まだ息をしている

 翌日、療養していたサハウェイのもとに珍しい客がやってきた。

「……入るぞ」

 体毛の一切ない顔、女衒のガロだった。

「……貴方」

 サハウェイが身を起こす。

「そのままでいい」

「……何しに来たの?」

「ヒョードルの奴が無茶をしたと聞いてな。その……様子を……。」

「だから、何しに来たの?」弱った体でサハウェイが声を張り上げた。「ここの関係者でもない貴方が」

 ガロはベッドの横の丸椅子に腰掛けると、切り出し辛そうに言葉を探り始めた。

「……以前、俺がお前をここに連れてきた時……お前にこう言ったな。ヒョードルはひどいことはしないと……。」

「覚えてないわ」

「……そうか。なに、それが気がかりだったんでな……。」

 ガロは沈黙した。

「何? まさかそれを言うためにわざわざ来たわけ?」

「あ、いや、まぁ……。」

 サハウェイは表情を崩さずに鼻で笑う。

「それと……これを……。」

 ガロはバッグから酒瓶を取り出した。

 サハウェイが首を上げて訊く。「……お酒?」

「薬用酒だ。効果はある。俺もこれで重い病から回復したことがある」

「薬はもううんざり」

「そういうな……。」

 ガロは薬用酒を部屋のグラスに注ぎ、自分で飲んで見せた。

「大丈夫だ。悪い物なんか入ってない」

「……毛は生えないみたいね」

「ああ……。」ガロは頭髪の無い頭を撫でた。「あいにく、お前の肌もこれを飲んだところで、ダニエルズの貴族みたく黒くはならない」

「言うわね」

「皮肉を言ったのはお前が先だ」

 サハウェイはまた表情を崩さずに鼻で笑った。

「じゃあな、しっかり休んでおけよ」ガロが立ち上がる。「これからも人生は続く。立ち止まることはできないんだ」

 部屋を去ろうとするガロにサハウェイが訊ねる。

「……どうしてここまでしてくれるの?」

「……どうしてだろうな」

「……当ててあげましょうか?」

「なに?」

 ガロが振り向いた。

「自分と同じだと思ってるから」

 ガロが目を細めてサハウェイを見る。

「自分と同じ生まれついての不具、それも陽の光の下を歩けない体だって……そう思ってるんでしょ? 同類相憐れむってやつで同情してるのよ」

 ガロがサハウェイを見る目が哀しげになった。そしてガロは何も言わずにドアノブに手をかけた。

「ガロ」

 振り向かずにガロはドアを開ける。

「ありがとう……。」

 しかしガロは無言で部屋を出ていった。

 

 それから一年間、サハウェイはヒョードルの下で従順に働くようになった。文句も言わず、おごらず、その姿はただヒョードルと彼の娼館に尽くすかのようだった。

 彼女の誠実な働きぶりで、ヒョードルの娼館には以前よりも多くの富豪や有力者がサハウェイを求めて訪れるようになっていた。

 ヒョードルは、あの件がサハウェイに及ぼした効果が大きかったのだろうと独りで納得していた。自分とサハウェイは一蓮托生である。自分がいなければサハウェイもまた生きていけない。賢い女ならばすぐに気づくはずだ。ヒョードルはそう思い込んでいた。

 しかし、ヒョードルはサハウェイが懇意にしている客に、ある一定の法則があることに気づいていなかった。


 ──サハウェイの接客部屋


 街の大地主の男がベッドの上で大の字になって天井を見上げていた。男は、精どころか残りの寿命すらも吸い上げられたように、虚ろな瞳で天井を見上げていた。太鼓腹が微かに上下していることで、男がまだ生きていることが分かった。

「どうなさったんですか? そんな顔しちゃって」

 男に寄り添い寝そべっているサハウェイが、真っ赤な唇を歪めて悪魔的な微笑いを浮かべる。

 男は大きく深呼吸をした。しかし、それでも言葉が出てくることはなかった。

 50年近く生きて、ある程度の人生の酸いも甘いも味わってきたはずだった。地主として成功してからは、辺境の地ではあるが様々な美食に舌づつみを打ち、多くの娼館で女を抱いてきた。既に、大体の贅は味わい尽くしたと思っていた。しかしまだ先があるとは、男は天井を見ながらそう呟いた。もっとも、力が無かったので声にはならなかったが。

 サハウェイは笑いながら男の乳首の周りを人差し指で撫で回す。男は体を小さく痙攣させた。

「可愛らしい……。」

 呟くサハウェイの髪に男は手ぐしを入れた。サハウェイは猫のように自分から男の掌に頬をこすりつける。まるで、男の手の感触に酔っているようだった。

 そんなサハウェイを見ながら、男は肉の悦びで骨抜きにされた心の隙間に、とうに忘れていた、女に対する淡い気持ちが入り込むのを感じていた。たかだかやっただけで、ここまで心を揺れ動かされるのは、世慣れた男にとってあまりにも想定外のことだった。

「……なぁサハウェイ、もしお前がよければ、私のところでお前を身受けしてもいいのだが……。」

 身受けする、とは娼館の女を主の言い値で買取る事である。しかし、サハウェイほどの、ヒョードルの店のトップの娼婦を引き上げるのは、例え大金を積んだとしても難しく、下手をしたら遺恨を残すかもしれなかった。しかし、男はそれほどまでにサハウェイに心をとろけさせられていた。

「滅多なことを仰っては行けませんよ、デルモントさん。ヒョードルさんはとっても疑り深いし、何より地獄耳です。例えデルモントさんでも、その身に危険が及ばないとも限りませんわ」

「む、むぅ……。」

「私はこうしてデルモントさんにお会いできるだけでも十分。どうか無茶はなさらないで」

 サハウェイは男の頬に軽い口づけをした。

「そう……だな。じゃあ、また会ってくれるか? 来週にでも……。」

「申し訳ありません……来週は無理です。お客様の予約でいっぱいなんですよ……。」

「そうか……。」

「運送会社のヤーコフさんに、建築会社のバッツさん、皆さんお待ちでなんです……。」

「俺を優先してくれんか? 俺なら奴らよりも上乗せができるんだぞ?」

「デルモントさんにお支払いいただくお金はそうですけど、あの方たち、私にも色々贈ってくださるのですよ」

「例えば……何だ?」

「貴金属はもちろんですけど、ヤーコフさんはこの間、私におウチを買ってくださったり……。」

「家……か」

 サハウェイは男の表情の変化を見逃さなかった。

「もし、デルモントさんがもっと良いものをくださるのなら、私、貴方に優先して予定を作るだけでなく、誠心誠意貴方に尽くしますわ」

「……ほう」

「もっと……。」サハウェイは真っ赤な瞳を妖しく紅玉ルビーのように輝かせながら男にすがりつく。「素敵な夜を……想像できないくらいの快楽を貴方に……。」

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