scene53,旅のゆくすえ

 ふたりはしばらく川辺に立ち尽くしていた。強めの風が吹き、川面が揺れクロウの髪がなびいた。

 クロウが虚ろな目で無辺大に広がる旅の結末を眺めながら言う。「……聞いたとおりだったな」

 マテルがクロウを仰ぎ見た。

「美しい川があって……。多分時期が時期なら紅葉が綺麗なんじゃないだろうか……。」

 マテルは周囲を見渡す。そういう光景にはなりそうにない、簡素な、言ってみれば殺風景な川辺だった。

「葡萄の木なんかは見当たらないが……まぁ、親父さんの記憶違いというのもあるさ。思い出はいつだって綺麗なもんだからな……。」クロウも周囲を見渡し、わざとらしく語る。「ラガモルフも本当はいたんだよ。ただ彼らは用心深いから……きっと人間に見つからないようひっそりと暮らしてたのさ……。」

 マテルは再び怪気炎をあげるクロウを仰ぎ見た。

「ここが……ジュナタルなんだ……。」

 クロウは腰に手を当ててうつむいた。声が、少し濡れていた。 

「……きっとそうなんだ。……そうだろ」

 マテルがクロウに抱きついた。

「……ごめん」クロウがマテルに言う。

 マテルはクロウの腰間に顔をうずめて首を振った。

 クロウもマテルの体を抱きしめた。

「……ごめん」

 クロウの声が、たった一言を言うにもつっかえていた。

 しばらくそうしていると、マテルの耳が馬の蹄の音を捉えピンと立った。遅れてクロウの耳もその音を捉えた。

 音のする方向を見ると、役人たちが馬に乗ってこちらに向かっている最中だった。先頭を走っているのはあのモーリスだった。

「……逃げろ」

 力なくクロウが言う。だが、どこへ逃げていいものか分からず、マテルはクロウに抱きついたまま動こうとしなかった。クロウたちはすぐにモーリスたちに囲まれた。

 馬上から得意気に、しかし不健康そうな笑みを浮かべてモーリスが言う。「探したぞ、ファントム」

「……お前さんか。しつこい男は嫌われるぞ」

 クロウは後ろの川を見た。そこまで流れは速くない。マテルひとりでも泳いで逃せないだろうか。追い詰められていたが、それでもなおクロウは機を探り続けていた。

 部下の役人のひとりが言う。「……モーリス上等執務官。まだこの女が襲撃事件の犯人だとわかったわけではありません。まず──」

「こいつが犯人だ。間違いない」

 断言するモーリスに気圧されその役人は口をつぐむと、馬から降りて縄を取り出した。

 そんな部下にモーリスがきつい口調で言う。「何をしている?」

「え? 何と申されますと……あの女を捕縛しようと……。」

「そんな悠長な事を行っている場合じゃないだろう? 役人を襲撃するような危険な賊だ。この場でケリを付けるんだ」

「この場って……。」

 クロウが鼻で笑って構えた。「お前さん、中々感心な奴だったんだな。自分の尻拭いをきっちり自分でやるなんて。証拠隠滅のためにわざわざ出向くとはね」

 戸惑う部下たちにモーリスが言う。「耳を貸すな」

 男たちはクロウを囲み、じわりじわりと円を狭めていった。役人たちは殺気を放っていなかったが、ファイザーを始めとするモーリスが連れてきたならず者たちはクロウをこの場で殺す気だった。

「私が例の女剣士なら……お前さんたち、ひとりふたりは無事じゃすまんぜ」クロウはファイザーを見て言う。「手負いで私を仕留められると思うか?」

 男たちは円を狭めるのをやめた。膠着するクロウと男たちだったが、その輪の緊張を凛とした高らかな声が穿った。

「──そこまでよ!」

 現れたのは地元の役人を三人引きつれたケリーだった。すらりと足の長いサラブレット馬に乗り、革の鎧を着こんだケリーは余暇の時よりも更に精悍で、役人というよりも騎士のようだった。

「……ケリーさん」

 ケリーを見て役人たちは剣を構えるのをやめた。モーリスが馬上から苦々しくケリーを睨んでいた。

 馬を走らせながらケリーが告げる。「モーリス上等執務官っ。貴方には捜査の指揮権はありませんっ。貴方たちもすぐに剣を納めなさいっ」

 役人たちはモーリスの様子を伺う。そして不審な様子のモーリスよりも、ケリーに従うべきだと剣を納刀した。

 クロウたちの前まで来ると、ケリーは再び高らかな声で命じた。

「全員剣を納めなさい! 今この場で指揮権があるのは私だけです!」ケリーは武器を携えているならず者たちを睨んで言う。「貴方たちも! もしここで彼女を傷つければ私闘と見なします!」

 納刀した役人のひとりがケリーに訊ねる。「ケリーさん、これはいったいどういう事です?」

「モーリス上級執務官の謹慎命令は解けていませんっ。これは違法捜査の疑いがありますっ」

 モーリスについていた役人たちは各々顔を見合わせてからモーリスを見る。モーリスは相変わらずケリーを睨んでいた。

 ケリーは次にクロウに告げる。「クロウ・マツシタっ。貴方を役人襲撃の件で重要参考人として同行を命じますっ」

 見つめあうクロウとケリー。気まずそうに眼を反らしてから改めてケリーが言う。「貴方に……危害を加えるような真似はしません。お願いします、おとなしく言うとおりにしてください」

 黙っていたモーリスが口を開いた。「昨日今日役人になったばかりの青二才が首を突っ込むのはやめてもらおう。この女が役人を襲撃したのは間違いないんだ。悠長なことなどやってられない。お前らっ、こいつを大人しくさせろ」

 ケリーが馬から降りてモーリスに忠告する。「何度も言わせないでください。モーリス上等執務官、貴方に指揮権はないのです」

 そしてケリーは再びならず者たちを睨んだ。ならず者たちは顔を見合わせてモーリスを見る。モーリスが小さく頷くと、彼らは武器を納め始めた。

 事態が収拾しようとしていた矢先、役人の一人が「おい……あれ……。」と川の対岸を指さした。

「……え?」

 すぐにクロウもケリーも、そしてその場にいた全員が役人が指す方へと視線を遣った。そこでは一匹のオークが川を渡ろうとしている真っ最中だった。

 オークはこちらに手を振りながら陽気に、しかし獣の咆哮を思わせる大声で声をかけてきた。「おお! そこにいたのかファイザー! 探したぞぉ!」

 オークは何の躊躇もなくジャブジャブと川に入り、些細な障害物であるかのようにまっすぐにクロウたちを目指して歩いてきた。

 しかし、川の底は見た目よりも流れが速かったらしく、さらに苔の生えた石に足を滑らせ、オークは川の真ん中でひっくり返り流されていった。

 オークはクロウたちから30メートルほど離れた河原に流れ着くと、何事もなかったかのように大笑いしながら巨体を揺らしこちら側に歩いてきた。オークは朗らかに笑っているものの、その場にいる者たちの筋肉は一気に硬直していた。

「驚いたぞファイザー! この川、お前に渡された地図に比べるとずいぶん深いじゃないかぁ!」

「……絵だからな」

「それにあの山! 描いてあるよりも全然高い! お前を先回りしようとしてかえって遅れちまった!」

「絵だからな」

 オークはファイザーの物言いに爆笑すると、たまたま近くいたゴロツキの肩を巨大な手のひらで叩いた。

「ファイザーはいつもこうなんだ! まったくつれない奴だよなぁ!?」

 肩が外れる勢いで叩かれ、ゴロツキは「は、はぁ……。」と困惑しながら体を傾ける。

 しかし困惑しているのはゴロツキだけではなかった。クロウもケリーもモーリスでさえも、突然現れた非日常的な存在に面を喰らっていた。

 オークというだけではない。その体にまるで上着代わりのように巻かれている鎖は、大の男ですら全てを巻かれたら動けなくなりそうな量だった。さらに両腕にも腕輪のように鎖が巻かれていて、それは武器なのか鎧なのか、あるいは両方なのか、ただただ異様さだけがそのオークにはあった。

「で、こいつが噂のファントムとやらかぁ!」オークは河原の石を踏みつぶさん勢いでクロウに歩み寄ると、しげしげとクロウの体を観察する。「ほほぉ、お前がこんな女に不覚を取るとはなぁ!」

 あまりに突然の出来事とオークの殺気のなさに、クロウは間合いへの接近を許してしまっていた。

「んで、お前があの“アンチェイン”を殺ったってのかぁ!? 信じられんなぁ本当か!?」

「……いつ私が“やつ”を殺ったと言った?」とクロウが静かに言う。しかしそんなクロウでも、内心恐怖を感じざるを得なかった。ダニエルズ侯のように修辞を使って表現される体つきとは違う、それは純粋に、一言で“恐怖”と形容される体だった。それは亜人というよりも、人外の獣と対峙するのに近かった。

 オークは目を見開くと、天を仰いで大笑いした。

「そりゃそうだぁ!」

 誰もがオークが何をおかしくて笑っているのか理解できなかった。

「モ、モーリス上等執務官……これは?」

 呆気にとられていたケリーが何とか平静を取り戻しモーリスに状況を尋ねる。しかし、モーリスも状況が分からずファイザーを見た。

 ファイザーが面倒くさそうに説明する。「手に余ると思ったんでな。仲間を連れてきた」

「……アンダーテイカーの連れのオーク……“リトルボーイ”ダッチか?」と、クロウがオーク・ダッチを仰ぎ見て言った。

「そのとーりっ」ダッチが得意げに微笑んだ。

「何の冗談だ? お前さんのどこが“リトルボーイ”なんだ?」

「オークの中じゃあ俺は小柄なんだよっ。あんまりその呼び名は好きじゃあないんだっ。もうひとつの方、“ツームストン”で俺を呼んでくれよ!」

「……ツームストン墓石みたく突っ立ってばかりだからな」と、ファイザーが呟く。

「お前がちょこまか動きすぎなんだよファイザー!」

 そしてまたダッチは大笑いをした。

 困惑している周囲を気つけするように、大きく柏手を打ってダッチが言う。「よぉし、じゃあ始めてくれぇっ」

 ファイザーが訊ねる。「……何をだ?」

「うん? この女を始末するんじゃあないのか?」

「状況を見ろ。もうは終わりだ」

 ダッチはきょとんとした表情で周囲を見て、そして頭をベチンと叩いた。

「あちゃ~、来るのが遅かったかぁ。つまらんなぁ」

「そういう問題でもない」

 ケリーが部下を引き連れ、ダッチを恐る恐る横目に気にしながらクロウに歩み寄る。

「クロウさん。申し訳ないけど私は役人なの。法を破った者を見過ごすわけにはいかないわ……。」

「……そうか」

「でも、貴方には正当な取り調べを受けてもらうわ。もし貴方に疑わしいところがなければ釈放するし、そうでなかったとしても事情があれば情状酌量で……。」

「気休めはよしてくれ」

「……そうね」

 ケリーが部下に目配せをすると、部下はクロウの正面に立ち、手に手枷をはめた。

「……ところで、いつから私を疑ってたんだい?」

「……些細な疑惑で言うなら最初からよ」

 クロウが冷笑する。「たいしたもんだね。それなのにあんなにも友好的に接してくれてたってわけか。優秀な役人なんだなお前さん。頭が下がるよ」

「そんな言い方はやめて。私だって……貴方がそうでないならと願ってたわ……。」そしてケリーはクロウの陰に隠れてるマテルに取り繕うように優しく、用心深い口調で話しかけた。「マテルちゃん、私と一緒に行きましょう?」

 しかしマテルはさらにクロウの後ろに隠れた。悲しげに俯くケリーに部下が「どうします?」と問いかける。

「構わないわ、彼女の側にいさせてあげて」


 手枷を着けたクロウを馬に乗せ、一行はカーギルに向けて出発をするはずだったが、ケリーは違和感に気付いた。

「モーリス上等執務官、なぜ彼らがまだいるんですか?」

 モーリスの連れてきたならず者も、そしてファイザーもダッチもその場にとどまっていた。それどころか、彼らは役人たち総勢9人を取り囲むように立っている。

「その女は剣におぼえのある役人をことごとく斬った女だぞ? 用心に越したことはないだろう」

 モーリスが平然と言う。あまりにも不自然なまでに冷静な言い方だった。

 ケリーと同じく不審に思った地元の老練な役人がやや興奮して言う。「おいっ、それなら俺たちを囲むのをやめさせろっ。何のつもりだこれはっ。それにさっきのオークの言ってた“始末”ってのもどういう意味だ!?」

 役人が腰の剣に手をかけると、ならず者たちも殺気立った。

 ケリーがその地元の役人を制しながら言う。「落ち着いて、事を荒立てる必要はないわ。モーリス上等執務官、お気を使っていただかなくて結構です。何度も申しあげてますが、ここで指揮権のあるのは私です。私が必要ないと言えば必要ありません」

 ケリーは毅然としてモーリスを見た。しかし、モーリスは異様な眼光でケリーを見返していた。闇の中から怪しく光るその眼光は、茶色のモーリスの瞳が紫に光っているようにケリーに錯覚させ、ケリーは思わず生唾を飲み込んだ。

「……そうか。だが、こいつらとは行き先が一緒でね。ここに置いてけぼりというのも可哀想だろう?」

「そ、そうですか……。なら、仕方ありませんね……。」

「ケリー執務官っ」

 するとそこへ、また別の地元の役人が馬で駆け込んで来た。彼の手には、カーギルからの伝書鳩の便りが握られていた。

「……どうしたの?」

「ケリー執務官っ、これを……。」

 手渡された手紙を見るケリー。手紙にはダニエルズ家の蝋印が施されていた。

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