scene㊱,幽霊と葬儀屋、再び

「……おい、どうしたんだ? でかい物音がしたが……。」

 ニックが物音を聞きつけ入室してきた。

 クロウは扉を自分から開き、素早くナイフをニックに突き刺す。ナイフはニックの肋骨をすり抜け肺に突き刺さった。

「ぶっ!?」

 クロウはニックを便所に引きずり込むと、次にフォーマーが飲んでいた酒の瓶を布で包んで叩き割り、砕けた破片を拾い集めた。そして猫のように足音を立てず、しかし素早く他の仲間たちがたむろしている、モーリスがクレイを殺害した裏口に続く部屋に乗り込んだ。

「な、何でお前が……!」

 手篭めの順番待ちをしていた二人の男が驚いて椅子から立ち上がる。

 クロウはガラスの破片を手裏剣のように男に投げつけた。破片は男の右目に刺さり、男は悲鳴を上げてうずくまった。

 もうひとりの男にもクロウはガラスの破片を投げつけるが、見られた攻撃だったので流石に避けられ接近を許した。

 クロウはフォーマーのナイフを投げようと振りかぶる。

 再び身を丸め防御する男。

 クロウはがら空きの男の太ももにナイフを投げつけた。男はナイフが刺さった痛みで怯み、ナイフを抜こうと下を向く。

 クロウはその隙に机に飛び乗り男の顔に飛びかかり、空中で男の顔をしっかり両手で掴み、右膝を男の鼻っ柱に押し付け、勢いそのままに男と床の上に倒れこんだ。

 倒れた衝撃で男の鼻にクロウの右膝がめり込み、男の鼻から湧水のように血が溢れ出した。

「くそっ、ちきしょう……。」

 目にガラスの破片が刺さった男が剣を取りクロウに向かってきた。

 クロウは部屋の隅に立てかけてあった自分の刀を取った。そして男の潰れた目の死角に潜り込んで、居合切りで男の胴を切り裂いた。

 酒場に残った男四人を始末したクロウ。だがファイザーの姿が見当たらない。クロウはファイザーが表を見張る、と言っていたことを思い出した。

 クロウは裏口から外に出ると、山道ではなく、草木の生い茂った森の中を駆け下りた。森の中を駆け下り始めて間もなくすると、クロウの耳は不穏な音を聞きつけた。音はどうやら、上の方から聞こえてくるようだった。

 クロウが振り返る。後方では、木々の間を飛び跳ねて伝いながらファイザーが追ってきていた。

 ゴブリンは人間の子供ほどの体格だが、筋力においては大人と同等の力を持っている。特に握力が優れており、個体によっては実に100キロ近い握力を誇る者もいる。ファイザーはその握力を生かし、ましらのごとき身のこなしで森を下ってきていたのだ。

 逃げおおせるのは困難、クロウは抜刀してファイザーを迎え撃つことにした。

 ファイザーはすぐに追いつきクロウの正面に着地した。

 対面する二人。クロウは平正眼※で構えた。

(平正眼:対手と正面に向き合い中段に剣先を向ける正眼から、右足を引いて半身になる構え。狭い場所での戦闘に向く)

「同じ相手に二度も負ける気はないよ。さっきは私の手品を見せられなかったしね」

 ファイザーは無言でさいを構える。半身の大股開きで左手を前に出し右手は顔の横にあった。

 クロウが踏み出す。平正眼からの突き、狙いはファイザーの左手。逆手に握った左の釵で剣撃を弾くファイザー。さらに踏み込み面を打つクロウ。上体を反らし避けるファイザー。クロウは返す刀で胸元への突き、そして小手打ちを繰り出す。鍛えられた体幹ゆえ、空振りしても勢いでクロウは体のバランスを崩すことはない。打ち込みを外すや否や、ピタリと軌道を止め次の攻撃に移っていた。

 クロウは含み張りに注意して、踏み込み過ぎないよう攻撃を繰り出していた。間合いは刀の方が長いので、釵のファイザーは中々攻撃に転じられない。

 ファイザーがクロウの横に飛び上がり、木の幹を蹴って三角飛びの要領で背後に着く。それでもクロウは脇構え※に移り左右の切り上げで機先を制す。その連撃をバックステップで避けるファイザー。クロウの追撃の袈裟斬り。ファイザーは上段に構えていた右手の釵で斜めに攻撃を流し、踏み込んで左の突きを入れる。クロウ、すり足で下がり攻撃を避ける。だが、ファイザーは素早い踏み込みで連続して左右の正拳突きのように突きを繰り出す。電光石火の点の動きで迫るファイザーの攻撃は、並の剣士ならば防ぎ得ない速さだった。下がりながら刀を振って攻撃をしのぐクロウ。だが腕や腹に浅くではあるが攻撃を食らってしまった。再び木に向かって飛び上がるファイザー。再び三角跳びのようにクロウの背後に回ると思いきや、足の裏と股の力で木にペタリと張り付き、タイミングをずらしたうえでクロウに飛びかかり斬撃を繰り出してきた。クロウは肩を引いて上体を反らすが、胸元を浅く切り裂かれた。

(脇構え:半身になり切っ先を対手と反対に向け、自分の体の陰に刀身を隠す構え。) 

「……どうやら、さっきと同じ結果になりそうだな」

 傷はレストランでのものよりも遥かに浅い。だが、確かにこれ以上たて続けにもらうと、ファイザーの言うように同じ結果になりそうだった。

 毒が回る前に動かなくてはならなかった。焦ったようにクロウが踏み込み連続して面打ちを、それから左右の切り上げを放った。そして切り上げた状態からの袈裟斬り。それは、数秒前に防がれたのと全く同じ手順の攻撃だった。

 ファイザーが今度は刀を絡め取るべく、袈裟斬りを右の釵の又で受け止めようとする。

 しかし、奇妙なことに、クロウの袈裟斬りはファイザーの防御をすり抜け、右の二の腕に当たっていた。

「!?」

 ファイザーが事態を察するよりも前に、クロウは刀を勢いよく引き去った。

 この国の剣とは違い、引いて切ることに特化したクロウの刀は、その動作だけで深々とファイザーの二の腕を切り裂いていた。

「な……に?」

 クロウが不敵に笑う。「ファントムは……捉えられたかい?」

 袈裟斬りではなかった。

 袈裟斬りの途中で腕の内側と胸の筋肉の捻り右手と左手を交差させ、さらに踏み支えるべき左脚を脱力させ体を傾けたことにより軌道が変化し、斬撃はファイザーの防御をくぐり抜けていた。

 ファイザーほどの使い手ともなれば、相手の攻撃を常に予想し、そのビジョンはあたかも予知能力がごとき鮮明さを持つ。しかし、今回はそれが仇になった。ファイザーには、刀が釵を幻の如く通り抜けたように見えていた。

 切り裂かれたファイザーの二の腕からは血が流れていた。太い脈が切れている証だった。

「言ったろ? まだ手品を見せてないって」

 クロウが正眼に構える。

「言っとくが、私はこれから防御に徹する。そうなったらお前さんの得物で私を仕留めることはできないし、一回見た技に遅れを取るほど間抜けじゃあないんだ。出血多量でお前さんが弱るのを待たせてもらうことにするよ。おっと、この場で止血なんてさせないぞ。隙あらば仕掛けさせてもらうからな」

 しばらく睨み合った後、クロウは納刀して山を駆け下りていった。ファイザーは跡を追って来なかった。


 山を降りたクロウは農村へマテルを迎えに行った。マテルはフリーマーケットにいたフェルプールの老人に預けられていた。

「ご老人、恩にきるよ」

「なに……同族のよしみさ。それに……レグの借りを返すなら、ワシらは協力を惜しまん」

 クロウはマテルに言う。「……行こう」

 マテルは無言で頷く。数日前までの、子供らしい伸び伸びとした様子は消えていた。悲劇が少年を一足飛びに大人にしようとしていた。

「行くあてはあるのかね?」

「この子の親父さんの故郷を訪ねるつもりだ。生前の約束だしね」

「なるほど……。」

「それでご老人……もし、私たちを追って役人がここを嗅ぎつけたら……その時は遠慮せずに私たちの行方を喋ってもらって構わないよ。無関係のお前さんの身を危険に晒すわけにもいかない。中途半端な情報じゃあ身が危ないだろうしね」

「心配なさるな。どうせ老い先短い身だ。今さら惜しいものなどありゃせん」

「……かたじけない」

 クロウはマテルの頭を撫でるとマテルを抱き上げロバに乗せ、自身もロバに乗って手綱を降るいロバを走らせた。

 クロウは去りながら老人を振り向いて礼を言う。「じゃあご老人。息災を祈ってるよっ」

「お嬢さんもな。まぁファントムなら心配だろう」

「……知ってたのかいっ? 人が悪いなっ」

「アンタが気を悪くするだろうと思ってねっ」

 クロウが首を振りながら苦笑する。

 マテルが訊く。「……ねえ、ファントムって?」

「行く先々でトラブルを起こす厄介者のことさ。けれどこれだけは言える。誰もファントムを捉えることはできないってね。だからお前さんは安心して私について来ればいい」

 こうして、ふたりを乗せたロバはジュナタルを目指し、暗雲立ち込める空の下を走っていった。

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