあってホールデンは女の変化には目ざとかった。

「はい、パルマさんに頂いたんです」

「そうか……パルマに」

「ええ……。」

 ホールデンはまじまじとミラを見る。初めて娼館で見たときに比べ、顔つきや体つきが大人びていた。

「そういえばお前……生理はまだか?」

「え?」急なホールデンの質問にミラは驚いたが、すぐにパルマに言われたことを思い出した。「はい、まだです……。」

「そうか……。」

 ホールデンは椅子にふんぞり返り、「パルマが……。」と再び呟いた。


 それからしばらくして、パルマは再び男たちの相手をすることになった。半額の味をしめられたようで不服なところもあったが、ミラを男たちから守るため、パルマは仕方なく男たちの申し出を受け入れた。しかし……

 パルマが男の相手をして酒場に戻ると、ミラの姿がなかった。酒場内をくまなく探し、台所も調べてみるが、ミラの姿は見当たらない。

「ちょっと、アリシア……。」パルマは酒場で男の酌をしているアリシアに訊ねる。

「どうしたのさ?」

「貴方、ミラを見なかった?」

「え? ……あれ?」と、アリシアは酒場を見渡す。「さっきまでホール内にいたんだけどね?」

「あ~、もしかしてあの赤毛の娘っ子の事かい?」と、アリシアが酌をしていた男が言う。

「知ってるの?」

「いやぁ、アンタが相手してた男の連れが、アンタのいない隙に何かどっかに連れてったみたいだぞぉ」

「なんですって?」

「奴の趣味は結構有名だったからなぁ。今頃──」

 パルマは男の肩を掴むほどの勢いで迫った。

「どこに行ったのっ?」

「いや……すぐそこの客室だが……。」

 急いで男の指差す方向に向かうパルマ。そんな彼女にアリシアが声をかける。

「やめなよパルマっ」

「……アリシア」

「女に手を出していいかなんて、客が勝手に決められるわけないでしょ? 私が何言いたいか、ここが長いアンタなら分かるはずよ」

 パルマは歯噛みしてうつむいた。

「でも……。」

「なによ?」

 パルマは顔を上げると、再び客室の方へ駆け出した。


 パルマが教えられた客室に入ると、そこでは下着姿のミラが全裸の男の前に立たされていた。

「ミラ……!」

「パルマさん……。」

 尻を丸出しの男が言う。「おいおい、突然入ってくるなよっ」

「ちょっとお客さん、この娘はまだだって言ってるじゃない? 私が相手をするわよ」

「もういいよ、ババアは。俺は若い娘とやりたいんだってのっ。それにな、もう店側から許可とってんだよ、オメェにとやかく言われる筋合いはねぇっ」

「そんな……。」

 男はミラに向き直り命令する。「ほら、脱げよっ」

 悲痛な面持ちで眉にシワを寄せていたミラだったが、ここに来た時点でいつかは覚悟しなければならないことだった。ミラは肌着の肩紐に手をかけ始める。

 見かねてパルマが言う。「ね、ねぇ、ちょっと待ってよ。私が半額で──」

「いいっつってんだろ! 俺はコイツ目当てでずっと金貯めてたんだよ! テメェら娼婦だろうが! だったらまた黙ってとっととやらせろや!」

「じゃあ、今日はタダで良いわよ!」思い切ったようにパルマが切り出した。

「……なに?」

「他の客には内緒だからね。だから……お願い、この子には金輪際手を出さないで」

 ミラが首を振る。「パルマさん……ダメだよ……。」

 パルマが引きつった笑顔を浮かべて言う。「貴方は心配しないで……。」

「ほう……。」

 男の表情がほころんだのを見て、パルマは少し安堵する。「じゃ、じゃあ……。」

「ああ、いいぜ」

 パルマとミラは顔を見合わせた。しかし……。

「けど、お前とやってる間、この娘っ子も一緒だ」

「え?」

「この娘の前でやるんだよ」

 男はヤニで茶色くなった歯をむき出しにして笑う。

「そんな……そんなこと……。」

「いやなら別にいいんだぜぇ?」

 パルマはミラを一瞥するとすぐに目をそらし、そしてしばらく目を閉じて意を決した。

「……分かったわ」


 パルマはその後、ミラの目の前で男に性交を強いられた。40も過ぎ、娼婦としての人生も長く、とうに恥じらいなど忘れていたはずのパルマだった。だが、娘の面影を思わせる少女の目の前で組み伏せられていた彼女の瞳からは、恥辱の涙がこぼれていた。

 そして、そんなパルマを見続けるミラの瞳からも涙が流れ続けていた。母のように慕っていたパルマが悶絶する顔を見ながら、優しかった声が苦悶で歪むのを聞きながら。目を閉じたくても耳をふさぎたくても、男からそれを禁じられていた。

 行為の後は、耐え難い恥辱のため経験豊富なパルマとはいえ体が疲弊し、ベッドの上で息絶え絶えに横たわっていた。しかし、そんなパルマの自己犠牲を代償にしても男の欲望は収まることがなかった。

「あ~、何かもの足りねぇな」

 男はベッドから起き上がるとミラに迫った。

「やっぱりオメェが相手してくんねぇと」

「そんなっ」パルマがベッドから上半身を起き上がらせる。「話が違うっ」

「うるせぇな、やっぱりババアじゃ物足りないんだよっ」

 男は全裸でミラの前に立ちはだかる。

「あ……あ……。」ミラの涙が乾いた瞳から、新たに涙がこぼれ始めていた。

「どうせ今日の金はお前に払うつもりだったんだ……。」男はミラの小さな顎を掴み顔を近づける。「い~い顔してんじゃねぇかぁ。余計に興奮してきたぜ」

 男がミラの肌着に手をかける。すると、横からパルマが体当たりをするように割って入ってきた。

「うぉっ!」弾き飛ばされた男が右腕を抑えながら言う。「いってぇ! テメェ、何すんだよ!」

「この娘に、手ぇ出すなって言ってんだろ!」

「何だとぉ……ん?」

 男はパルマの手にナイフが握られているのに気付いた。そして男が痛む右腕を恐る恐る確認すると、男の腕からは血が流れていた。

「こ、こぉんのぉ、よくも、テ、テメェ!」

 しかし男は出血でたじろぐどころか、激昂してパルマに襲い掛かってきた。

「きゃぁあ!」

 男がナイフを持つパルマの手首を握る。パルマは必死にそれを振りほどこうとするが、女の力では到底かなわなかった。

 ふたりはもみ合いになり、男が覆いかぶさるようにしてパルマの上に倒れた。

 倒れると、しばらくふたりは体を重ねたまま動かなかった。

 ふたりの様子に異変を感じたミラが「パルマさん?」と、声をかける。

「くそ……ちきしょう……。」

 男がゆっくりと起き上がった。

「ば、ばかやろうが……。」

 男がパルマの体からどくと、ミラはその光景にか細い悲鳴を上げた。

 パルマが痛みで呻いていた。もみ合いになったはずみで、パルマの胸にナイフが刺さっていたのだ。

「パルマさん!」

 ミラはパルマに駆け寄った。しかし、彼女を救うために何をすればいいのか、幼い彼女には想像がつかなかった。ミラはとりあえず助けを呼ぼうと、部屋のドアに手をかける。

「だ、誰か呼んでくる!」

「ま、まって……。」

 しかし、そんなミラをパルマが呼び止めた。

「え?」

 パルマは痛みで額から大粒の脂汗を流しながらミラに手を伸ばしていた。ミラはパルマに歩み寄り、恐る恐るその手を握る。

 パルマは握られた手の感触に安堵すると、苦痛に眉を寄せながらも小さく微笑んだ。

「パルマさん……。」

「ミ、ミラ……。」パルマはさらにミラを自分に引き寄せようとする。「最後に……お願いがあるの……。」

「なぁに?」

 息も絶え絶えに何かをミラに伝えようとするパルマだったが、しばらく考えてから小さく首を振った。

「やっぱり……いいわ。ごめんなさい……。」

 それを最後に、パルマの体は崩れるように全身の力を失った。

「パルマさん? パルマさんっ!?」

 いくら呼びかけ、いくら体を揺すっても、パルマは目を開くことはなかった。まだ温かい彼女の体は、ほんのひと時のうたた寝をしているようだった。


 パルマの葬儀はあまりにも簡素なものだった。街の近くの余った土地に穴を掘り、一番安い棺桶に入れられ、そこに木の枝で作られた墓標が立てられた。祈りを捧げたのも神父ではなく、街の信心深い老人だった。

 祈りを捧げ終わった老人が、雨が降り始めた天を仰いで言う。「雨に降られる死者は幸いかな……。」

 葬儀に参列していた僅かな娼婦たちは鼻をすすり涙していた。

 参列者の中にいたアリシアが口を開く。「馬鹿だよ……パルマは」

 葬儀中のあまりにも不謹慎な発言、思わず隣にいたミラがアリシアを見上げた。そしてアリシアもミラをきつい瞳で睨みつける。

「この稼業で同僚に情を寄せるのが禁物だってことくらい、ここが長いパルマなら知ってたはずなのに……。」

 そしてアリシアはミラに迫り、ミラの襟を掴んだ。

「ちょっと、アリシアやめなよ葬儀中だって……。」と、同僚の娼婦がアリシアを諌める。

「アンタがパルマを殺したんだよっ。アンタがアイツの死んだ娘に似てたからって……そんな、そんなしょうもない理由で……パルマは……。」

 いわれのないとがで非難されても、ミラはアリシアを恐れることも憎むこともなかった。ミラはアリシアの目尻から涙が伝っているのを見ていた。

 アリシアは袖で涙を拭うと、エプロンのポケットから小袋を取り出しミラに突きつけた。

「ほれっ」

 受け取ったミラが訊ねる。「……これは?」

「パルマが自分に何かあった時、アンタに渡しといてくれってことづけされてたんだよ。まったくっ」困惑するミラから顔をそらし、パルマの墓標を見ながらアリシアが続ける。「アイツがため込んでた金さ。いつか自分を買い戻すために、コツコツ溜めてたねっ」

 突然託された大金だった。もらういわれもないと返そうにも、その当人はすでに墓標の下だった。ミラは言葉を見つけられず、ただ小袋を握りしめた。

 アリシアが言う。「それを持ってとっとと店に帰りな。店でアタイに会っても話しかけるんじゃないよ。アタイはアンタを許さない、ダチを殺したアンタをね」

「アリシア、そんなの言いがかりもいいとこじゃないさっ。恨むんならパルマを殺したクソ野郎だろっ?」

「たとえ言いがかりだろうと、アタイの気が収まらないんだよっ」


 パルマ殺害の騒ぎが娼館に広まった後、男は自治区を担当する保安官に引き渡されていた。

 しかし男が受けた罰は、僅かな罰金と所有している農地の一部の没収を命じられた程度だった。殺したのが一般人ではなく娼婦だったため、また正当防衛中の過失致死であることを鑑みてのものだった。

 戦後は既に娼婦も一般人と同等に扱うよう法整備が進んでいたが、僻地においては、また、法律よりも慣習が重んじられる土地においては、例え“中央”であっても前時代的な価値観による量刑がまかりとおっていた。


 無力感に打ちのめされ、せめて怒りがとどく者にはそれを伝えずにはいられないアリシアの心情を察すると、ミラは何も言わずに小袋を握りしめその場を去って行った。

 後ろでは、アリシアの「クソッタレッ!」と悪態をつきながら泣き叫ぶ声が聞こえていた。

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