エピローグ、もしくはプロローグ

──ファイザーによる遺体安置所襲撃から数時間後


 一番目の異形の存在のため、人々は二番目のそれに気づかなかった。

 異様な男? だった。黒いコートに穴の見当たらない黒い仮面をかぶり、黒い手袋に黒いブーツを履いていた。その黒さもさることながら、服の材質も異質だった。繊維にツヤがあるため、真っ黒いながらも男の全身は光沢していた。それはまるでガラスでこしらえた繊維のようであり、この世界のどの材質とも違う服だった。

 また、その動作も人々の目を引いた。男はただ歩いていただけだった。しかし、そこに違和感があった。人は日常で数多くの他人が歩く様を見る。だからこそ、その男の歩行が奇妙なのだと直感した。まるで、、そんな違和感だったのだ。

 男はまっすぐに遺体安置所を目指していた。

「どういうこと?」

 最初に声を上げたのは黒づくめの男ではなく、その隣にいた十歳の少女だった。男と違い少女は街にいる町娘と変わらない風体だった。しかし少女にも、よくよく見ると異質さが見て取れた。

 彼女の遺体安置所を見る瞳は濁り、顔には幼子だというのに所々に皺が険しく寄っていた。まるで、世の中の酸いも甘いも既に体験済みの妙齢の女性のような、そんな世間擦れした雰囲気を醸し出しており、それはませた子供程度では到底見せることの出来ないものだった。

「たかが遺体安置所でしょ? どうしてこんなに物々しいわけ?」

 少女の視線の先には、役人たちの姿があった。ただの遺体安置所だったが、ファイザーがそこを襲撃したため、役人たちが現場検証のために訪れていたのだ。

「……改めるか?」

 黒づくめの男が声を発した。おどろおどろしい外見に似合わない、とても穏やかな美声だった。しかしその声は美しいものの、マスクをしている顔の部分から聞こえてくるものではなかった。声は声帯ではなく、体全体を震わせて発しているかのようであり、それゆえに声が穏やかに周囲に響いているのだ。

「良いわよ。どうせすぐに

 ふたりがさらに近づくと、門の前にいたふたりの役人は思わず槍を構えた。それほどまでに黒い男の存在は異様だった。

「おいっ、貴様何の用だ!」

 槍を突き出された黒づくめの男が言う。「親類の遺体がここに安置されていると聞いたんだが……。」

「親類ぃ……お前のか!?」

「怪しい奴だなっ、どこからどう見ても親類の遺体を引取りに来た人間の格好じゃないだろっ」

 少女が言う。「ねぇ、やっぱり私が話そうか?」

「たいした事でもない。すぐに終わる」黒づくめの男は役人に穏やかな声で話しかける。「なぁ君たち、大切な人がここに安置されているかもしれないんだ。確認だけでもさせてくれないか?」

「だったらその仮面を取れ! モーニングにしては悪趣味だぞ!」

 役人の言葉に、幼女は「あ~あ、」と肩をすくめた。

「……何だと?」

 男の声が、腹に響く重低音の効いたものになっていた。

「いや、だから……悪趣味だと言ったん──」

 黒づくめの男が役人の喉を鷲掴みにした。大きな体に似合わない素早い動きだった。そしてやはり、その鷲掴みにするまでの所作も、歩いているときと同じく違和感のある動きだった。まるで肩から先が独立して動く蛇のような、人間の関節の運動とはまったく違うものだった。

「繰り返せと言ったわけじゃあない……。」

 男が片手で役人を持ち上げる。

「お……ご……。」

 役人が自分を持ち上げている男の腕を両手で握る。役人は喉を掴まれ苦しみながらも、男の腕から伝わってくる質感に奇怪さを覚えた。自分が生物の筋肉ではない、別の力の作用によって持ち上げられている事を感じていたのだ。

「や、やめろ!」

 もうひとりの役人が男に槍を突き立てる。だが、すぐにその役人も違和感に気づいた。槍から伝わってくる感覚が、生き物を刺した時に感じるものではなかった。ふと、役人は訓練で槍を土嚢に突いた時の感覚を思い出した。思わず役人が槍を引くと、刺した場所からは土嚢同様に灰色の砂がこぼれ落ちてきた。

「……お前は」

 槍を刺した役人が呆然としていると、黒づくめの男は役人の首をへし折って投げ飛ばし、さらに突き出されていた槍の柄を掴んだ。

「くっ……。」

 役人が槍を奪われまいと力を込めて引っ張る。すると突然、鋭い音があたりに響いた。音は男から発せられているようだった。そして音がさらに鋭く高くなったかと思うと、男が握っていた槍の柄の部分が鋭利な刃物でそうしたかのように綺麗に切断されていた。

「……え?」

 呆気にとられて柄の切断面を見る役人。再び素早い動きで男が役人の顔面を鷲掴みにした。

「ぐっ」

 役人が引き剥がそうと、両手で男の手を握る。だが外せない。万力のような、というより、機械的な男の力は文字通り万力そのものだった。

「あんまり散らかさないでよぉ」

 これから何が起こるか知っている風の口調の少女が、面倒くさそうにふたりから距離を置く。

「う、うぐぉ!」

 再び甲高い音が辺りに響いた。すると、鷲掴みにされていた役人の顔は青紫色に染まり、どす黒い血管がミミズのように顔面を這い回り、そして目、鼻、歯茎といった、顔面のパーツの隙間という隙間から血が吹き出した。

 役人は顔面を吊るされ痙攣しながら絶命した。

「ちょっとぉ、少し飛んできたじゃないっ」

 少女はスカートの裾の血を、はねた泥を気にする程度の物言いで男に文句を言う。

「すまん……つい頭に血が上った」

「血とかないでしょ」

 ふたりは今まさに作った遺体を少しも気にかける素振りも見せず、安置所に入ると、何かを探すように中を調べ始めた。

 歩き回ってしばらくして、少女が声を上げた。

「……いたわよ」

 ふたりの視線の先には、バクスター・ダイアウルフの遺体があった。バクスターの遺体はファイザーが移動した場所から、元の身元不明の死体の山へと戻されていた。殊に亜人、ゴブリンのものだったので、バクスターの遺体はすぐに焼却される予定だった。

「……使?」と、少女はバクスターの遺体に近づき、腰を折って遺体を観察しながら言う。

があるらしい」

「ふ~ん」少女は腰を戻し、男を振り向いて言う。「でも何でわざわざここまでしなきゃあいけないのかしら? 面倒じゃない?」

「仕方ない。ゴブリンで我々に協力的な奴など滅多にいないんだ。そいつの兄には、返事をすると言われたままナシのつぶてだしな」

「あっそ……。」少女は踵を返して男に言う。「じゃあ頼んだわね。そいつ、担いでちょうだい」

「私がか?」

「当たり前よ、こんな可憐な少女に死体なんて担がせるわけ?」

 黒い男は首を振ると、バクスターに歩み寄った。

「あ、乱暴に扱わないでね。壊しちゃったら元も子もないから」

「もう壊れてるだろう」

使、体が壊れたら問題だけどね」

 黒い男がバクスターの遺体を担ぐと、ふたりは安置所から表に出た。

「……あらあら」

 遺体安置室の外には役人たちが待ち構えていた。先頭には五十代前半の、口ひげを蓄え、黒々とした髪を油で七三分けに整えた隊長が仁王立ちしている。

 まったく、いったいこの遺体安置所に何があるというんだ。そう誰にでもなく呟いてから隊長が大きなダミ声で少女と男に告げる。

「おうぃ貴様らぁ! ここは包囲した、武器を捨てて投降しろ!」

「武器などない」と、やはり男が美声を響かせて答える。

「ぐぅ……なら抵抗するなよ。お前ら、囲め!」

 隊長に命令されると、役人たちは訓練された動きで一斉にふたりを取り囲んだ。

 少女が腕を組んで言う。「ちょっとぉ、何も聞かずに連れて行こうなんて酷いんじゃない? どうして私たちが殺したって分かるの?」

「お前らのように怪しい奴らが遺体のそばでゴブリンの死体を担ぎ出してれば十分疑わしい! おい!」

 隊長の合図で役人たちが一糸乱れぬ動きで槍を突き出す。そして槍を構えた役人たちはジリジリと円の距離を狭めていった。

 すると冷めた顔で役人たちを見ていた少女が、スイッチが入ったかのように急に顔をクシャクシャにして濡れた声で話し始めた。

「どうして信じてくれないのぉ?」

 隊長が言う。「気にするなよ、同僚が殺されてることを忘れるなっ」

「酷いよぉ、私何もしてないのにぃ……。」

 少女は目をこすりながら涙声を上げる。先ほどまで擦れた様子だったのが一変、少女はどこから見てもどこにでもいる町娘のようになっていた。

 困惑する役人たち。隊長の隣にいた副長が伺いを立てる。「あの……隊長、ただの子供のようですが?」

「そのただの子供が、死体のそばを平然と歩くと思うか? 状況を見ろっ」と、隊長が叱りつける。

「怖いよぉ、やめてよぉ……。」

 とうとう、少女は声を上げて泣き始めた。そんな少女の様子に感化され、ふたりを取り囲む役人の数人が、戸惑いつつ隊長の顔を伺い見るようになっていた。

「おいっ、貴様ら何て顔してるんだ?」

 天を仰ぎながら泣く少女の声が、次々に役人たちから力を奪い始めていた。

「クソ、何て腑抜けども……おいどうした?」

 隊長は隣にいた副長の様子を見て仰天した。副長が、まるで今まさに自分の子供を亡くしたばかりのように大粒の涙を流しているのだ。さらに副長は声を上げ、手で顔を覆い始めた。

「お、お前? 何なんだ? どうしたって言うんだ?」

 涙まみれの顔を上げて副長が言う。「隊長ぉ、だって仕方ないじゃないですかぁ。あんな可憐な少女が泣いてるんですよ? 同情せずにいられますか?」

 隊長が目を剥いて副長を見る。しかし、それ以上に異様な光景が目の前にあった。部下たちが槍を地面に置いていたのだ。

「ば、馬鹿ども! 何をやってるんだ!?」

 だが隊長の声は届かない。役人たちは世界でもっとも大切なものを失ったかのように悲嘆にくれ、涙を流しすすり泣いていた。

「……ねぇおじさんたち」

 涙をぬぐって頑張りながら、精一杯の気持ちを込めて少女が言う。

──死んで?

 役人たちは微笑んで頷くと、腰の剣を抜き出して、お互いの腹を、あるいは喉を突き刺し合い、一斉に殺し合いを始めた。

「おおおおおおおい! なぁにやってんだああああああ!?」

 次々に倒れていく役人たち。隣の副長も自分の腹を短剣で刺そうとしていたので、隊長は必死になってそれをくい止める。

「バカモン何をやっている! 気でも違ったか!?」

「死なせてください隊長!」

「何だ!? 何なんだ!? 何が起こってる!?」

「こんな、こんな悲しい気持ちじゃあ生きていけませんよ!」

「はぁ~!?」

 いいかげんにしろ! と、隊長は無理矢理に副長の手から短刀を奪ったが、それでもすぐに副長は地面に突っ伏して体を痙攣させ始めた。自分の舌を噛み切っていたのだ。

 目の前に広がる部下の死体を見て隊長は呆然とする。「何なんだ……これは……。」隊長は少女を見て問うた。「何なんだ……お前たちは……。」

 少女は怪しげにわらっていた。それは少女の浮かべて良い笑顔ではなかった。それどころか、人間が浮かべるられるものとも思えなかった。その瞳の中に、ひとりの人間の中に収まりきれない悪意と憎悪があった。

 隊長の中に在ったほんの少しの恐怖の火種、それが少女と目が合うことで一干し草に投じられたように瞬時に燃え広がり、隊長は恐怖で目眩を起こし吐き気をもよおした。

 膝をつく隊長、そして彼は何故かこう結論せざるを得なかった。

──もう生きていけない

 このまま生きていれば、もっと酷い恐怖が身に降りかかる。そう直感した隊長は、副長から奪った短剣を口にくわえ、そのまま前のめりに倒れこんだ。

 剣は倒れた衝撃で隊長の喉を貫き、首の後ろの頚椎を断ち切った。うつ伏せの隊長の顔の周りから、血溜りが止めどなく広がっていた。

「……ね? こうすれば汚れないでしょ」と、涙で目の周りを赤くした少女が笑顔で黒づくめの男を仰ぎ見る。

「回りくどいし悪趣味だ」と、男が言う。

「私の“スキル”悪く言うのやめて」少女は死体と血だまりの間を、ケンケンのように飛び跳ねながら役人たちの輪から出て行く。「さ、行きましょうか」

 黒づくめの男も倒れた役人たちの輪から出ようと動く。男は何の予備動作もなく高角度の跳躍をして、一足飛びで死体の群れから離れた。

 少女が言う。「雨が降りそうだから急ぎましょ」

「……うむ」

 しばらく歩くと、少女が男を振り向いてバクスターを見て、そして何も言わずにまた前に向き直った。

「……どうした?」

「別に、ただそいつがまともな仲間になると思えなくって……。」

「そうか、しかしそれは我々の考えることではない。我々は吟遊詩人のために働くだけだ」

「……そうね。与えられた仕事をこなさないと」

「そう、この大陸中に吟遊詩人の声を届けるために。……古の森の木々にこだまする聖なる声を……すべての大地を戻すために」

 少女は空を見上げた。

「ちょっと、やだ降ってきた」

 走る少女を尻目に男が感慨深げに言う。「すっかり夜が明けてしまう前に……。」

「急げっつぅのっ」

 少女が石を男に投げつけた。

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