scene51,不滅の始末
クロウが辺境の村を訪れていた夜、ネスはケリーと同期の役人のソントンとモーリス邸の前に来ていた。ソントンもまた、モーリスの違法捜査を調べたネスの部下の一人だった。
「酷いですよ、ネス室長。どうして僕も別荘に連れてってくれなかったんですか」
そう不満げにソントンが言うのも無理はなかった。彼は捜査の中で、押収物が帳簿と合うかどうかという、ひたすらに面倒で根気のいるデスクワークを割り当てられていたからだ。地味とはいえ、捜査の立役者の一人だった。
「仕方ないだろう、俺の馬車二人乗りなんだから」
「なんですかそれ」
「それに、別荘には親父が来てたんだぜ?」
「え? ダニエルズ侯が?」
ソントンの声が上ずった。
「ま、君が親父と何かコネを作りたいってのなら話は別だがね」
ソントンは唇をすぼめてふてくされた。金髪の強いくせ毛のソントンは既に成人しているが、年齢より十歳は若く見られるほど童顔な上、仕草も子供っぽかった。そのせいで周りには軽んじられ、同期のケリーにも職場で冗談で弄られている始末だった。
「ていうか、そんなにケリーがお気に入りなら、どうして今日は一緒じゃないんです?」
「彼女の希望でまた別の仕事を頼んでるんだ。まぁ、いろいろと厄介な仕事なんだよ、早馬でダニエルズの外れに行ったり地元の役人と交渉したりとね。どちらかというと君は彼女に感謝すべきかもしれんよ?」
「でたよ、またですか」
「……どういう意味だい?」
「僕、彼女のああいうところ苦手なんですよね。デカい仕事の臭いがしたら、すぐに自分で手掛けたがるんですから」
「上昇志向が強いんだろうな」
「がっつきすぎなんですよ」
「君は違うのかい?」
「え?」
「刑部にいる者ならば、誰でも出世したいってのが普通じゃないのかい? そしてゆくゆくは部長に、願わくば検事長を目指すんじゃないのか?」
「けど……ケリーは女ですよ?」
「大いに結構。別に女が部長になっちゃあいけないという法律は我が国にはないんだからね」
「でも、前例がありません」
「何事にも“初めて”はある。君は初体験を済ませるとき、女を前にして“前例がないから無理です”なんて言って背を向けたかい?」
しかしソントンは何も答えない。
「おっと、もしかして君」ネスは意味深に笑う。「そりゃあ、悪いことを聞いたな」
「ち、違いますよっ」
笑いながらモーリス邸を見上げた。
ソントンもモーリス邸を見上げて言う。「しかし室長、なぜここへ?」
「ドレフュス部長はああ見えても部下思いの心配性でね。失敗や問題を起こした部下の家を訪問することがあるんだ。失踪前にモーリスの事を気にかけていたというし」
「なるほど……しかし何か、不気味な屋敷ですね」
「……手入れを怠っているせいだろう」
ネスがそう気休めを言うものの、やはり不穏な雰囲気をふたりともが感じていた。その館は、寝静まっているというよりどちらかというと臨終しているかのように、生者の気配を感じられなかった。
「ま、手をこまねいてても仕方ない」
ネスは正面の門からモーリス邸の敷地に入り、まっすぐに玄関を目指した。玄関の前まで来ると、ネスはドアにかけられている馬の蹄鉄の飾りでドアを叩いた。
しかし、いくら叩いても中から人が出てくる気配がしなかった。それどころか建物から人の気配もしない。まるで廃墟のようだった。
「……留守なんですかね?」と、ネスの後ろについてきたソントンが訊ねる。
「留守って、彼は今自宅謹慎中のはずだぞ」
「いやぁ、自宅謹慎といっても、自宅に監禁されてるわけじゃあないですから……買い物とか行ってるんじゃないでしょうかねぇ……。」
「こんな時間に?」
ネスはしばらく建物を見上げると踵を返し敷地内から出ていった。そしてたまたま正面の道を通りかかった老人に話しかけた。
「お急ぎのところ申し訳ないご老人。二、三うかがってもいいかな」
ひと目で上級の貴族と分かるネスに老人は恐縮しながら頭を下げた。そしてこのモーリス邸にはモーリス親子が二人で住んでいる事、そして父エミールはかなり前から病気で寝込んでおり、ここ数年は誰も姿を見たことがないということをネスに教えた。
「……だとすると、モーリスさんのお父様は今一人でいるってことですかね」建物を見ながらそう言うソントンだったが、ネスの様子に気づいて慌てふためいた。「な、何をやってるんですか室長っ」
ネスは路上で煙草で悠々と煙草を吸っていたのだ。
「ちょっと、ここ喫煙禁止区域ですよっ」
わざとらしく哀しげに首を振ってネスが言う。「悲しいもんだな。男が悪徳にふけるのにいちいち許可がいる時代になるなんて」
「なに言ってるんですか。消してくださいよっ」
「君、誰に対して口をきいてるんだい? 俺は次期ダニエルズ侯国領主のネス・ダニエルズだぜ? その俺が好きな所で煙草を吸って何が悪いっていうんだ?」
「そんな……法律を重んじる貴方がそんな事を言うなんて……。見損ないましたよ……。」
悲しげにそう言うソントンをしばらく見ると、ネスは穏やかな口調で同意した。「確かに、君の失望を買うのは心が痛む。反省したよ。君の言うとおり、俺が間違っていた」
そしてネスは壁越しに火のついた煙草をモーリス邸の中に投げ捨てた。
「な、何してるんですか!」
困ったようにネスは肩をすくめる。「君が捨てろと言ったろ?」
「そんな……だからって……。」
すぐに煙草の火は庭に積もった枯葉に引火し煙が立ち始めた。
「……おっと、大変だ」
「なに当たり前のこと言ってるんですか!」
「確か……この家には寝たきりの老人が一人きりだったんだよな?」
「そうですが!?」
真剣な顔でネスが頷く。「助けに行こう」
「え?」
ネスは再び正面の門から敷地に入った。そして玄関に立つとドアノブをブーツの底で蹴って外し扉を開いた。
ネスはソントンを振り返り、演技がかった真面目な顔で言い聞かせた。「緊急事態だ、致し方ない」
ソントンは「デスクワークが良かった……。」と、嘆きながら建物に侵入するネスの後について行った。
建物に入ると中は真っ暗だった。やはり
手探りで進んでいくと、突然ネスの後方が明るく光った。驚いてネスが振り向くと、ソントンがランプを手にしていた。
「あ、ランプを見つけたんで……。」
ネスがため息をついて首を振る。
ネスが月明かりの入っている部屋を見つけたので、その部屋に入ると、そこは天蓋カーテンの垂れ下がる寝室になっていた。ベッドの上には誰かが寝ていた。
「……失礼します。私はカーギル刑部室長のネス・ダニエルズです……。御宅のお庭でどうもボヤが起きてるようで……。」
ネスは寝ている人間に声をかけたが、人影はピクリとも動かなかった。不審に思いさらに近づくとネスは絶句した。
「これは……!」
そこにあったのはミイラ化した死体だった。
ネスの後から部屋に入ったソントンも、ベッドの上の死体を見て絶句した。
「え? 何なんですかこれっ?」
ネスはハンカチで口を押えて死体に近づく。
「……おそらく、エミール・モーリス殿だろうな」
「ど、どうして死んでるんです? ま、まさか……。」
「いや……。」ネスはエミールの死体を検分し始めた。「この遺体には外傷が見当たらない、おそらく病死だろう。酒毒に苛まれていたというから……。」
「でもどうして……。」
ふとソントンは悪臭を嗅ぎ付け、ランプを携え部屋を出ていき、その臭いのする方を辿って行った。
ネスはエミールを見ながら呟く。「死後数年たってるな……。なぜモーリスは父の死を隠したんだ……。」モーリスはハンカチを取った。思ったより悪臭はしなかった。エミールの遺体は死後数年たっていたが、彼の服はつい最近着せられた物のようだった。遺体の周囲もまた掃除が行き届いており、ナイトテーブルの上の水差しの水は新しいものだった。「いや、隠したわけじゃなく……。」
「うわぁ!」
「どうした!?」
突然のソントンの悲鳴。ネスはソントンの方へと駆けていった。ネスが声のした浴室に入ると、ソントンはそこで腰を抜かしていた。
「どうしたんだソントンっ」
「あ……あれ」
ネスはソントンの指さす方向を見た。
「……これは!」
「部長が……アライアスさんも!」
「何て……事だっ」
そこにはアライアスとドレフュスの遺体があった。エミールとは違い外傷のある二人は殺されたと見て間違いなかった。
「何なんです? 何がどうなってるんです?」
ソントンに声をかけられながら、ネスの脳内には様々な情報が駆け巡っていた。そしてネスは深刻な事態に気付くと顔を上げて呟いた。
「……ケリーが危ない」
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