scene①ー2,淡い恋心
「アリア……アリアっ」
「どうしたのフィリップ?」
翌日、アリアはモーリスに庭の片隅にある物置小屋に呼び出されていた。
「うん実は……アリアに相談したいことがあって……。」
「相談したいこと?」
「こっちに来て……。」
モーリスに促され、アリアはモーリスの隣に座った。毛で覆われたアリアの体温を感じ、モーリスは父によって冷やされた体が少し暖かさを取り戻したような気がした。
「……これ」
フィリップは一枚のチラシをカバンから取り出した。それは、全寮制の音楽学校の案内だった。
「まぁ、じゃあお父様が音楽学校へ行くことをお許しになったのね?」
アリアは両手を合わせ感動したように喜んだ。
「……ううん」
「……え?」
「父上はやっぱり認めてくれなかった……。」
「そう、なの……。」
「でもね、父上が認めてくれないなら、黙って全寮制の申し込みをしちゃおうかなって」
「え? でもそんなこと出来るの?」
「親戚の叔母さんに保護者のサインをしてもらおうって思ってるんだ。お母様のお姉さまなら、きっと僕が音楽をやることにも賛成してくれるはずだよ」
大胆な行動力を見せる少年にアリアは感心する。「素晴らしいわフィリップ。……でも」
「どうしたのアリア?」
「なんだか寂しいわね……。貴方が全寮制の学校に行ってしまうなら、私たちはもう会えないし……それに……。」
「それに?」
「貴方がせっかく音楽家になっても、私はコンサートには行けないわ……。だって亜人ですもの……。」
アリアは悲しげに自分の毛で覆われた腕を撫で、犬のような顔を呪わしそうになぞった。
「そんなことないっ」
「え?」
「君が認めてくれたんじゃないか、僕の才能を。だから……僕は音楽家になったら誰にも文句を言わせないコンマスになるんだよ。それもヴィザ管弦楽団の主席奏者にだよ。それで……そうなったら君を僕のコンサートに招待するのさ。特等席に君を座らせるよ。上流階級の貴族しか座れないバルコニー席にね」
アリアは微笑んでモーリスに尋ねる。「亜人の私を? じゃあ、いったい私をどういう名目でそこに座らせてもらえるのかしら?」
「それはもちろん……僕の、大切な人ってことで……。」
アリアはモーリスの唇に人差し指を当てる。「ダメよ、フィリップ。そういうセリフは本当の時までとっておきなさい」
「僕は……本気だよ」
モーリスはアリアの手を握った。
「フィリップ……。」
エミールは街の酒屋で安値のワインを買うと、それをグラスにも注がずに路上でラッパ飲みし始めた。荒れていた。前日の酔った勢いでの息子への仕打ち、酔いから醒めてからは、自己嫌悪に囚われずにいられないほどの自責の念に付きまとわれていた。加えて長い失業生活も彼を苛立たせた。今日も仕事を探し旧知の仲を頼って歩き回ったものの、過去の事業の失敗から彼は旧友たちの信頼を失っており、大きな仕事を始めるために人手が足りないという旧友であっても、彼をビジネスパートナーにしようという者はいなかった。実際のところ、彼の日常はここ数年こういった感じだった。息子は彼が仕事に出ていると思っていたが、実は何もせずに彷徨っているだけで、収入は代々の遺産を食い潰しながらやり繰りしている現状だった。もちろん、本来名家だった彼に町人のように働くという選択肢はなかった。
普段は日中に家にいるのがいたたまれなかったので、仕事が見つからなくても夜まで時間を潰していたエミールだったが、今日は昨晩の息子を必要以上に叱責してしまった事から、何か埋め合わせをしようと商店街を歩き回っていた。
「これは……。」
ふと、彼が足を止めたのは骨董品屋のショーケースだった。古びたオルゴールが手頃な値段で売っていた。昨夜は息子に音楽をやるなとは言ったが、これを気前よく渡し、この程度の音楽ならば大目に見ようと、寛大な父の態度を見せれば息子も自分に対して多少は打ち解けるだろう。そうエミールは自己欺瞞めいた希望的観測をたてると、意気揚々と骨董品屋へと入っていった。
数分後、エミールはプレゼント用の箱に包んでオルゴールを手に、普段より早く、日の沈まない時間に帰宅した。
息子を驚かせようと、エミールはダイニングやリビング、子供部屋を探したが息子の姿が見当たらなかった。
どこかに遊びに行っているのだろうか? そう考えていると、庭の方から声が聞こえるのが分かった。息子の声だった。
エミールは息子の姿を確認しようとリビングの窓から外を覗いた。エミールの目に入ったのは、モーリスがアリアと仲睦まじく、音楽家になった自分の将来を語っている光景だった。アリアに向けている息子の顔は、エミールが見たことのないくらいに妙に大人びていた。どう見ても婢女に向けているものではない。顔を近づけ手を握り、まるで愛の告白をしているかのようでさえあった。
貴族として家の将来を託そうとしている息子が、昨日釘を刺したことを反故にし、さらにはあろうことか亜人の娘とあのような関係を結ぶとは。息子には家を背負う気などさらさらないのだ、エミールの胸中には新たな燃料で昨夜の怒りが再燃していた。むしろ自責の念があった反動で、酔っていた昨晩よりも怒りとその行動は確信的だった。
翌日は豪雨だった。モーリスが学校から帰ると、彼の部屋の荷物がトランクケースにまとめられていた。何かの間違いではないかとトランクを確認するも、自分の衣類であることには間違いなかった。
「……フィリップ」
いつの間にか、背後にエミールが立っていた。
「……父上、一体どうしたのです?」
「……隣の地区の寄宿学校に入学する手続きを取った。荷物は見ての通りまとめてある。来月からそこへ行け」
「……え? 何を……冗談でしょう?」
「私は本気だ」
「どうして? いったい僕が何をしたというんです?」
エミールは懐からチラシを取り出した。それは、モーリスが昨日アリアに見せた音楽学校の入学案内だった。
「そ、それは……。」
「この家から出ていきたいなら出て行かせてやろう。だが、音楽はやらせん。それに、もうあの亜人の娘と話すことは許さん。モーリス家の男が亜人となど……まったく、末代までの恥だ」
「そんなアリアのことは違いますっ。誤解ですっ」
「父の目は誤魔化せん。犬と人間の区別もつかんとはな。母を早くに亡くすと、こうも見境がなくなるとは……。」
エミールに
「……いやです」
「なに?」
「生き方も愛する人も……父上に決められたくはありません」
「フィリップ……お前……。」
一瞬、息子の反抗に驚いたエミールだったが、その時の用意もできていた。涼しげな顔でエミールはチラシをハタハタと振る。
「言っておくが、このチラシの存在を私に教えたのはあの亜人の娘だぞ?」
実際はモーリスとアリアの話しを盗み聞きした翌日(今日)、エミールがモーリスの部屋を漁り見つけ出したものだった。
「そんな、嘘です!」
「嘘ではない。亜人などそんなものだ。特に犬ならば主人とその息子、どちらに尻尾を振るべきかすぐに区別がつく。分かったな? 何を信じるべきか。お前は代々続く家名を守る使命があるのだ。たとえ私やお前が死んだ後でもこの世に残る、不滅の証を守る使命がな。亜人など名誉も何もない、その日暮らしのクズなのだ。奴らのことなど……二度と信用するな」
エミールは、「学友に別れを告げる準備をしておけ」と言い残し部屋を出ていった。
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