scene②─3,そして父になる

「おい、バンダム! 待ちやがれ!」

 バンダムの逃亡はすぐに強盗団にバレてしまった。

 徒歩のバンダムに、馬で追いかけてきた団員はすぐに追いつこうとしていた。不思議なことに、赤ん坊はこれだけ激しく揺らされているというのに全く目を覚ますことなく、安らかに眠っていた。

「逃げるんじゃねぇ!」

 逃げるバンダムの頬を、クロスボウの矢がかすめた。それでもバンダムは、死の恐怖を振り払うように走り続ける。

 バンダムは生まれて初めて神に祈った。五王国の信仰する転生者でも、古来に信じられていた土着の神でも、はたまた黒王が崇拝していた邪神でもいい、体がはり裂け血液が沸騰してでも走り続けさせてくれ、バンダムは鳴き声のように呼吸を荒げ走り続けた。

 しかし、奇跡などそうそう起こるものではない。バンダムの息は上がり、足はもつれ、大木の根が剥き出しになっている山の急斜面の真ん中でバンダムは転げるように倒れてしまった。赤ん坊を押し潰さないように何とか体を返せたくらいだった。

 バンダムが倒れると、すぐに盗賊たちはバンダムを取り囲んだ。

「どうしたんだ、バンダム? もしかして、今さら殺しが嫌になったとか言うんじゃねぇだろうな?」と、馬上からバンダムを見下し頭が言う。

 息を切らせながらバンダムが言う。「……だとしたら……何だ?」

「馬鹿が。だとしたらウチの掟は知ってんだろうな? けじめをつけずにウチを抜けようってんなら命はないぜ」

「そうか……それは……知らなかったな……。」

「……よぉバンダム、俺はオメェに期待してたんだぜ? 俺は亜人だからって差別はしねぇ。仲間なら平等に接してきた。分け前だってオメェも他と同じにしてたはずだ。なのにオメェは俺を裏切るってのか。あんまりじゃねぇかよ、ショック過ぎてどうにかなりそうだぜ」頭はクロスボウでバンダムを狙った。「ショックすぎて手元が狂って、その赤ん坊まで殺っちまいそうだ」

 これまでか……バンダムは赤ん坊を抱きしめて目を閉じた。すると、これまで静かだった赤ん坊が目を覚まし、大きな声を上げ泣き始めた。

「やれやれ、やかましいもんだ。だがもうあやしつける必要はねぇぜ。ふたり仲良く眠ってもらうんだからな」

 しかし、頭がクロスボウの標準を定めようとするものの、馬が忙しなく動いてそれが上手くいかなかった。

「何だぁ? おいおい馬公、オメェどうしたってんだよ?」

 それは頭の乗っている馬だけではなかった。盗賊たちが乗っているすべての馬の様子がおかしかった。前足を繰り返し上げ、その場で大きく足踏みをしていた。

「おい、何か変じゃないか?」と盗賊のひとりが言う。

「あれ……なんか揺れてないか?」

「地震……か?」

 確かに、地震だった。しかもその揺れは次第に大きくなっていった。

「おいお前ら、慌てんじゃねぇっ。すぐにおさまる……。」

 頭がそう構成員たちをなだめるが、揺れはいっそう強くなり、急斜面は土砂崩れを起こした。

「う、うわぁぁぁぁぁあぁぁぁ!」

 土砂崩れで盗賊たちは足を取られ、洗い流されるように盗賊たちは土の波に飲まれていった。

「なん……だと?」

 不思議なことに、土砂崩れを起こしたのはバンダムのちょうど真下で、バンダムと赤ん坊は全くの無傷だった。

「ん? うおっ危ない!」

 さらにバンダムの後ろにあった巨木が倒れ、巨木は麺棒のように盗賊たちを押しつぶし、彼らは土の下に跡形もなく姿を消していった。

 奇跡などそうそう起こるものではない。しかしその時、奇跡は起こっていた。

「な、何が起こったんだ……。」

 そしてそれは当のバンダムも同じだった。祈っていた彼でさえ何が起こっているのか分かっていなかった。

 呆然と立ち尽くしていたが、ふと我に返るとバンダムは赤ん坊を抱いて村へ降りていった。赤ん坊を抱えながらはバンダムは自問する。なぜあんなことが起こったのか。これまで散々人を殺め、不信心に生きていた自分の祈りを神が聞き届けてくれたとでもいうのだろうか。もうひとりの自分が、あんなものは偶然だと彼に語りかける。今さらお前が心を改めようと、別の生き方など出来やしない。今までどおり生きていけばいいのだと。しかし、それでもまた別の自分が、何かこの出来事には意味があるのではないかと声を上げる。人生の大半を外道に生きてきたバンダムだったが、そんな彼に心変わりを強いるほどに、あの光景は衝撃的だった。

 バンダムが村にたどり着く頃には雄鶏が鳴いていた。

「……あら、どうしたの? すごい地震だったけど大丈夫だった?」 

 バンダムの再訪に村人の女は驚いたものの、それよりも先ほどの地震の方が心配だったようだ。

「あ、いや……地震は大丈夫だった。だが、来る途中……盗賊に襲われてしまって……。」

「盗賊!? 大変!? 村の男衆を集めないと! あとお役人さんも!」

「いや、それが……。」

 バンダムの話を半信半疑だった村人たちだったが、バンダムの言われた場所に向かうと、そこには確かに盗賊たちの亡骸が埋もれていた。

 村人のひとりが驚愕する。「……信じられん。で、コイツらがウチの村を襲おうとしていたのか?」

「……ああ、そうだ」

「そうか……。いや、ありがとうレグさんとやら。村を代表して礼を言うよ」

「何?」

「だってお前さん、盗賊に追われてるのに、危険を顧みずに我々にこの事を教えてくれに来たんだろう?」

「あ、いや……それは……。」

「そういえば……お前さんステフに聞いたんだが、奥さんを亡くしてひとりでその子供を育ててるって?」

「……そうだ」

「行くあてはあるのか? 何だったらウチの村でしばらく落ち着いたらどうだ」

「いや……そんな迷惑をかけるわけには」

「迷惑なもんか、ラガモルフひとりくらい。それにちょうど今は子供が産まれたばかりの家が三軒もあってな。その子の乳には困ることはないぞ。どうだい? ここからまた別の住処を探すとしても、それまでそんな小さな子が旅に耐えられるとでも?」

「……そう、だな」

「じゃあ決まりだな。空家が一件あるから、そこを使うといい。よろしくなレグさん」

 それからすぐに、“レグ”はこの村の一員となった。

 ラガモルフであるために、大きな力仕事は出来なかったものの、羊の番やクロスボウを使った猟などで村人を助けるレグを、村人は正式な村民として受け入れた。何より、男やもめのラガモルフというレグの立場は、人間たちからすれば自然と情が湧くらしく、彼がかつて“夜鷹”のハリネズミとして知られていた男などとは誰も夢にも思わなかった。


「あらぁ、お帰りなさいレグさん」

「父さん!」

「ただいま。マテルはいい子にしてたかね?」

 二日間の狩りから帰ってきたレグは、マテルを預けていた近所の家に迎えに行った。マテルは帰ってきたレグを見るなり飛びついてきた。

「びっくりするくらい良い子だったわよ」

「そうかね? 私といる時はすぐにぐずるんだが……。」 

「お父さんだからよ。子供は安心できる人の前だとワガママを言うものなのよ」

 マテルに顔の毛を引っ張られながらレグが呟く。「そうか……。」

 ステフがテーブルに葡萄酒を用意して言う。「さぁ、レグさんも一杯やっててちょうだいな」

「すまんね。喉がカラカラだったんだ、助かるよ」

 レグがマテルを抱いてテーブルに座ると、マテルが葡萄酒に手を伸ばすので「やめなさい」とレグはその手を抑えた。

「それにしてもやっぱり成長が早いのね。もう言葉を覚え始めてるわ」

「そうなのかい?」

「ええ。もう“父さん”以外も言えるのよ? ねえ?」

 ステフがマテルの顔を覗き込むと、マテルは恥ずかしそうに顔を背けた。

「他には何を?」

「まぁ……“まんま”とか、あと……お父さんの口癖なのかしらね“すまないね”って言うのよ。ありがとう、じゃあなくってね」

「本当かい?」

 ステフはビスケットを瓶から取り出しマテルに与えた。

「しゅまんね」と、マテルは笑顔でそれを受け取る。

 驚いたようにステフを見るレグ。ステフも小さく笑った。

「これからは……きちんと私も“ありがとう”と言ったほうがいいのかね」

「そんなことないわよ。いつかはみんなと同じようになるわ。それまではお父さんの口真似になるわね」

「そうか……。」

「でも、きちんとお礼を言えるのは素晴らしいことだわ」

「そう……だな」

「ウチの旦那もそうなんだけど、子供を持つと父親ってのは子供の見本になろうとするからね。知らないうちに、子供が生まれる前よりも妙にしっかりし出すのよ。レグさんもそうなんじゃないの?」

「え?」

「この子が生まれてから、しっかり生きてこうって思うようになったんじゃない?」

「……そうだな」

 レグはビスケットを食べるマテルの頭を撫でた。確かに、マテルと出会ってからは、彼の生活は変化の連続だった。それは変化どころではなく、まるで生まれ変わったかのような違いですらあった。

 家に帰ると、レグとマテルは貰い物のシチューとパンで食事を始めた。この村に住み始めたばかりの頃は食べ方が汚く、レグが何度もマテルのこぼした物を拭いてやっていたが、今はとても行儀よくなっていた。

 ラガモルフの成長は人間に比べるとかなり早い。マテルはすぐに言葉を話し始めるようになり、レグが教えれば教えた分だけ物を覚えていた。日に日に大きくなっていくマテルは、レグにそれまで知らなかった生きがいを与えていた。奪うことでしか生活を知らなかった男が、与える人生を知り始めていたのだ。

 ふたりが就寝すると、マテルはレグの寝床に入りたがってぐずり始めた。

「おいおい、もう大きくなったんだから一人で寝れるだろう」

 しかし、マテルは嫌がって首を振る。

「だって、二日間はステフおばさんのところで寝てたんだろう? 父さんがいなくても平気だったんじゃないか?」

 するとマテルは怒ったように顔を膨らませ、瞳に涙をため始めた。

「ああ、そうかい……。」

 レグは毛布を上げてマテルを寝床に引き入れた。数日間、息子が寂しさを我慢していた事を知ったのだ。

 寝ている間、マテルはレグの体の毛を引っ張るようにして眠っていた。しかし、レグはそんな自分のすべてを信頼しきっている幼子を愛おしく感じていた。


「え? この村を出て行く? またどうして?」

 翌日、村の代表に村をでることを告げると、彼や村民は驚いた。彼らが、もうレグは村の人間なのだとすっかり思っていた矢先だった。

「すまない。確かにここの皆にはたいそう世話になった。だが……マテルの将来を考えたいんだ」

「どういうことだい?」

「アンタらには感謝している。流れ者の私らを家族のように迎えてくれた……。だが、マテルが大きくなると、例えどんなにアンタたちが温かくしてくれようと、同族が恋しくなると思うんだ……。私はあの子と一緒にラガモルフのいる土地を探すことにするよ。あの子の将来のためにね……。」

「そうか……。なら仕方ないな……。」

「すまんね……。」

 レグの言ったことは真実ではあったが、幾分の嘘が混じっていた。彼がここから離れたかった理由には、この土地が彼に強盗団の時代を思い起こさせてしまうこともあった。

 レグ親子は、村人に見送られ村を旅立った。村人たちは名残惜しそうにふたりの後ろ姿に手を振り続けた。


 その後、レグ親子はカーギルの北部の山に住み着き、新しい生活を始めた。ラガモルフは少なかったが、以前のように全くではなかった。近隣の亜人たちは警戒心を抱かないラガモルフであり、かつ強盗団で切った張ったの生き方をしていたため胆力の備わっているレグを頼りにするようになっていった。レグもまた、息子の規範となるべく積極的に人々を助け続けた。何より、それが彼の思う過去への償いでもあった。だが同時に、そこには現実逃避もあったのかもしれない。偽りの過去を作り出し、その思い出を息子と共有し生き続けることで、あたかも嘘がやがて真実になるかのような、そんなありもしない悲痛な願いが彼になかったとは言い切れない。もっとも、今となってはその真意を確かめる術もないのだが。ただ少なくとも、レグの人生は息子によって救われていた。

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