あなたのくれたもの

 それからまもなく、ヒョードルのもとに地区の娼館の組合から会合の招待状が届いた。内容は新しく開業する娼館の経営者の挨拶と、親睦のための食事会というものだった。

 場所は隣の街の酒場で、その会合のために貸切になっているとのことだった。酒場で会合ということは、会合にかこつけた宴会だと考えてもよかった。

 ヒョードルは自分の店の顔を見せびらかすために、また最近秘書としても自分の傍らで働いているサハウェイを連れ立って会合に出席することにした。


「いやぁヒョードルさんお久しぶりですっ」

 ヒョードルが酒場に入るなり、そう言って握手を求めてきたのは同じ街の娼館の主だった。握手を求めてきたとはいえ、ふたりはかつて縄張りを取り合ってヤクザぐるみで抗争をした間柄だった。その時の抗争でその娼館の主は右目を失っていた。

「そうですなぁ。この業界忙しくて、中々こういった会合も取れませんし」

 そう言って手を差し出すヒョードルだったが、しかし差し出された手は数回空を切った。

「あいや失礼、片目が見えないんで距離感がつかめなくて……。」

 そう言って片目の男は不敵に笑った。

 抗争を思い出させるやりとりに、ほんの一瞬だけふたりの間に緊張が走った。周りの男たちもふたりを一瞥する。

 しかし、すぐにヒョードルは「やられましたなぁ」と、砕けた表情で後頭部を掻いてその場を和ませた。

「……ところで、新しく私の街に娼館をオープンさせるという方はどちらに?」

 ヒョードルが酒場のホールを見渡す。

「やはり、商売敵が気になりますか?」

「いやいや、何をおっしゃいます。新人の青二才など、私の相手ではありません。逆にすぐに店をたたまないか心配しておるところです」

「おやおや、大した自信ですな。……おやあれは」

 片目の男は、酒場に入ってきたサハウェイを見た。男は意味深にサハウェイを見た後、すぐにヒョードルに笑顔を向ける。

「いやはや、相変わらずお美しい看板娘ですな。今日はまたどうしてこちらまで?」

「まぁ、こういう会合ですからな。自分の店の一番の女を連れてくるものでしょう」ヒョードルは上機嫌に言う。「それに、最近コイツは経理や運営の仕事にも興味を示し始めましてね。客を取る数が少ない分だけ、そう言った仕事を覚えさせるのも悪くはないなと」

「そうですかそうですか」

 片目の主は大げさに頷いてみせた。

「ではそろそろ皆さんお揃いのようなので席に着きましょうか」とホスト役の若い娼館の経営者が男たちに声をかけた。

「……おお、もう時間か」

 ヒョードルは再び酒場のホールを見渡すが、新顔はいなかった。皆、古くから知った顔ばかりだった。


 イリアの娼館の主たちが料理や酒の並べられた円卓に座ると、この地域を管轄している役人の男が挨拶を始めた。例え女たちに対する扱いが非人道的であろうと、娼館自体は合法のものである。そしてこういった地方の役人は、大体が賄賂を受け取っていたため、違法な人さらいや人身売買を黙認するのが常だった。

「それでは、本日はイリアに新しく娼館を開業なさるという方のご挨拶を兼ねているとかで……。」

 役人が挨拶を終え、そう切り出すとヒョードルは再び円卓を見渡した。依然、見知らぬ顔はない。

 すると、ヒョードルの隣のサハウェイが、おもむろに席から立ち上がった。

「馬鹿、場をわきまえろっ。今大事な話をしてるんだっ」突然のサハウェイの行動に、ヒョードルは小声でサハウェイを叱りつけた。

 しかし、サハウェイはまっすぐに娼館の主たちを見据えていた。そして男たちも、特に予定外の事が起こったという様子もなくサハウェイを見ていた。

 沈黙している出席者たちを見て、ヒョードルはありえない事態が起こっていることを理解した。

「……まさか」

 先ほどヒョードルと談話していたホスト役の娼館の主が手で指し示して言った。「今日から私たちの仲間になる、サハウェイ女史です」

 サハウェイは恭しく、上品に体を傾けて挨拶をした。

「サハウェイです。皆様、以後お見知りおきを」

「……どういうことだ?」小さく呟いてからヒョードルは椅子を蹴飛ばすように立ち上がり叫んだ。「どういうことだ!? お前……お前ら、いったいこれはどういうことなんだ!?」

 片目の娼館の主が言う。「どういうことも何も、お前さんのところのサハウェイが、独立して店を出すってことさ」

 ヒョードルが目を丸くしてサハウェイを見る。

「……どういうことだ?」

 混乱しているヒョードルはひたすらに同じ言葉を繰り返すばかりだった。

「“どういうこと?”私は貴方から独立するの」サハウェイがまっすぐに娼館の主たちを見据えたままヒョードルに教える。「“どういうこと?”もう既に彼らに話は通してあるわ。“どういうこと?”意外と察しの悪い男ね。皆私を支持してるの。そういう状況でしょ? “どういうこと?”貴方があぐらをかいて女たちから人生を搾り取ってる間、私は彼らに、役人に、貴族や有力者たちに、心と体を捧げて彼らを味方につけたのよ。そういう武器を私に与えたのは貴方でしょう?」

 唖然としてサハウェイを見ていたヒョードルだったが、我に返ると娼館の主たちに大声で訴えかけた。

「お、お前ら! 自分たちが何をやってるのか分かってるのか!? たかが小娘の誘惑に乗ってどうする!? こんなガキに娼館なんて経営できるわけない、目を覚ませ!」

 だが、娼館の主たちは苦笑いをしながら目をそらすだけだった。

「し、信じられん……。」

「……こうなって見ると、いよいよ貴方って察しの悪い男だってことがつくづく分かるわね」

「……何だと?」

「どうして……私がわざわざ離れた街で会合を開こうと思ったのか分からないの? 娼館はイリアに作るというのに」

「……まさかっ」

 ヒョードルは酒場から飛び出すと、急いで馬車を走らせイリアに戻っていった。


 ヒョードルのいなくなった酒場で、男たちは最初は気まずそうに酒を飲んでいたが、すぐに賑やかに杯を傾け料理に手を出し始めた。

 サハウェイは自分の側についた娼館の主や役人にお酌をして回る。

「この度はありがとうございました」

 サハウェイの笑顔で思わず男たちも顔をほころばせる。

「なぁに、あの男はちょいとばかし跳ね回りすぎてたからな。ワシもひどい目に合わされたもんさ」

 と、片目を失った男が言った。彼の恨みは消えていなかった。ただ抑えていただけだった。それにサハウェイが機会を与え、矛先を求めていた怒りは簡単にサハウェイの誘いに乗ったのだった。

「お役人様もありがとうございます」

「うむ、奴が人身売買をやっていたという証拠があるらしいからな。こちらとしても目を瞑るわけにはいかん」

 うそぶく役人に娼館の主たちは苦笑いをせざるえなかった。賄賂に加え、サハウェイに骨の髄まで蕩けさせられ篭絡ろうらくされていたのは周知の事だった。

 サハウェイはヒョードルが自分の娼館の前で打ちひしがれている様を想像してほくそ笑む。もう娼婦たちの引越しは終わっているはずだ。奴が帰るのは、男しかいなくなったただの建物だ。女のいない娼館はもう娼館ではない。中身の無いサザエがゴミでしかないように、奴に残されたのは廃屋だけなのだ。

 サハウェイが最年長の娼館の主にお酌に回ると、男は白内障で濁った目を輝かせ興味深そうに言った。

「中央の名門の家柄……そんな触れ込みが嘘だというのは知っている」

 サハウェイは表情を崩さずに酌を続ける。

「しかし、だからこそ我々はお前に賭けた。どうせ貧しい農村の白子だろう。それでもその体を、生まれを、何の臆面も躊躇もなく利用して這い上がろうとするお前の野心と執念、それに我々は惹かれたのだ」

 酌をしていたサハウェイが顔を上げ、真っ赤な瞳で男を見る。男はたまらなく愉快そうな笑顔を浮かべた。

「そうだ、その目だ。そんな目を名家の人間ができるものか。生まれながらに飢えた者しかできやしない。必要以上に貪り喰おうとするほどに飢えた者でしかな」

 サハウェイは長生きすべきだな、と思った。この男から奪うには完全にもうろくしてからではないと無理だ。この男を始め、もう自分に対して迂闊に接する者はここにはいない。長期戦だ。

 うんざりしながらも、それでもサハウェイの燃え続ける野心の炎は、彼女の全身に力を与え続けていた。

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