scene57,生者にも花束を

──翌日

「入るよ」

 怪我で入院しているケリーのもとへ、ネスが花束をもって現れた。

「室長……。」

「怪我の様子はどうだい?」

「おかげさまで大事なく……。」

「そうか」

 ネスは満足げに頷くと、花瓶のしおれた花を自分の持ってきた花と取り換えた。

「それにしては元気がないな? もしかして傷跡が残るのが嫌とか? 名誉の負傷だ、気にすることはないさ」

「……名誉」ケリーはか細く息をついて呟いた。「これが名誉ですか……。」

 凛々しかった女は病院のベッドの上でもぬけの殻になっていた。革の鎧に身を包み、気丈さで大きく見せていた体は病院の寝巻きでラインが露わになり、華奢な肩と鎖骨がむき出しになっていた。

 ネスはベッドわきの椅子に腰を掛ける。「言葉が軽かったのなら謝るよ」

「……大勢を死なせてしまいました」

「……君の責任じゃない」

「指揮官は、私でしたよ……。」

「俺だったら全滅してかもしれないぜ?」

「……功を焦ったんです」

 ネスは無言でケリーを見る。しばらくして再びケリーが話し出した。

「逃げられるのが怖かったから……十分な装備もないまま仲間たちを……。」ケリーがシーツを握りしめた。「人一倍結果を出さないとって……そうしないと認めてもらえないって……。」

「ケリー……。」

「無様ですよね、陰で言われてますよね、感情的な女が軽率な行動をしたって……。」ケリーが顔を上げる。強がろうとしても、顔には悲壮さが浮き出ていた。「あの現場でも言われたんです。女のくせにって……。結局そのとおりなんですよ……。」

「……俺なんて陰で“腰砕け”なんて言われてるがね」ネスが言う。「だが、俺はそう言われても恥じるところはないと思ってるよ」

「……本当ですか?」と、ケリーが怪訝な顔で言う。

「本当さ。皆、美しい、一夜を共にするにふさわしい相手だった。いい思い出ばかりさ。何より俺は愛に溢れた男だからね。ひとりふたりじゃあ与えたい愛が追いつかないのさ」

「……よくそんなこと何の臆面もなく言えますね」

「本当に心から思ってることだ。それをどうして恥じる必要がある?」

 ケリーは呆れたように小さく笑った。

「なぁケリー」ネスが椅子の上で大きく足を組んだ。「この世界で生きていくのなら、これからも君のことをその言葉で抑えつけようとする奴が出てくるだろう。だがね、君自身が君の可能性をその言葉で抑えつける必要はないんじゃないか? その言葉は、君の成功をやっかむ愚か者の言うことさ。確かに今回、多くの仲間の命を失ったかもしれない。けれど、もし君が準備に時間をかけ過ぎたなら、あのふたりを死なせてしまったかもしれないんぜ? 君は自己嫌悪なんて抱える必要はないんだ。君が抱えるべきは、死んでいった仲間たちの志だ。そして君が上を目指すなら、これからもっと多くの人々の想いを抱えることになる。同僚はもちろん、守るべき人々の命を。だったらそれを糧にして前に進まないと。人の上に立つってのはそういうことだよ」

 窓から光が差し込んでいた。長い冬の前の、最後の暖かい日差しだった。

 ネスが片手を上げて肩をすくめる。「ま、未来の王たる俺に比べれば、君の抱えるものなんて羽毛布団程度のものだがね」

 ケリーが吹き出して笑った。窓からの斜光で、ケリーの目尻が小さく光っていた。

「こんな所で立ち止まるな。なるんだろう? 女性初の刑部部長に」

 ケリーは大きく頷いた。

 微笑んでいたネスは、ケリーの気持ちが落ち着ついたのを見ると改まって話しだす。

「ところで……その……君が追っていた役人襲撃事件の容疑者なんだが……。本当に……。」

 ネスはケリーを伺うように言葉を選んでいた。

「ネス室長」

「何だい?」

「彼女は……犯人ではありません」

「……そうか」

 ネスは安心したように微笑んで頷いた。しかし、ケリーは少し浮かない顔をしていた。

「……どうしたんだい?」

「これで……良かったんでしょうか? その……私たちはもしかしたら役人として……。」

「ケリー、法は絶対だ」

 ネスに言われ、ケリーがはっと顔を上げる。

「だが、俺たち人間は相対的なもんだ。必ず同じ答えが何にでも当てはまるわけじゃない。何度も事件に直面して、その都度法から逸脱しないように道を選んでいくんだ」

「それで、法の精神はどうなるんでしょうか?」

「親父は悪法も法なりと思ってるようだが、俺は違う」いつの間にか、ケリーに対して前のめりだったネスの背筋が伸びていた。「もし法が人を苦しめるなら、それは法が間違ってるということだ。もちろんそれは法を破るっていうことじゃない。時代を経て法を変えて、裁判制度をもっと改善していくって意味だ。まだ俺たちは道の途中なんだよ。親父の代から引き継いだものを、より良い方向へ進めるのさ。それが俺の時代で目指すこの国のあり方だ」

「ほんとう……。」ケリーが感心して首を振る。「お父上の前でもそれほど雄弁なら、どれほど頼もしいでしょうね……。」

 ネスが苦笑する。「それは言わない約束だ」

 すると、やにわに病室の外が騒がしくなった。二人が出入口を見る。

 入ってきたのは、従者を連れたダニエルズ侯だった。

 ふたりはダニエルズ侯を見たまま固まった。

「大事ないかな? コールマン嬢」

 しかしケリーは呆気にとられ返事をすることができなかった。何とかネスが口を開く。

「……父上、どうしてここに?」

「息子の大切な友人が職務中に怪我を負ったと聞いてな」

「いや……しかし、わざわざ父上が……。」

「それを決めるのはお前か?」

 特に他意の無いダニエルズ侯だったが、見るものにはそれが機嫌を害したようにも取れた。それほど彼の常時の顔はいかめしかった。

「いえ」

 ネスは思わず目をそらす。

「ふむ」

 ひとりで納得すると、ダニエルズ侯は片眉を釣り上げてケリーを見た。ケリーは一瞥されるだけでいたたまれない気分になり、無意識に身をすくめる。

「しかし、未来ある若者がせっかく大きな仕事を成し遂げたというのに、そのようなみすぼらしい服を着せるわけにはいかんな」

 ダニエルズ侯が目配せをすると、従者が持参していた箱から金の糸を織り込んだシルクの寝衣しんいを取り出した。

「これを貴殿に贈ろう」

「いえっ、とんでもありませんダニエルズ侯っ。私などにそんな大それたものを……。」

「遠慮せずとも良い。きっと似合うはずだ」

 頑なな(もっとも本人はそのつもりはないのだが)ダニエルズ侯に困惑したケリーが助けを求めるようネスを見る。ネスは蚊帳の外にいたかったが慌てて口を挟んだ。

「ち、父上、大げさですよ。ケリーの怪我も順調に回復していて、すぐに退院ですし……。」

「当たり前だ」

「……え?」

「私がカーギルから腕の良い医者を呼び寄せた。そいつに治療させてあるのだからな」

「……そこまでして?」

 妙にケリーに執着するダニエルズ侯の態度を見て、ふたりは彼がケリーに対して特別な考えを抱いているのではないかと心配になってきた。

「あの……父上? ケリーは私のでして……。」

「分かっている。お前、私がもうろくしてるとでも思ってるのか?」

「あ、いえ……その……。」

「ところで、先ほど雄弁がどうとか言っておったな。どういうことだ?」

 ネスはおもむろに立ち上がり、「父上、申し訳ありませんが、今回ケリーが手がけた件の事後処理が残っております。そして私は職務を優先しなければなりません、失礼ですがこれにて……。」と、病室を出て行ってしまった。

 ケリーは去っていったネスを恨めしそうに睨んでいた。

「さて、コールマン嬢」

「あ、はいっ」

 ケリーの声が上ずった。

「貴殿の此度の働き、私の耳にも入っている。大儀であった」

「お、恐れ多くも……。」

「謙遜することはない。貴殿のような女の存在はまさにダニエルズの誇り。私が医者を用意したのも、ただそれだけの理由だ。詮索は必要ない」

「は、はい……。」

 ダニエルズ侯はケリーに純粋に微笑んで見せた。しかし、とうのケリーは大型の闘犬にじゃれつかれているようなプレッシャーを感じていた。

「その……先ほど仰っておられた、雄弁に関してですが……。」

「……よい」

「え?」

「目玉焼きか雛鳥か、卵の運命を親鳥は知らん。つついたところでどうにもなるものでもないだろう。すべては神の導きだ」

 ダニエルズ侯は力強くうなづいた。ケリーもそうせざるを得ないくらいに強いものだった。

「は……はい」

「だが……。」ダニエルズ侯の笑顔が消えた。「それは努力を尽くした上での話しだがな」

 急に真顔になったダニエルズ侯を前にして、ケリーは早く帰りたいと切に願った。

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