scene55,ファントムを見るとき
「ファイザー君、今度は私を失望させるなよ?」と、モーリスがファイザーを振り向いたが、ファイザーとダッチはその場を離れようとしていた。
「……え? おいどうしたんだ? まだこいつらは息があるぞっ?」
ファイザーが言う。「俺たちはもう帰る」
「ど、どういうことだ? まだ仕事の途中じゃないか?」
「どういうこと? 分からんか? 貴様はもう役人でも貴族でもない、単なる罪人だ。そんな貴様がどうやって俺たちに報酬を払うというんだ? 俺たちは殺人狂じゃない。無償で殺しなんぞやらん。この場で働いたのは俺たちが逃げるためだ」
そしてファイザーはモーリスに背を向けた。
「なんだと?」モーリスが肩をいからせ非難する。「見損なったぞ、金がなければ動けないだと? 他とは違うとは思ったが、やはりお前は卑しい亜人だなっ。自分の仕事にプライドも持てんとはっ」
ファイザーが振り向く。「勘違いするなよ。俺たちの都合を考えたら、貴様を含めここの人間を皆殺しにするのが都合が良いんだ。証拠も目撃者もなくなるからな。だが仕事を請け負ったよしみで生かしておこうというんだぞ」
「なるほどファイザー、皆殺しってのはナイスアイディアだなっ」と、ダッチが手を打って相づちを打つ。
「だからそれをやらんと言ってるんだ」ファイザーが静かに苛だって言った。「まったく……モーリスよ、残ってるのは手負いの女ふたりだ。まさか、それすらも片づけられんとは言わないだろうな」
「う……ぐ」
ファイザーがクロウを見て言う。「機会があったらまた会おう、ファントム。その時は葬儀屋が間違いなくお前を墓場に送り届けてやる」
ダッチもクロウに言う。「火がないところに煙は立たん。もし“アンチェイン”について何か知ってたら聞かせてくれよっ」
そう言い残すと、本当にファイザーとダッチはその場からいなくなってしまった。
「そんな……ばかな……。」
モーリスは焦って周囲を見渡す。頼る仲間がまだ生き残っていないかを。しかし、ファイザーとダッチ以外の仲間はすべて死んでいた。
モーリスはようやく気づいた。獲物を追い続けた果てに、自分の虚栄が剥ぎ取られ、挙げ句足場すらも失っていたことを。もっとも彼は父が死んだ時、その時に既にすべてを失っていて、ただこの場でそれが明らかになったに過ぎなかったのだが。
「……どこを見てる? お前さんが愛おしくて堪らないって追い続けた女がここにいるぜ?」
クロウの声でモーリスが振り向いた。
「奴の言った通りだ。ここに立っているのは手負いの女しかいない」クロウは鍵で手枷の拘束を解いた。「最後の最後くらい、テメェの力で何としてみな」
「貴様ぁ……。」
クロウが手枷を投げ捨て冷ややかに嗤う「どうした? ぶるっちまったかいシニョール?」
「なめるなぁこのバスタード! お前が
「ファントムを見る時はテメェが死ぬ時だ」
「ほざけぇ!」
モーリスが剣を抜いて襲いかかった。
クロウは右手で刀の柄を握った状態から、手の力ではなく素早く腰を引くことによって抜刀し、低い体勢でモーリスの袈裟斬りをかわしつつ前に出ていた膝の上を切り裂いた。
「うぐ!」
足を斬られ後ずさるモーリス。一方のクロウは脱力したように下段に構えていた。
攻撃に転じられるとは思えないクロウの構え。モーリスは再び上段で切り付けようとするが、クロウは脱力の状態から腕を伸ばし、柄の先に添えた左手を軽く下げ、柄の根元を掴む右手を前に出した。最小の動作でクロウの刀の切っ先がモーリスの喉元にせり出ていた。
「う、うぉっ」
モーリスがのけぞると、クロウはあからさまな上段切りを繰り出す。モーリスは斜めに受けて斬撃を受け流そうとするものの、刀が剣の上で滑っている最中に、クロウは突如全身の力を込めて軌道を変化させ、押し込むようにモーリスの肩を切り裂いた。
「゛あぁ!」
浅い切り口は致命傷にはならなかった。
モーリスは接近した状態からクロウを体当たりで吹き飛ばそうとするが、クロウは後方に飛びながら横薙ぎを放った。刀がモーリスの腹部を浅く切り裂いた。
「が!」
ムキになり深追いしようとモーリスが突きを放つ。クロウは体を真横に向けそれをかわすと、伸びた剣を打って軌道を下げ、続けてモーリスの手首を斬った。衝撃と痛みでモーリスが剣を落とす。
クロウが剣を顎でしゃくる。「拾え」
ふたりの立ち合いを見ていたケリーは呆気にとられていた。はた目からすると、クロウが完全にモーリスをコントロールしているのが分かったからだ。モーリスは攻撃の手順さえクロウの構えで誘導されていた。
モーリスは剣を拾うと雄叫びを上げて剣を振り回しクロウに襲い掛かった。クロウは予備動作の大きい、剣術とも呼べないような左右の振りを余裕で避け続ける。
モーリスは剣を拾う際に一緒に手に取った河原の石を、大振りのフェイントに混じらせクロウに投げつけた。
クロウのバランスが崩れたその機を必死のモーリスは見逃さず、一気に詰め寄り
鍔迫り合いの苦手ではないクロウだったが、背中の負傷により激痛が走り体勢を崩した。それを見逃さなかったモーリスは、鍔迫り合いの状態からクロウを吹き飛ばした。クロウは河原の上に倒れた。
すぐに体勢を立て直し構えるクロウだったが、モーリスの狙いはクロウではなかった。
「……テメェっ」
モーリスはマテルを人質に取っていた。
「……武器を捨てろ」
クロウは構えを解いた。
「武器を捨てろと言ってるんだ! ガキを殺すぞ! 今さらやれないと思うか!?」
クロウは刀を放り投げた。
「そうだ……それでいい……。」
モーリスは慎重に刀に手を伸ばした。
「マテルを放せ」
「ダメだ。俺が逃げ切るまでこいつは──」
そう言いながら刀に手を伸ばしているモーリスの二の腕に、突如クロスボウの矢が刺さった。
「ぐ!? ぐぁ!」
突然の事態に全員が一斉に矢が飛んできた方向を見た。
そこにいたのはラガモルフの男だった。ラガモルフの男はクロスボウでモーリスに標準を合わせていた。
クロウが言う。「ラガモルフ……?」
ラガモルフの男が静かな声でモーリスに告げる。「その子を放せ」
「き、貴様何者だ!?」
「ただの通りすがりだ」
「ただの通りすがりだと!? なんでそれで俺に矢を!?」
「同族の子供を殺そうとしてるだろ、十分な理由だ」
「馬鹿な! 俺は役人だぞ!?」
ラガモルフはため息をつく。「アンタが役人なら俺は王様だ」
そして再びラガモルフの男はクロスボウを放った。矢はモーリスの肩に刺さった。
「ぎゃぁ!」
モーリスの力が緩んだのに乗じ、マテルはモーリスの腕を振りほどいて逃げ出した。
「あ、待て!」
マテルはクロウの元に戻った。
クロウは戻ったマテルを抱きしめながら周囲を見る。河原の岩陰や木陰では、ラガモルフたちが身を潜めながらこちらを見ていた。
──どういうことだ? ラガモルフはここにはいないんじゃあ……。
ケリーが叫ぶ。「クロウさん!」
モーリスが矢傷の痛みに耐え、クロウに襲い掛かっていた。
クロウは刀を拾うと、すぐに膝を付いた体勢から刀を伸ばし切っ先をモーリスに突き付けた。
モーリスは勢いよく突き出された刀を剣で叩き落とそうとするが、元々クロウはそうされることを見越して脱力していたため、刀は反れただけだった。
クロウは剣を振り切った体勢のモーリスに接近し、再び鍔迫り合いに持ち込んだ。
モーリスは先ほどと同じく鍔迫り合いからクロウを突き飛ばそうと力を込める。
だが、その前にクロウが得物を押し合った状態から刀の柄を伸ばし、先端でモーリスの顔面を強かに突いた。
人中を突かれたモーリスがのけ反る。
クロウは再び接近し鍔迫り合いに持ち込んだ。
モーリスはクロウと同じことをしてやろうと、鍔迫り合い中に柄を傾けた。
しかしその瞬間、クロウはモーリスの手首に左手を添え、モーリスの力を利用して腕を持ち上げた。
そしてクロウはガラ空きになったモーリスの横っ腹に右手で握った刀を突き刺した。
「……え?」
「あの世でテメェに用のある奴らが順番待ちしてるぜ」クロウが刀を捻る。モーリスの内臓に刀が巻きついた。「とっとと行ってやんな」
クロウは刀を両手で握り、体を半回転させて刀を引き抜いた。
モーリスの腹は内側から掻っ捌かれ、内臓が飛び出るように噴き出した。
膝を付いたモーリスは自分の目の前で内臓がこぼれ落ちる光景に衝撃を受け、その状態のまま意識を失った。
刹那の判断の誤りで、モーリスはファントムに命を掠め取られていた。
クロウは刀を振るって血糊を切ると、外套で刃を拭って柄を手中で回転させて納刀した。
「言ったろ、死ぬ時だって」
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