scene⑳─2,嘯く兎

 彼らはマテルが思った以上にが小さく、ベッドの下に隠れることができるほどだとまだ気づいていなかった。しかしそれでも見つかるのは時間の問題だろう。そして親子共々クレイと同じ目にあうのも。彼らは自分たちを生かすつもりはない。レグはいよいよ覚悟を決めた。

「……ここには、“黒肌の民”がいないようだな?」

「……それがどうした?」

 レグはゆっくりと四つん這いの状態から起き上がりあぐらをかいた。

「つまり……上級貴族はいないということか」

「だからそれが何だというんだっ」

「まぁ聞きなさい。彼ら黒肌の民は元々南方の島々にいた民族らしい。だが、500年近く前にこの大陸に移り住んできたんだ。“黒い大移動”という奴だね。さっきの居間で見たと思うが、実は私も本を読むのが好きでね。特に歴史書が。それで知ったんだが、移住してきた黒肌の民は、彼らの中でも特に屈強で勇猛な奴らだったらしくてね。元々、この大陸を支配していた人間は黒肌の民ではなかったんだが、屈強な彼らの軍隊にたちまち征服されてしまったんだ。……知ってるかな?」

「……それくらいの歴史なら私だって本で読んだ。この国の人間の常識だ」

「だが、おかしいじゃないか? 黒肌の民は大陸じゅうに進出したにもかかわらず、征服して定着できたのはこのダニエルズの一帯だけだ。どうしてだと思う?」

「……さぁな。何が言いたい?」

「答えは簡単さ、ダニエルズにいたアンタら白肌の民がふぬけだったからさ。外の敵に簡単に土地を明け渡しちまうくらいにね」レグの周りを刺さりそうな敵意が取り巻いた。それを存分に感じながらレグは続ける。「なぜふぬけだったか? それはな……アンタらが純粋な人間じゃなかったからだよ」

 役人たちが一斉にレグを見る。手を止め息を潜め、敵意は殺意に変わっていた。レグは後戻りできない、終局行きの馬車の手綱を握り続ける。

「……なんだと?」

「ダニエルズにいる白肌の民はね、実は他と違うんだ。本当さ、これはきちんとした歴史と科学に基づいてる説でね。元々亜人は今よりも人間と近い種族で、遥か昔はラガモルフもラウルフも、フェルプールのように人間に近い姿をしていたのさ。 それが時代とともに近しい者同士が交配して今の姿になったんだ。で、他の地域じゃあ人間は人間同士でしか交配しなかったんだが、ダニエルズは事情が違ってね。長く続いた飢饉のせいで、仕方なく人間も亜人と交配して子孫を残さなきゃあならなかったんだよ。よく比べてみろ? 中央や他の国の人間の肌は真っ白だし、髪も金髪や栗毛色ばかりだろ? だがアンタらはどうだい? 茶色や黒い髪ばかりだ。肌も他と比べるとくすんでるしやたらと毛深い。それがアンタらに亜人の血が混じってるっていう証拠なのさ。純粋な人間じゃなかったから外の敵に弱かった。それが黒肌の民の征服の正体さ。ふぬけたアンタらの先祖は、簡単に彼らに土地を明け渡したんだ」

 モーリスが首を振り、口を最大限に歪め笑顔を作った。だが、目は怒りで今にも充血しそうだった。

「おい、聞いたか? 面白いことを言うな、この亜人は」

 モーリスが動じていないとばかりに手を部下たちに振る。しかしその指先はガクガクに痙攣していた。部下たちはレグへの殺意もあったが、怒りで爆発しそうなモーリスに肝を冷やした。

「私たちが……亜人の子孫だと?」

「そうさ。アンタらのおふくろさんのおふくろさんは、亜人とヤッちまったのさ。それこそ犬っころみたく自分からケツを向けてね」レグは喘ぎ声を真似するように、ヒーハーとふざけた声を上げた。「意外と、本人たちも乗り気だったかもなぁ」

「私たちが亜人の……。」

 モーリスは目尻に涙を浮かべながら首を振る。しかし、それは笑いの涙ではなかった。怒りのあまりモーリスは涙を流し始めていたのだ。

「そう、だからアンタらは人間じゃなくて雑種だな。言うなれば、雑種バスタードだ」

「バスタードだと?」

「そう、バスタード。アンタらが嫌う亜人とのバスタードさ。この……クソ野郎バスタードどもめ」

「バスタード……。」

「お前さんは何だろうな。きっと役人だけに犬っころのバスタードなんだろうな。想像してみるといい、頭の悪そうな犬っころに自分の母親がヤられてるのを」

 レグは恐怖で体が引きつっていたが、なんとか肩を揺らして嘲りを演出した。

「貴様ぁ……。」

 もう、モーリスの口も笑ってはいなかった。こめかみは痙攣し、額に血管が浮き出ていた。

「……まぁ、全部作り話だがね」レグは肩をすくめつまらなさそうに首を振った。

「……何だと」

「……騙されたな?」

 モーリスの顔が拍子抜けして一気に弛緩した。

 レグは再び肩を揺らして笑い始める。「いやいや、アンタが嘘が通じないと言ったんでね。試してみたのさ、即興で作り話をね」

 モーリスが首を振って苦笑する。「これは……一本取られたな」

 だが、モーリスの体には未だ怒りが充満していた。

「何が真実を見抜くプロだ。本気にしてただろ?」

「やるなぁコイツは……。」

 モーリスは部下たちに笑顔を向ける。だが部下たちはモーリスが笑っていないことを知っていた。

「とんでもないマヌケだな、アンタは」

「やられたなぁ……。」

「涙まで流しちまって……。」

 モーリスは、「あ~」とハンカチを懐から取り出して涙を拭った。

「そんなに私の嘘が堪えたか。さっきのアンタの顔ときたらなかったよ、イジメられたガキンチョみたいな顔して涙を流して……手先なんてガクガクに震えて……なぁ?」

 クレイは同意を求めるようにモーリスの部下を見た。

「ガキンチョの頃はそんな感じでイジメられてたんだろ? パンツを取られて涙目で仲間を追っかけて。今のアンタを見てれば容易に思い浮かぶよ」

「言うな」

「このマヌケ野郎め」ケタケタとレグが笑う。

「そこまでにしとけよ」モーリスが静かに言う。

「真実を見抜くプロ? ネーミングセンスがまた陳腐──」

「黙れぇ!!!」

 モーリスは抜刀してレグを袈裟に切り裂いた。

 斬られたレグは口から血を吹いて再びうつ向けに激しく倒れた。ベッドの下のマテルの瞳に、瞳孔を開き口から血を流した父の姿が飛び込んできた。

 マテルは恐怖と驚愕で声を上げそうになったが、手首を噛みしめそれを抑えた。幼子の深い青色の瞳からは涙が流れ、噛み付いた手首からは血が流れていた。

「何をやってるんだモーリスッ、ガキのことを聞き出すんじゃなかったのか!」勢い余ってレグを殺したモーリスをホワイトが咎める。

 剣を拭いながらモーリスが言う。「奴が言ったろう? 子供は逃がしたと」

「信じるのか?」

「こんな狭い部屋のどこに隠れるってんだ。言ったはずだ、俺は嘘を見抜くプロだと」

「……真実を見抜くプロだろ」

「うるさい! もうこんな亜人臭いところは懲り懲りだ! ブツは手に入れたんだっ。もう用はないだろう!」

 ホワイトはしょうがないやつだと呟き、レグの始末を部下に命じた。

 するとそこへ、表を見張っていた部下が飛び込んできた。

「大変です、モーリスさんっ」

「何だ?」

「こちらへ大勢が向かってます!」

「何?」


 モーリスが外に出ると、確かに山道の向こうから松明の灯りが複数こちらへ向かっているのが見えた。

「何だあれは?」

「どうやら、亜人たちのようです」

「なぜここに?」

 ホワイトが口を出す。「このラガモルフはここの亜人たちの顔役だったって話だ。酒場の騒ぎを心配してこちらに向かってきたんだろう」ホワイトはモーリスに提案する。「仕方ない、遠回りだが逆の山道から下ろう」

「奴らから逃げるのか?」と、モーリスが食ってかかる。

「当たり前だっ。この人数で、しかもどういう理由で切り抜ける? 殺すのか? 検挙するのか? どれもまともな言い訳が上に立つわけがないっ」

「……亜人どもめ」

 モーリスは悔しそうに下唇を噛むと、ホワイトに言われた通り、部下たちに反対側の山道から下るように命令した。


 マテルはベッドの下で堰が切れたように涙を流し続けていた。濡れた瞳の先には血まみれの父がいた。やがて役人たちの足音が遠のいたのを確認するとベッドから飛び出し父に飛びつき、抑えていた感情を爆発させ泣き声を存分に上げた。

「レグ!」

 扉を開けてレグを慕う近隣住民たちがなだれ込んできた。先頭にいたのは街から戻ってきたクロウだった。

 雨の中、急いで戻って来たクロウだったが、彼女の目に映った光景は全てが手遅れだったということを一瞬で理解させた。

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