scene①ー3,シークレット・オブ・モンスター

 その夜、雨はやむことなくより一層酷くなり、外はさながらバケツをひっくり返したようだった。

「アリア! アリア!」

 屋敷の離れにある、住み込み女中の部屋で寝ているアリアの元に、モーリスがやってきた。

「フィリップっ、こんな夜中にどうしたの?」

 扉の前にはずぶ濡れのモーリスがいた。

「僕決めたよ。この家を出ていくっ」

「え? でも……。」

「作曲家の先生のところで、直接弟子入りさせてもらうんだ」

「そんなことできるの?」

「やるしかないんだ。弟子入りさせてくれるまで、玄関の前で梃子てこでも動かない。何日でも頭を下げて、お願いするんだ。掃除でも炊事でも、何だってやりますからってっ」

「そんな……無茶よ……。」

「一人じゃあ無理だよ……でもアリア、君となら……。」

「……え?」

「一緒に行こうっ。君が支えてくれたら、僕はどこだって行ける」

 ずぶ濡れのモーリスは、アリアの手首をつかんで外に連れ出そうとした。

「ちょ、ちょっとフィリップ落ち着いて? 貴方ちょっと興奮しているのよ」

「冷静になんてなってられないよ。父上は音楽だけじゃない、君との仲だって許してくれないんだっ」

「それは……貴方は貴族ですし、私は……。」

 モーリスのアリアを握る手がより強くなった。

「そんなの関係ないよっ。ねぇアリア、もし僕の思いに応えてくれるなら、この雨の中を一緒に出て行ってくれるよねっ」

「ねぇフィリップ、やっぱりお父様にまず相談した方が……。」

 モーリスが手首を握る手を弱めた。

「……どうしてそんなに父上の事を?」

「え? だってそれはモーリス様は貴方のお父様なんだから……。」

「父上の……言った通りだったんだ……。」

「何を言ってるの?」

 モーリスが顔を上げた。うつむいていたが、目の周りだけが新たに濡れていた。

「そうか……分かったよ」

「……フィリップ?」

 モーリスはアリアから手を放すと、雨の雫すらも見えない、深い闇夜に消えて行った。

 翌朝、モーリスが保護されたのは街の旅籠屋だった。迅速な役所の手配と、少年が一人で旅籠屋に来たことを不審に思った主人が役人に伝えたたため、すぐにモーリスは自宅へと帰された。しかし、彼の受難はまだ終わっていなかった。

 雨の中で街を彷徨っていたため、熱を出し寝込んでいたモーリスの寝室にエミールがやってきた。

「入るぞ……フィリップ」

 モーリスが重たげに顔を上げて父を見た。「……父上」 

「熱はまだきついか……。」

 そう言う父の手には、板と金槌と裁縫用の大きな鋏があった。

「はい……まだ……。」

 エミールは「そうか」とベッドの隣にある椅子に座った。

 板と金槌を気にするモーリスが尋ねる。「父上……雨漏りですか?」

「いや……これは躾の道具だ」

「……え?」

 エミールは板を机に置くと、息子の手を取りその板の上に押さえつけた。

「父上……何を?」

 首を振ってエミールが言う。「お前には……とことん失望させられる。あれだけ音楽の道は許さんと言ったのに、まるで父の言いつけを守ろうとしない。体に教え込まないとダメなようだな」

「ち、父上?」

 酔ってはいなかった。だが目は虚ろで、しかし何かに取り憑かれたように決意を秘めた目でもあった。

 モーリスは恐怖で父の手を振り払おうとするが、病身で力が出なかった。

「動くな却って酷いことになるぞ……。」

 エミールはモーリスの手の甲に五寸釘を突き立てた。

「ち、父上、やめてください父上っ」

「お前のためなんだ。男なら、これくらいの痛み耐えて見せろ。悪いのは……音楽から離れようとしない……この手だ!」

 エミールは息子の手の甲に金槌を振り下ろした。重々しい音とともに、五寸釘はエミールの手を貫通し板を貫いた。

「~~~~~~~~~~!」

 高熱で体力を奪われていたモーリスは、満足な悲鳴すら上げることができなかった。無言で激しく呼吸しながらのた打ち回るモーリス。だが、エミールはまだ満足していなかった。

 エミールはモーリスをベッドから引きずり出すと、寝巻のズボンをずりおろし、下着もはぎとり、息子の下半身を露わにさせた。モーリスは父の行動がまるで理解できず、問いかけることすらできなかった。

 そしてエミールは困惑して動けなくなっている息子の性器を断ち鋏で挟んだ。金属の冷たい感触と恐怖でモーリスの陰茎がぶるぶる震えていた。

「……へたに動くと切れるぞ」 

 モーリスは硬直してただ涙を流し、哀願するように父を見た。

「フィリップ……どうやらお前は異常性愛者らしいな。動物で興奮するのはどう考えても病気だ。妙な気を起こさんうちに去勢しておこう」

 エミールは挟みに力を込める。

「ち……違います……。」

「違うだと? ……どう違うんというんだ!? 動物相手に興奮して! 鼻の下を伸ばしおって! 犬と人間の区別もつかんのか貴様恥を知れ!」

 モーリスは涙を振りまきながら首を振った。

「変態か? お前は変態なのか!? どうなんだ!?」

「ち、違います……違います……。」

「もう二度と、妙な気を起こすんじゃないぞ! 分かったな!?」

 モーリスは声が出ずに、何度も口をわななかせた。

「返事をしろ!」

「は、はい……。」

 エミールは鋏をモーリスの性器から外すと立ち上がって言った。「……予定を繰り上げて、お前は来週には寄宿舎に行ってもらう。それまでに病気を治しておけ」

 エミールは医者を呼びに部屋を出ていった。

 エミールが去った後、モーリスは熱にうなされながら部屋の外の声を聞いていた。父親とアリアの母が話している声だった。モーリスは熱でかき乱された思考の中で結論づける。自分のことを父に話したのは、間違いなくアリアだと。

 しばらくして、モーリスはアリアの母娘が家を出る音を聞いた。窓の外から母娘を見ると、ふたりは楽しげに会話をしていた。

 二人が笑顔なのはきっと陰険な噂話をしていて、アリアは僕が話した事を周囲に言いふらして嘲っているのだ。少年のモーリスはそう信じた。


 三日後の夜、モーリスは夜の街へ出た。街角を彷徨うモーリスは、路上に横たわる浮浪者のワウルフを見つけると声をかけた。

「おじさん。こんな所で寝ていると風邪ひくよ?」

 浮浪者は体を丸めてモーリスに背中を向ける。「うるせぇな小僧、ほっといてくれよ。哀れに思うんだったら、酒でも買ってきてくれ……。」

「お酒はお店が閉まってるから無理だけど、お金なら渡せるよ」

「……何?」浮浪者が振り向いた。

 モーリスは不自然な笑顔で浮浪者の目の前に1ギル紙幣を差し出した。

「これでお酒を買うといいよ」

「おお……いいのかい坊や」

 モーリスは頷いて、不良者から一歩下がった。

 不良者が手を伸ばすが届かない。さらに手を伸ばそうとするが、それ以上動くことができないようだった。

 実はこの浮浪者は、疫病で右足が壊死していたのだ。そしてモーリスは、先日家を飛び出した際に、彼を街角で見かけその事を知っていたのである。

「お、おおい……。もうちょっと近づいてくれないか坊や?」

 モーリスは紙幣をヒラヒラと振りながら挑発する。「ダメだよおじさん。これくらいの距離はきちんと立って取りに来ないと。働かざる者食うべからずだよ? タダでもらおう何て思っちゃあダメだって」

 浮浪者は苦笑いを浮かべながら立ち上がろうとする。しかし、途中まで立ち上がったところで「イタタタタ」と膝をついた。

「ダメだなぁおじさん。こんな距離も歩けないのかい?」

「ま、待ってくれ。今杖を取るから……。」

 浮浪者はそう言って杖を手に取り、それを支えにして立ち上がろうとする。

「よ……よっこらせ」

 だが、その支えにしていた杖をモーリスが蹴っ飛ばした。

「ぐぁっ」

 浮浪者が顔面から倒れる。モーリスはそんな浮浪者の様を見て高笑いを上げた。

「駄目だなぁ、おじさん。見てられないよ。本当に無様だねぇ」

 卑屈な笑顔で浮浪者が顔を上げる。「ぼ、坊や……意地悪しないでくれ。ワシは見ての通り足が悪いんだ。早くお金を恵んでおくれよ」

「……しょうがないなぁ」

 モーリスは浮浪者の前に紙幣を落とした。浮浪者は喜んでそれに手を伸ばす。だが──

「ぎゃぁ!」

 モーリスはその手を足で踏みにじった。

「おじさん……本当に……見てられないね……無様だね……。」

 モーリスの声は、サディズムと性的興奮で、冷たく、黒く震えていた。

「何をするんだこのガキっ」

「ねぇ、恥ずかしくないのおじさん? こんな子供に馬鹿にされて」

「こ、この野郎、なんてガキだっ」

「本当に……しょうがない奴らだよ……お前らは……。」

 モーリスは腰間から金づちを取り出した。

 浮浪者がモーリスを見上げてうろたえる。「な、何をする気だ?」

 モーリスは金づちを浮浪者の頭に振り下ろした。ゴスンと骨を打つ音が路地裏に小さく響いた。

「ぐぉぅ!」

 浮浪者は叫んだあとに、頭を抑えて転げ回った。

「お前らは無価値だ」モーリスは再び金づちを振り下ろした。

「不勉強で」さらに一撃。

「怠慢で」また一撃。

「不誠実で」一撃。

「ずる賢く嫌らしく卑猥で嘘つきで何の役にも立たないゴミクズだぁ!」

 そして幾度も浮浪者を滅多打ちにした。浮浪者の老人は体をうずくまって痙攣させていた。身よりのない浮浪者なので、このまま朝になれば息絶えているだろう。

 そして翌朝、モーリスは何事もなかったかのように寄宿学校へと発って行った。

 エミールは落ち着き払って発って行った息子を満足げに見ていた。息子が、おぞましい化物に変質し始めていたなど夢にも思わずに。

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