scene⑳─1,懺悔
クレイの死体を川に流した後、モーリスたちはレグの住まいへと向かっていた。
モーリスに命令されただついて来た事情を詳しく知らない役人たちは、既に亜人たちを連行して役所へ戻っていた。モーリスと行動を共にしているのは、この捜査の本当の目的を知る者たちだった。
「……モーリス、奴を見つけたらどうするんだ?」モーリスの隣を歩くヴィロンが訊く。
「どうするも何も……いつもどおりの事をやるだけだ」
「相手はラガモルフだぜ? 抵抗されたとかいう理由で始末できるか?」
だが、そんなヴィロンの問いにモーリスは何も答えない。
「なぁ、モーリスっ」
「何のために、他の奴らを役所に返したと思ってる」
「どういう意味だ?」
ホワイトが二人の間に割って入る。「ヴィロン、何も言うな」
「……え?」
再びモーリスに視線をやるヴィロン。ヴィロンはそんな二人の表情を見て、これから何が起こるかを察した。既に、彼らは手を血で汚していた男たちだった。後には引けない、死の行進は雨でぬかるんだ山道を着々と進めていた。
その頃、小屋ではレグがちょうどマテルを寝かしつけたところだった。
レグは寝付いたマテルの頭を撫でながら、物思いにふけっていた。しばらくするとレグはベッドのそばで
顔を上げたレグの瞳の周りの毛は涙で濡れていた。マテルの前に跪いた彼は、いつもこうならざるを得なかった。
悲しみで垂れていたレグの両耳だったが、不審な物音を聞きつけ突然二本ともが天井を突く勢いで逆立った。
レグはすぐに床に耳を押し当て、地面から伝導する音を確認する。
レグの耳は不吉な音を捉えた。この時間、山道に似つかわしくいない、武装した複数人の足音だった。
レグは起き上がり恐怖で目を見開く。だが、見開いたその目はすぐに座った。それは覚悟を決めた目だった。彼はいつか来るこの運命を知っていたのである。
「マテルや……起きなさい」
レグはマテルを揺すった。
「なぁに……まだ朝じゃないよぉ?」
マテルは目をこすりながら目を覚ました。
レグはそんなマテルを抱き寄せきつく抱きしめた。突然の強い父の抱擁にマテルは驚かざるをえなかった。
「父さん?」
マテルを抱きしめたままレグは語りかける。「良い子だ。お前はいつもわがままを言わずに私の言う事を聞いてくれていたね……。本当に良い子だった。そして、これが最後の父さんの言いつけだ。守れるね?」
マテルは困惑していたが、父親の真剣な
「ベッドの下に隠れなさい。そしてこれから何が起ころうと、絶対に動いたり声を出したりしてはいけないよ……。いいね?」
マテルはまた頷いた。
レグはマテルを離すと両肩を掴み我が子の顔を見る。この僅かな間に、父の想いのすべてを伝えるようとするその表情は、厳父のようであり慈母のようでもあった。
「マテル……お前のおかげで私は……。」言いかけたが、やはり抱え込んだ想いは言葉にならず、レグは首を振った。「いや、何でもない……。さぁ、ベッドの下に隠れていなさい」
マテルはベッドに隠れる前に、最後に父と何か会話を交わそうとしたが、見上げた父の表情を見てそれをやめた。父の顔はマテルの知る物ではなくなっていたからだ。
「ここか……。」
レグの小屋の前に立ったモーリスが周囲を見渡す。大勢が隠れているような気配はなかった。指で建物の端を指差し、部下たちに逃げ道を塞ぐよう指示をする。
モーリスに命じられたヴィロンが窓から室内を見る。中ではレグが食卓の前に座り、ランプの灯りで本を読んでいた。それを確認したヴィロンはモーリスに頷いた。
部下たちが配置についたのを確認すると、モーリスは酒場と同じように扉を蹴破った。
騒音と役人の一団の侵入に体を硬直させるレグ。だが、突然暴徒が自宅に乱入してきたにしてはすぐに落ち着きを取り戻し、ため息混じりに冷たく役人たちを睨んだ。しかしそれは胆力ではなかった。既に彼らの接近を知り、逃れられない運命に覚悟を決めながら、それでも恐怖が五体にまとわりつく自分の臆病さに辟易していたのだ。
モーリスが言う。「お前が……レグか?」
「そういうアンタがたは何者かね?」レグが眼鏡越しに上目遣いで尋ねる。
「……失敬。私はカートライル区刑部上級取締官フィリップ・モーリスだ。で、お前はレグで間違いないな?」
レグはゆっくりと眼鏡を外す。そこにあったのは普段の彼に似合わない、鋭い敵意と軽蔑を含んだ眼差しだった。「そうだが……何か御用かな? 役人がこんな夜中に」
「ラウルフのクレイから預かった荷物がここにあるな。……よこせ」
レグは顎で部屋の隅の小箱をしゃくった。「そこにあるよ……。」
モーリスが目配せをすると、ヴィロンが箱に歩み寄り中から小包を取り出した。
「……間違いないようです」
あまりにも簡単に戻ってきた品物にモーリスは拍子抜けする。無意識のうちに硬くなっていた肩が緩んだ。取り戻さなければならない代物だった。跡取り修行という名目で、先日ダニエルズ侯の一人息子が刑部に配属されてからというもの、内部監査の目が厳しくなっていた。押収品の薬物がなくなっていたとなれば、管理をしているモーリスの仲間たちが疑われるのは必至だった。
「安心したよ、捨てたと聞いていたからね」
「……クレイはどうしたね?」
モーリスが肩をすくめる。「さぁ? 部下の報告では、奴は追跡中に川岸で足を滑らせ川に落ちたそうだ。まぁ、助からんだろう」
レグは椅子から降り、モーリスに詰め寄った。
「殺したのか!」
「聞いてなかったのか? 足を滑らせたと言ったんだ」
「……まともな取り調べもなく、裁判もなく……それが役人のすることか? 法の下の平等がダニエルズの理想ではなかったのか。この国の繁栄もその理想があったからこそだろう。恥を知れ!」
モーリスがレグを見下し薄ら笑いを浮かべた。しかし、その目は座っていた。
「お前ら亜人が私たちと対等だと思ってるのか? やめてくれ、そんな戦後的な建前は。……お前にいいことを教えてやろう、私はこの歳でも学術書を読むのが好きでね、特に科学の本がお気に入りなんだ。それによるとだな、お前たちは私たちとは寿命が違うんだ。どんなに頑張っても医療が進んでも、お前らが私たちと同じほど生きることはできない。その結果なにが起きると思う? それはな、人生における蓄財の差、生産力の差だ。つまりお前らは労働者として不適格なんだよ。そんなお前らに寛容にして、お前らが増えれば増えるほどほど国は困窮するんだ。くだらない建前さ、理想のために現実をないがしろにしようとしてるのだからな。実に非合理的だ。しかし誰かが正直にならなければならない、国を憂うのならな。だから……私たちがお前らをこうして陰ながら排除していくというのは、ある種の国への貢献でもあるのさ。いや、使命だといってもいい。貴族として生まれ、刑部の役人になった私たちのな」
モーリスは嘲りで口を歪め、憎しみで歯をむき出しにして語った。自分を睨むレグに、モーリスは「本当さ、これは科学と経済学に基づいてるんだ」とつけ加えた。
モーリスは室内を見渡して言う。「ところで、この家には一人しか住んでないのか? ラガモルフ一匹では広すぎるじゃあないか?」
「……元々誰かが捨てていった家を拝借してるんだ。私に合わせてるわけじゃあない」
「そうか……。」モーリスは食器棚に気づいた。「食器も、一人分だけじゃないな」
「客人が来た時に迎えられるよう用意してあるだけだ」
モーリスは亜人風情が、と鼻で笑って腰の剣を抜き、レグの鼻元に突きつけた。
「他にまだ仲間がいるんだろう? 正直に言えばあのラウルフの二の舞だけは避けられるぞ?」
「仮にいたとしてもアンタらに教えるわけがなかろう」
「強がるな。短い人生を無駄にするだけだぞ」
レグは剣先を自分の鼻に押し付けるようにモーリスに迫った。「今ここでアンタに魂を売ったら、これからどころかこれまでの人生が無駄になる。いいかよく聞け。たとえ寿命が短くとも、我々にだって精神が、心がある。アンタにとってどんなに小さかろうが、誇りを持って生きとるんだ。隣の者には
モーリスは冷ややかな笑顔でレグを睨んだ。そうすることで怒りを抑えているようだった。しばらくそうした後モーリスが目配せをすると、役人たちは寝室へと入っていった。
「待て!」
レグとて、寝室に役人が向かったことに反応すれば、そこに何かがあると気取られてしまうことは分かっていた。だが、息子を案じるあまり狼狽を隠すことができなかった。
「どうした? 心配事か? 一緒に行こうかウサギさん」
肥満体のホワイトがレグのシャツの後ろ襟を掴んで持ち上げた。ホワイトに寝室に何かがあると悟られてしまっていた。
ホワイトは寝室の中央にレグを投げ捨てた。
立ち上がろうとしたレグの肩をホワイトが棍棒で痛打する。レグは呻き声を上げて両膝をついた。
モーリスがベッドの上に腰掛けレグの正面に座る。ギシリとベッドが
「……品物は返したろう」
「そうだが、もしかしたらこの事を他の奴らに喋ってるんじゃないかと心配になって」
「喋っとらんよ。仲間を面倒に巻き込みたくないからね」
「そうか……。」
モーリスが目配せをする。ホワイトが再び棍棒を振り上げレグを殴打した。レグは今度は耐え切れずに悲鳴を上げた。
「嘘はつくな、検挙した亜人が吐いたんだ。お前が教えなくで誰が知る?」
「し、知らんっ。クレイが勝手にふれまわったんだろっ」
下手なカマかけにはレグが動じないことをモーリスは理解した。モーリスが部屋を見渡し目配せをすると、部下たちはタンスを開け衣類を取り出し始めた。
「やめろっ。お前ら本当に役人か? 泥棒まがいのことをやりおってっ」
再びレグに棍棒が、今度は頭に振り下ろされた。レグが勢いよくうつ伏せに床に倒れ、ベッドの下に隠れていたマテルと目が合った。頭から血を流して倒れてきた父の姿に思わず声を上げそうになるマテル。しかしレグはマテルを叱るように厳しく睨みそれを黙らせた。
「モーリスさん」
部下の一人がタンスから子供用の服を取り出した。それを見たモーリスがほくそ笑みベッドの上をなぞる。
「なぁ、とぼけるのは無しにしよう」モーリスはベッドの上の灰色の毛をつまみ上げた。「アレはなんだ? それにこれも……。子供がいるな? どこだ?」
「……倅は逃がした。アンタらが近づいてくる音が聞こえたんでね。ラガモルフなんだ、アンタら人間とは耳の出来が違う」
モーリスは四つん這いになっているレグを見下してあざ笑う。「隠しだてはやめておけよ。私たちが何か知ってるか? もちろん役人だが、それだけじゃあない。私たちが相手にしているのはヤクの売人だ。そんな奴らを取り調べて口を割らせるのが仕事なんだ。そしてそういう奴らを相手にする場合、自白させて罪に問えるだけじゃあダメなんだよ。隠したヤクの場所、仲間、売りさばいた奴の事なんかも吐いてもらわなきゃあならん。だから、私たちは嘘には特に敏感なんだ。真実を見抜くプロだと言っていい。隠し事なんて無駄だぞ。お前の挙動の一つ一つですぐに本当のことが分かる」
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