scene㊲,ほころび
モーリスは役所に出勤すると、すぐにドレフュスに呼び出された。
部長の執務室にはドレフュス、そしてネス・ダニエルズがいた。ふたりの表情は好意的とは言い難いものだった。ドレフュスは相変わらず不機嫌そうに彼を睨み、常に余裕を持った笑みを絶やさないネスも、今日ばかりは無表情でモーリスを見ていた。
「重役出勤か、偉くなったものだな」
ドレフュスが、手を顔の前で組んで言う。
「申し訳ありません……その、父の具合が朝から悪くて……。」
「なるほど……父君がね」
「ところで……一体どうしたんです? これから酒場で検挙した容疑者の取り調べをしなければならないのですが……。」
「その必要はない」きっぱりとドレフュスが告げる。
「……と、言いますと?」
「お前をこの件から外す」
「……え?」
「この件どころか、お前をしばらく自宅謹慎にしなければならん」
「どういうことですドレフュス部長っ? 一体私が何をっ?」
「身に覚えがないと言うつもりか?」
ネスが言う。「モーリス上級取締官。君がこれまで手掛けてきた捜査を調べさせてもらったよ。中々興味深かった。報告書の改ざんに違法捜査、それどころか君の取り調べ中に死んだ参考人もいるね。しかも全員が亜人だ」
モーリスが横目でネスを睨むようにして意見する。「心臓発作や持病があったという医師の診断書は読まれましたか? 室長」
「医師の診断書ね……。じゃあ、どうしてその作成を町の開業医に頼むんだ? ここはダニエルズの首都カーギルだぜ?」
「腕は……確かな医者です」
「確かに、腕は確かかもしれないな。何せ裏で犯罪者の治療なんかもやってるんだからね」
既に報告済みなのだろう、ネスの話にドレフュスはただ首を振るだけだった。
「それに、君の班が管理してるはずの押収した薬物、報告書と実際の量が合わないんじゃないかという指摘もある」
「誰がそんなことっ」
「モーリス上級取締官、既に君の班の人間からも話は聞いてるんだ。中にはとぼけ通せない者もいたんだぞ。往生際が悪いと思うがね」
モーリスは唖然としてドレフュスを見る。
ドレフュスがモーリスに告げる。「モーリス、お前にしばらく自宅謹慎を命じる」
モーリスは憮然として部屋を出てる。そんなモーリスに、慌ててホワイトが巨体を揺らしながら近寄ってきた。
「モーリス、大丈夫だったか?」
「謹慎を命じられた……。」
「そ、そうか……。」
「お前か?」
「え?」
モーリスがホワイトに顔を近づけて詰め寄る。「お前があの“腰砕け”のボンボンにチクったのかっ」
「ま、待てよモーリス。冗談じゃないぞ。お前を売ったら俺だって危ないんだ。チクったのは他の奴に決まってるだろう」
「……クソ」
モーリスは苦虫を噛み潰すように口を歪め、刑部のオフィスを見渡した。
「すごーいアライアスさん、ヴィザ管弦楽団のチケット取れたんですかぁ?」
そこへ、女性職員の黄色い声がオフィスに響いた。女性職員が、アライアスと雑談をしている最中のようだった。ホワイトは別に気にもとめなかったが、モーリスは違うようだった。モーリスは大股開きでアライアスに近寄る。
「……アライアス」
「あ、おはようございます。モーリスさん」
普通に挨拶をするアライアスだったが、モーリスの表情を見て困惑した。モーリスは自分では気づかなかったのだろう、顔色は青白く汗が額から流れ、髪は乱れていつもの伊達男ぶりは影を潜めていた。
「……ヴィザ管弦楽団だと?」
「え、ええ。そうなんですよ、半年前からチケットの予約を入れていたんですが、ようやく取れたんです」そう言ってアライアスは懐からチケットを取り出した。金色に輝く印紙のチケットだった。
モーリスはそれを受け取ると「ほう……。」とチケットを涼しげな笑顔で眺めた。だが、笑顔は涼しげであるものの額からは汗が流れ続けていた。チケットを持つ手も震え、あまりにも力強く持っているために、今にもチケットにシワがよりそうになっていた。
「モ、モーリスさん?」
明らかにモーリスの様子がおかしかった。そこで女性職員が場を和ませようと、会話に割り込んできた。「そういえば、モーリスさんって音楽やってらしたんですよね?」
「え? そうなんですか? じゃあ音楽に精通してらっしゃるんですね」
「あ、ああそうだ。……いや、失礼」そう詫びてモーリスはチケットをアライアスに返した。「私も前々からこの楽団のコンサートを見たいと思っていたんだが、中々に取れなくてね……。」
表情の落ち着いたモーリスに安心し、アライアスが朗らかに話しかける。「そうなんですかぁ。しかしモーリスさん、音楽をやってらしたなら音楽家とかの道に進もうと思われなかったんですか?」
「……どうしてだ?」
「……え?」
「役人で悪いか? 音楽をやっていたなら音楽家にならないといけないのか?」
「あ、いえ、決してそういう分けでは……。」モーリスの様子から、何かかんに触ることを言ってしまたのだと、アライアスは再び焦ってしどろもどろになった。
モーリスはアライアスの肩に手を置いて囁いた。「コンサート、楽しんでこいよ」
そしてモーリスは自分の席へ荷物をまとめに戻っていった。ホワイトが声をかけたが、彼には全く聞こえていないようだった。
荷造りをしながらモーリスは確信する。自分のことをネスとドレフュスに教えたのは、アライアスだと。
その後しばらくして、アライアスが手洗い場で用を足していると隣にモーリスが現れた。
「あ、あ、モーリスさん」
アライアスの隣に立って用を足し始めたモーリスが言う。「さっきはすまなかったな。私が怒ってるように見えたろ……。」
「あ、はあ、まぁ……。」
「私はな、怒ってたんじゃなくて嬉しかったんだ」
「え?」
アレがですか? とはアライアスは言えなかった。
「この職場に音楽を愛する者がいたということが嬉しくてね。つい不器用になってしまったよ」
「はぁ……。」
「ところで君、今日は終わったら空いてるかい?」
「え? いえ、特に夜の予定はありませんが……。」
「そうか、では私と一緒にバーで音楽について語り合わないか? なにせ、この職場に来てから音楽のことを話せる人間がいなかったものでね。久しぶりに音楽談義をしたいんだ」
「そう、ですか……。ではさっきの彼女も誘って……。」
「いやいや、女性を呼んだら退屈させてしまうよ。マニアックな話をしたいんでね。本当に音楽を愛する者同士で」
「しかし、自分はそこまでモーリスさんほどに音楽に詳しいかどうかは……。」
「謙遜はよしたまえ。ヴィザ楽団のチケットを取るほどの男が、音楽に詳しくない何てことがあるわけないだろう」
「え、ええ……。」
「では仕事が終わったら、君を迎えに行くよ……。」
そう言って、モーリスはズボンを直すと、手洗い場から去っていった。
アライアスはとうに用を足し終わっており、モーリスに至っては用すら足していなかった。
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