scene㉟,ファントムの呪い

 クロウの猫耳がピクリと動いた。遅れてファイザーも部屋に近づいてくる足音に気付いたようだった。

 モーリスとヤクの売人たちが入室してきた。

 モーリスが手のひらで髪を撫でながら余裕の笑みを浮かべる。「おお、目が覚めてたかい。ファントム」

「寝覚めは悪いがね」

「まぁ目が覚めたら便所なわけだからな」

「目が覚めたら目の前が不細工だらけだからだ。卵からかえった雛ならショックで殻に戻ってる」

 挑発されてもモーリスは余裕を見せる。「言ってろ」

「……どうして私を生かした?」

「ああ……。君をあの場で始末しても良かったが、不安要素は取り除いておきたくってね。我々はラガモルフの子供を探してるんだ。君は子供がどこにいるか知ってるな?」

「……知らないな」

「一瞬、考えたな?」モーリスは得意げにクロウを指さす。「無駄だ、私は数えきれないほどの容疑者を取り調べしてきたんだ。嘘なんてすぐに見抜くぞ」

「そうか……じゃあ教えておこう。私が朝までに戻らなかったら、役所に行くように言い聞かせてある。お前さんたちの不正の証言をしにね」

「……無駄だぞ? 役人は私の身内だ。ラガモルフのガキの証言なんて、簡単に揉み消せる」

「一瞬、考えたな?」クロウは得意げに嗤ってみせた。「嘘を見抜くのは得意かもしれんが、嘘をつくのは苦手と見たね。揉み消せるなら危険を冒して探す必要もないだろう?」

 モーリスから笑顔が消えた。「……ガキはどこだ?」

「知らないね。私が分からない場所で隠れるように言ってある。もしもの時に備えてね」

「嘘だな。もしものことが起こらなかったら、どこで落ち合うっていうんだ?」

「役所の前さ」

「……まあいい。それなら役所の前で張り込んでおくだけだ。で、君はここで用済みだが叩けば埃が出るかもしれん。私はこれから役所に向かうが、君は朝までコイツらの慰み物になってもらおうか」

 モーリスがそう言うと、周りの男たちが下卑げびた笑いを浮かべた。

「勘弁してくれ。ブスばっかじゃないか。それにファントムの噂を知らないのかね? 私に関わると長生きできないんだぜ。例えそれが好いた相手でもね」

「ファントムの呪いとやらか? もしかして君、病気持ちってことはないよな?」

「違う。私は勇敢で陽気な男が好きなんだよ。あいにく、そういう男に限って早死にするもんでね」

「なら安心だな。ここにはそういう男はいない。どちらかというと、私は勇敢ではなく用心深い男でね」

「心配するな、そういう場合は私が殺す」

 クロウが笑う。モーリスは不快そうにクロウを睨んだ。

「……ここはまかせる。私は街に帰るよ」

 男たちは下卑た笑顔をより一層歪めた。

「……あまり気が進まんな」

 ファイザーだけが、相変わらず陰鬱な表情を浮かべていた。しかしそれは、クロウがたどる運命をおもんばかったものではなく、無駄な時間の浪費を快く思っていないからだった。

「……どうしてだね?」

「あまりコイツに機を与えたくない。今のうちに殺しておくべきだ」

「大丈夫だろう? この女が逃げそうになったら君がまた始末をつけてくれればいいし、その時は始末してくれてもかまわない。できるだろう?」

 ファイザーは物憂げに目をそらした。ファイザーは知っていた。レストランでは圧倒したように見えたかもしれないが、周囲が思うよりもふたりの腕は拮抗しているということを。もし、もう一度立ち会ったとしても同じ結果になるとは限らない。ファイザーは決して虚栄心が強いわけではなかったが、しかしそれでもクライアントの前で、女に対して必ず勝てるわけではないとは言い難かった。

「じゃあよろしく頼んだぞ……。」

 ファイザーを除いて、男たちは下卑た笑いでモーリスの退室を見送った。


「オイラさぁ、人に見られると緊張するから、ひとりにしてくんねぇか?」

 くじ引きで最初になった男がシャツを脱ぎながら言う。

「ああ、お前短小だからな」

「ちげぇよバカっ。てか見たことあんのかよっ」

「この間連れションしたじゃねぇか」

「あれ、そうだっけ?」

「ホントかよミック?」

「ああ、マジでこいつの、小指くれぇしかないぞ」

「あんときゃ寒くて縮んでたんだよっ」

「夏だったぜ?」

「う、うるせぇよっ」

 ひとりだけテンションが低いファイザーが忠告する。「ひとりになるのはやめとけ。この女に逃げられたらどうする」

「そんなヘマうたねぇよっ。黙ってろよこのゴブリンが」

 クロウが言う。「……だがそのゴブリンがいなきゃ、お前さんたちあそこで全滅してたぜ?」

「うるせぇよ、ゴブリンなんていなくたって……。」

 しかし、そこで男は口をつぐまざるを得なかった。ファイザーがいなければ、自分たちがやられていたことは自明のことだった。だがクロウはさらに挑発する。

「亜人嫌いのお前らが、いざとなれば亜人の世話になるんだからな。とんだお笑い草だ。お前ら用をたすにもそのゴブリンにつきそってもらった方がいいんじゃないのか?」

「うるせぇ黙れ」

「いや、間違いなくゴブリンがいた方がいいだろうね。ビビッて小指程度のナニが勃たなくなってしまいそうだ。お前さんのナニが無事に勃った暁にはお披露目会といこうか。“ねぇ見てみんな、僕のウィニー※がこんなに大きくなったよ。普段は小指程度なのに、いまじゃあ親指トムさ”てな具合に。きっとお前さんを産んだ時にナニの小ささを心配したお袋さんも、立派になったに草葉の陰で涙するだろうね」

(※ウィニー:男性生殖器の隠語。幼児語)

「お袋の事は言うなぁ!!」

 上半身裸になった男がクロウに襲い掛かり首を絞めた。

「おい落ち着けフォーマー!」

 ミックが上半身裸のフォーマーをクロウから引きはがす。

「お袋はなぁ! アル中のジジイの面倒見ながらオイラを育ててくれたんだよぉ!」

「分かってるって、立派なお袋さんだったよな」

「ずっと……ずっとリリィを死なせたことを気に病んでて……。」フォーマーは耐え切れずに涙を流し始めていた。

 ニックがフォーマーの背中をさすりながら慰める。「妹さんのことは事故だったんだ。しょうがねぇよ」

 男たちのやり取りにクロウが引きつった笑顔を浮かべる。「その……お袋さんの事は悪かったよ、迂闊だった。どうやらその様子だとお仲間がいないと危ないみたいだな。やっぱり一人になるのは良くないんじゃないか?」

「うるせぇよ! お前ら出ていけ! オイラ一人で十分だ! お前もだゴブリン! さっさと出ていけ!」

 男たちは苦笑しながら、「手を縛ってるからといってくれぐれも油断するなよ」と言い残し部屋を出ていった。

「……くだらん。俺は表を見張る。こいつの仲間が来るかもしれないからな」

 ファイザーはやはりつまらなさそうに酒場を出ていった。

 仲間が去ると、フォーマーは酒瓶の酒を一気に飲み干し景気づけをした。そして腰間からナイフを取り出すとクロウの頬に突き付けた。

「妙な気ぃ起こすんじゃねぇぞ……。」

 フォーマーはクロウに覆いかぶさると、呼吸を荒げながらクロウの胸を揉みしだき始めた。

「へへ……どうだ? 感じるか? 良いだろ?」

 フォーマーの阿呆ぶりに、憎しみや軽蔑を越えて、クロウは思わず笑いそうになってしまった。距離おいてみれば面白い男ではあるが、クロウの心は瞬時に切り替わり殺意一色になった。

 クロウは息を熱くさせながらフォーマーの耳元で囁く。「ああん、胸イイの……私感じちゃう。もっと強くして」

 クロウは自分の台詞に吹き出しそうになったので顔をすぐに背け、そして何気なく縛られた手をフォーマーの首に回した。

「そ、そうか? そんなに良いか?」

「うん。でもね、私、一番耳が弱いの」

「そ、そ、そうか」

 フォーマーはクロウの耳に口を近づけた。フォーマーの横顔が、クロウの顔に近づく。クロウはさらに両脚でフォーマーの胴を締めた。フォーマーはそれをその気になって誘っているのだと思い、より一層興奮してクロウの耳元で囁いた。

「しがみつくのは早ぇよ。まだ入れてないんだぜ」

 クロウは熱いため息を漏らした。正確には、大きく呼吸をしながら空気を肺に送り続けていたのだが。

 上機嫌のフォーマーは自分のズボンの腰紐を緩め、ズボンを脱ぎ始める。

「おいおい、そんなに強く抱きついてちゃスボンが脱げねぇぜぇ」

 突然、フォーマーはクロウが自分の胴を締め付ける力が強くなったのを感じた。尋常ではない強さだった。まるで巨大な蛇──捕食者に絡みつかれたような、緊急事態を間抜けた男にも直感させるほどの力だった。すじ、筋肉、骨、そのいずれもが並の女のものではなかった。

「な、何を……?」

 クロウは回した腕にも力を込めフォーマーを抱き寄せた。フォーマーの鼻がクロウの肩口に押し付けられる。そして、フォーマーの耳に自分の口をしっかりと押し当て、体内に溜め込んだ空気を、肺と腹圧の力を使って一気に吐き出した。※

(※決して真似しないでください)

 吐き出された高圧力の空気は、フォーマーの鼓膜を破り、さらにクロウが鼻を抑えていたため逃げることができず、その奥にある三半規管に衝撃を与えた。

「ごぅぶ!?」

 フォーマーの体が激痛で小刻みに痙攣する。クロウはそんなフォーマーの体を振り払い立ち上がった。

「テ……テメェ……。あ、あれ?」

 フォーマーがクロウを睨みながら立ち上がろうとするも、三半規管を攻撃されたフォーマーは起き上がることができなかった。平衡感覚を失い、床の上にいながら自由落下をしているような感覚に見舞われていた。訳も分からず、フォーマーは床を泳ぐように手足をバタバタさせた。

「おろ? おろろろろ?」

 クロウはそんなフォーマーを見下す。母と妹の話を聞くと、ほんの少しばかり可哀想だとも思える男だった。

「悪いね」

 クロウはバック宙で飛び上がり、うつ伏せのフォーマーの首に両膝を立てて着地した。

──メキャッ!

 頚椎がへし折れフォーマーは即死した。

「言ったろ殺すって」

 クロウはフォーマーの持っていたナイフを拾い上げ、手首を縛っている縄を切った。

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