scene㉕,天 礼 王 民

 ダニエルズ領カーギル


 モーリスによるレグ殺害の翌日、建物の前では亜人たちが大勢詰めかけていた。職探しという様子ではなかった。亜人たちは建物を睨みつけ、窓の中に人影を見つける度に「出てこい!」と怒りを露わにしていた。

 役所の中から、フェルプールの老人が出てきた。麻のズタボロのローブを纏った老人は、群衆の中の一人に訴えの結果を問われると、苦々しく首を降るだけだった。

「クソ……。おい? あれ……。」

 群衆の一人が通りの向こうからやって来る男に気づいた。他の役所の職員たちは、亜人を恐れ裏口から出入りしていたが、その男はまるで英雄が城に凱旋している様に、堂々たる足取りで役所に向かっていた。 黒肌の顔の口ひげは綺麗に揃えて剃られ、長髪は編み物のように丁寧に編みこまれ、服装は真っ白のフロックコートという外見から、貴族であることには間違いがなさそうだった。

 男が役所の玄関の階段に足をかけると、亜人のひとりが問いかけた。

「おいアンタ」

 男は足を止めて振り向いた。「うん? もしかして俺のことかな?」

「そうだよ、アンタだよ。アンタ役人かね?」

「そうだが……役人に何か用かい?」

「ああそうだ。私らの身内が役人に殺されたんだ。後ろめたい事などない、善良な男がだよ」

「役人に? 間違いないのか?」

「ああそうだっ」

「だとしたら、申し立てをすればいい。役所で受け付けてるはずだ」

「門前払いだったよっ。捜査の内容は公開できないときたっ。一体どうなってるんだっ」

「……分かった。俺が話を聞こう」

「え?」

 突っぱねられることを前提で食ってかかっていた亜人たちだったが、男があまりにも簡単に自分たちの言い分を受け入れたので、拍子抜けして各々顔を見合わせた。


 その頃、モーリスは部長のドレフュスに呼び出されていた。

 口の前で両手を組み、ドレフュスがモーリスを睨む。彼は問題を起こした部下をいつもこの姿勢で問い詰めていた。今年で60になるドレフュスだったが、初老の衰えは見えず、むしろその顔には年々厳しさが増しているようだった。ドレフュスの皺の寄った額の真ん中にある小さなこぶは、ただの皮膚病でできたものだったが、彼の部下たちはそれは若い頃、戦場で武器を失った際、頭突きで敵兵を倒していた時に出来たものだと噂していた。

「どういうことだ?」

「どういうこと……と申されましても」

「役所の前に来てる亜人たちの事だっ。違法営業の酒場の捜査はなるほど、報告に上がってた。だがな、なぜその場で二人も殺したっ? 怪我人も大勢出ている。たかが違法操業の酒場の取締でだぞっ」

「それは……思いのほか抵抗に合いまして……。暗がりで、一部には凶器を持っている亜人もいたのです。身を守る最善を尽くしてああなってしまいました。……それに、殺害と申しましても、その一匹は逃亡を図り、自分から足を滑らせ川に落ちたのです。……不可抗力でした」

「じゃあラガモルフの件はどうだ? お前らは酒場の捜査に入った後、ラガモルフの家に行ったらしいな? そこで何故ラガモルフを殺したんだっ。ラガモルフ相手に抵抗されたなどと言うなよっ」

「まず……あの家は、あの亜人が不法に住んでいた場所でありまして……。」

 ドレフュスは机を殴った。「違うだろうがっ。何故あそこに行ったかだっ。不法に住んでいたなど、後から分かった話だろう!」

 モーリスは頭をフル回転させ始めた。何とか、この場だけでも取り繕わなければならない。過去の資料、手がけた事件、今わの際の走馬灯のように、モーリスの脳内を様々な情報が駆け巡った。

「……“夜鷹のハリネズミ”」

「……何だと?」

「ダニエルズで広い範囲で、一時期立て続けに強盗事件を起こしていた“夜鷹”という、人間と亜人で構成される強盗団がいました。四年前のある日パッタリと犯行をやめてしまったので、結局犯人たちは捕まらずじまいでしたが……その中にラガモルフがいたという目撃証言がありました。冷酷な奴でして、ラガモルフですがボウガンを使って多くの市民を殺害したと言われてます」

 モーリスは記憶を探るため斜め上を向いていた視線をドレフュスに戻す。いぜんドレフュスはモーリスを厳しく睨んだままだった。

「それで……酒場のラウルフから……山小屋にいるのがそのハリネズミだから……情報をくれてやるから自分を見逃してくれと言われまして……。」

 ドレフュスは組んだ手に額を押し当て大きくため息をついた。「その山小屋のラウルフがハリネズミで間違いなかったと?」

「……茶色の毛並みのラガモルフという情報でしたので……。」

「じゃあお前はっ。赤毛の人間が強盗をはたらいたら、街中にいる赤毛を一人残らず殺すのかっ? ええっ?」

殺鼠剤さっそざいをまけば、ネズミ以外も死ぬのは致し方ないことです」

「お前というやつは……。」

 そうこう二人が話していると、執務室の扉がノックされた。

「誰だ?」

「……ネスです」

 途端にドレフュスが組んだ手を離し、声色を変えた。「おお、ネス殿。どうぞお入りください」

 顔を出したのは、先ほど玄関前で亜人たちの話を聞いていた男だった。

「おはようございます、室長」と、モーリスが会釈する。

 男・ネスは室長と呼ばれるのが快くないようで、モーリスに軽く手を振り口を歪めた。

 ドレフュスが立ち上がり挨拶をする。「これはこれはネス殿、何か御用ですかな?」

「……ドレフュス部長、ここでは貴方が私の上司だ。へりくだるのはやめてください」

「は~、しかしそう言われましても……。」

 そう言われたところでできるはずもない。そこにいるのはダニエルズ侯国領主、ギル・ダニエルズ侯の嫡男、ネス・ダニエルズだからだ。

 “天 礼 王 民”

 天(自然)の法則を叡智によって礼(法)に具現化し、王はそれに従い民を治めるべし。

 元来、これはダニエルズ家の家訓だったが、現在はダニエルズ侯国の訓戒となっている。そしてその意味も、王の統治への心得から、例え王でも法に従わなければならないという、法の下の平等の理念へと変化していた。そのため、ダニエルズでは法学と役所の刑部が重視され、ダニエルズ家の子供たちは代々、跡目修行のために法学を修めるか、刑部で職務につくのが慣例とされていた。そしてこのネス・ダニエルズも、今年から跡目修行のために“室長”という名ばかりの、仕事内容が実に曖昧な役職を与えられ職務についていた。

「それで……ネス殿。どうなされたんです?」

「ええ、実は役所の玄関先に、町民が抗議に来てまして……。」

 ネスは窓枠まで行き、外を指差した。

「ほらあそこ……。」

「ええ、そのようですな……。」

 ネスがドレフュスを振り返る。「ご存知で?」

「ええ、まぁ、部下の報告では……。」

「聞いた所によると、役人たちが彼らの酒場に押しかけてきて、大勢を検挙したそうです。そこまではいいんですが、どうやらやり方に問題があったらしく、怪我人や死者も出たそうですが……。」

「ええ、その件を担当したのが、このモーリスですよ」

 ネスはモーリスを見た。「君が?」

「その件については、先ほどドレフュス部長にお話しました。私から言うことはありません」

「そうなんですか? ドレフュス部長?」

「え、ええ、後ほど彼に詳細な報告書を書かせますから、それに目を通して頂ければ」

「ちなみに……その後のラガモルフ殺害の件については? どうやら捜査令状は出ていなかったようですが」

「その件に関しても……後ほど報告書を……。」

「報告書だけですか? 関係者に聞き込み捜査などは? それと検挙した容疑者への取り調べですが……。」

 モーリスが割って入る。「それは我々にお任せ下さい室長。貴方の手を煩わせるまでもありません」

 ネスはモーリスを見た。モーリスの表情は毅然としていたが、同時に自分を突っぱねようとムキになっているようにも見えた。

「そうは言ってもね、役人が領民を法を無視して殺したとなれば、ダニエルズの名折れだぜ? 我が国の沽券に関わる問題といっていい。もう少し、組織を上げての捜査に取り組んだ方が良いんじゃないのかい?」

「貴方は現場におられないから分からないでしょうが、現場は常に生きるか死ぬかの修羅場なんです。ことが起こると瞬時の判断も迫られます。後から冷静になればばいくらでも好き勝手言えますよ」

「そうか。では、彼らが亜人じゃなかったとしても同じ結果になってたかい? そりゃ犯罪者は危険だ。それくらいは俺もわかる。それなら相手が人間やエルフがでも同じ結果にならなけりゃあ平等とは言えないんじゃなかい? ならば君はこう言えるわけだな、エルフでも人間でも、あの場にいたならば殺してたと」

「……亜人の犯罪率が高いのは明らかです。年間の報告書に目を通されないので? 室長」ややモーリスの口調に毒があった。

 しかしネスは動じなかった。「女より男の方が犯罪率は高い。だからといって何か特別なことをやるか? 君には本当に予断がなかったと?」

「解釈の違いですね。予断とも言えますが、役人の勘だとも言えます。もっとも、室長にはご理解いただけないかもしれませんが」

 モーリスを眺めるネス。ネスはモーリスとは話が平行線を辿るだろうことを察した。

 ネスがドレフュスを振り返って言う。「ドレフュス部長」

「何です、ネス殿?」

「実は、次期検事長選の件でご相談が」

「お、おおそうですか」

 ネスは育ちの良さをうかがわせる、舞踏会で交わすような微笑みをモーリスに向けた。「申し訳ないが外してくれるかな? モーリス上級取締官」

 モーリスは不服そうにドレフュスを見るが、ドレフュスに無言で促され退室していった。

 モーリスの気配が完全になくなってから、ドレフュスが口を開いた。「で、検事長選の件という事ですが……。」

「……申し訳ありません、部長。実は今のは方便です」

「え?」

 まったく悪びれた様子もなくネスは言う。「お願いがあるのですが、先ほどの亜人の不法営業の酒場の件、内部監査も含めて私に指揮させていただけないでしょうか。捜査に使う人選はドレフュス部長の裁量で決めていただいて結構です」

「はぁしかし……。」

「もちろん、今回のことで便宜べんぎを図っていただけたら、さきほどの検事長選の件、父上には前向きな報告をさせていただきます」

「そ、そうですか……。」ドレフュスの顔がほころんだ。だが、すぐにそれを悟られまいと顔を引き締める。「確かに、最近は役人のからぬ噂も聞く。いずれは膿を出さなければならんとは私も常々思っていたよ」

 ネスは小さく会釈して礼を述べた。「お心遣い、感謝いたします」

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