scene58,次の旅路へ


      ※※※


 マテルの世話をラガモルフたちに頼んだあと、私はダニエルズをあとにした。“中央”に行くという旅の行商人の幌馬車に乗せてもらい、たどり着く先は彼ら任せだった。あそこは五王国の中心だが、戦後はヘルメス以上に貧富の差が大きくなり、それでも職を求めて、あるいは成功を夢見て訪れる人間があとを絶たないという。この馬車の主人も、ダニエルズの辺境から、一攫千金を狙っての商売をしているとのことだった。中央に着いた後には、そんな人ごみの影に隠れるのもいいだろう。というより、しばらくは何者でもない影でありたい。ひとつの旅の終りには、空手のはずなのにいつも荷物が増えている気がする。誰かとの、交わしたかどうかも定かではない、しかし果たされなかった約束がいつも心の隅に残るのだ。私には羽根一枚だって重すぎるのに。

 落ち着いていたと思っていた秋雨がまた降り出して、幌を静かに打つ音が馬車の中に響いていた。これから雨のたび、転げ落ちるように寒くなるのだろう。私は商人に貸してもらった毛布に包った。売り物を包んでいたらしき毛布からは、傷んだ大根の臭いがした。

 死んでいったラガモルフの男、彼は一体なぜ架空の故郷の話を私にしたのだろう。今となってはすべては憶測に過ぎないが、もしかしたら、彼も私と同じ根無し草だったのかもしれない。しかし、根無し草として生きるには現実が厳しく、想像の故郷を想うことで息子との日々をやり過ごしていたのではないだろうか。私と違って背負うものがある男だ、何かしらの拠り所は必要だったということもある。だとしたら、その故郷を彼が“過去のない場所”と名付けたのも頷ける。のなら、とも言えるからだ。そして実際、あの時あの場所で私は故郷が生まれる瞬間を見た。彼は息子にどこでも生きていけるよう、彼なりの道を残したのではないだろうか。この世界のすべてが、自分たちの故郷になりうるのだという道を。

 旅の思い出と共に眠りに落ちようとしていると、馬車が静かに停まった。ここで馬を休めるのかと思ったが、馬車はすぐに動き出した。主人が誰かと話をしているから、私のように誰か旅人を乗せたのかもしれない。しかし気前のいい主人だ。辻馬車でもないだろうに次々に人を乗せるなんて。もっとも、そんな後先考えない楽天さも、商売をやっていくには大切なのだろうが。そして思ったとおり、幌馬車の荷台に誰かが乗り込んできた。どうせ明日には別々の道を行く他人だ、何よりしばらく誰かと関わる気はない。私は毛布に包まって背を向けた。お互いに干渉するのはやめようというメッセージのつもりだった。

 しかし、同乗者は少しづつ私に迫ってきた。足音から察するに子供のようだ。空いているスペースがないのだろうか、私はさらに小さく丸まる。だが、それでもその足音は近づいてきた。私は危険を察し毛布をひるがえし刀を握った。

 そこにいたのは小包を背負った幼子だった。幼子は自分の方がびっくりしたというように、目をクリクリとさせて私を見ていた。

「……マテル?」

「……クロウ」

「どうして……ここに? 仲間たちと一緒じゃないのか?」

 叱りつけるように言う私に対して、マテルは照れているのか気まずいのか、手をもじもじさせながら鼻をヒクつかせる。

「う~ん……やっぱり僕、クロウと一緒に行きたいんだよぉ」

「行くって……私がどこに行くのか分かってるのか?」

 マテルは首を振った。

「今すぐ戻るんだ。馬車を降りるぞ」

 マテルは青い目を暗闇で光らせ、世界中の憐憫を誘うかのような表情で私を見る。

「……そんな顔したってダメだぞ」

「僕……クロウと一緒がいい」

「どうして? あそこには仲間がいるんだ。ラガモルフはラガモルフ同士、仲間と一緒にいるのが一番良いんだ」

「クロウがいい」

 そしてマテルは私の膝に抱きついてきた。

「言う事を聞くんだ」

「じゃあクロウがジュナタルに戻って」

「無茶を言うな」

「なんでも言う事を聞くよ、だから僕を連れてって」

「もう言う事を聞いてないだろう」

「これ以外だよぉ」

「……冷たいことを言うが、お前さん、私と一緒についてくるなら、もちろん何か役に立つんだろうな? 親父さんとの約束は終わったんだ。お前さんを守る義務なんて私にはないんだぞ?」

「……僕の体は暖かいよ? これから寒くなるから、僕と一緒に寝れば夜が平気なんだ」

「それはお前さんの願望だろう。私が言いたいのは、私がいなくなったり怪我をした時なんかに……。」

 そこまで言って、私はネスが狩りの晩に言ったことを思い出した。私は知っていたはずだ、マテルが見た目よりも子供ではないことを。結局、私はひとりに頼りたいだけだった。

「……仕事の時は、お前さんをどこかに預けるからな。その時は文句を言うなよ」

「うんっ」

 私はマテルの頭を撫でると毛布に包み、そして寄り添うように馬車の隅で体を温め合った。

「……あんまりスリスリするなよ」

「うん」

 マテルの小さな呼吸とか細い鼓動を感じながら思う。どうやら私は孤独に慣れすぎて、誰かといることを必要以上に恐れていたようだ。温め合って暑くなったら、その時に距離を置けばいいだけなのに。重荷になったらその時に考えよう。旅にはそれくらいの楽観さも必要なのだから。北風は、渡り鳥に覚悟を求めない。

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