scene⑱,俺様のお通りだ

 夕方からはにわか雨が降り始め、雨水は冷たく秋の夜空を濡らしていた。天蓋てんがいは濃紺に染まり、秋の虫の音も今日に限っては雨音にとって変わっていた。しかし、そんな雨音の鬱屈を吹き飛ばすように、北部の森のモグリの酒場ではどんちゃん騒ぎの真っ只中だった。

 酒場の室内ではクレイが盗んだ金を散財していた。中央のテーブルの前のソファにふんぞり返ったクレイは葡萄酒を瓶ごとラッパ飲みにし、女を両方の席に座らせ、ジプシーの踊り子たちを目の前で踊らせ紙幣をばらまいていた。

 店主はクレイに命じられ葡萄酒と蒸留酒を箱買いし、氷砂糖やコンポート、糖蜜菓子といった贅沢品を店中のテーブルに並べ、来客たちはその菓子を貪ったり、床に散らばった紙幣を拾い集めたりしていた。

 クレイの隣に座っているフェルプールの女が訊く。「ねぇ、クレイ。大丈夫なの? アンタのやばい噂聞いたんだけど?」

 クレイは得意気に笑う。「心配ねぇって。俺にはちゃぁんと考えがあるんだからよ」

「え? じゃあ……噂は本当なの?」

「ん~どうかなぁ。まぁお前の想像に任せるぜ」

「ちょっとぉ、勘弁してよぉ。トラブルなんて嫌よ?」

 すると、クレイを挟んで反対側に座る女がたしなめた。「大丈夫よ。本当にこの人が危ないんだったら、こんな所で目立つようにバカ騒ぎなんてしてないって。でしょ?」

「ふふ~ん、どうかなぁ~」

「……え?」

 女たちは一斉にドン引きする。

「……嘘でしょ?」

 クレイは得意気にコメカミを人差し指で叩く。「大丈夫。俺にはな、ちゃあんと考えがあるんだ。奴らの三歩先を常に行ってんのさ」

「それなのに……こんな目立つ所にいるわけ?」

「だから言ってるだろ? 三歩先だって。いいか? そりゃあ普通こんな所に居ればすぐに居場所が割れて捕まっちまう。誰もがそう考える。だからこんな所にいるわけないってな。そこがミソよ。居るわけねぇところに身を隠す、それが一番得策だろ? だからよ、だから俺は見つかりっこねぇのさ」

 女たちは「へぇ~」と困惑しながらも関心する素振りを見せた。

 ソファにふんぞり返るクレイに、後ろからラウルフの店主が話しかける。「なぁクレイ。それはいいが、肝心のブツはどこにあるんだ? 噂だとレグに預けたらしいが」

「まぁた、噂かよ。勘弁してくれよ。いちいち噂につきあってらんないぜ」

「そうかそうか、なら良いんだ」

 店主は亜人のコミュニティの顔役であるレグに厄介が及んでないことを聞いて安心した。しかし……。

「しかしよぉ、レグがあんなにもケツの穴がちいせぇ野郎だとは思わなかったな……。」

「……どういう意味だ?」

「せっかくのチャンスを不意にしてんだからなぁ。お堅い奴だとは思ってたが、まさかあそこまでとは……。」

「クレイお前……本当に……。」

「だから心配ねぇって、俺は口が硬いからよ。死んだってブツの在り処は喋らねぇさ。大丈夫だって、心配すんなよ」

 店主は呆れてしばらくクレイを見た後、首を振って室内の空気を換気しようと入口の扉を開けた。雲はまだ空を覆っていたので周囲は暗闇だったが、にわか雨はちょうど止み始め、遠くからは微かに虫の音が聞こえてきていた。しかし店主は言い知れぬ不安を感じ、換気をそこそこにすぐにドアを閉めた。

 店主が戻ると、クレイは男たちとギャンブルを始めていた。

 現金を賭けてのポーカーだったが、クレイは賭けそのものよりも大金を張って周りを驚かすのが楽しいらしく、ブタのカードにさえ大枚を張り、そして当たり前のように負けて大金を溶かし続けていた。

 大金を賭ける度に悲鳴を上げる女の肩に口づけをするクレイ。挙句、女の服の中に手を入れようとして顔に平手を喰らっていた。

「いってぇなぁ~」

「調子に乗らないでよっ」

「いいじゃねぇかよぉ、ほれっ」

 そう言ってクレイは札束を懐から取り出しクシャクシャに握り締め、その拳を女の胸元に突っ込んだ。

「もぉ~」

 まんざらでもない声を上げる女にクレイはキャッキャッと上機嫌に笑い声を上げる。

「よぉ親父ぃ、何か一曲歌えやぁ」

 クレイはゴブリンの男に札束を紙飛行機のように折りたたんで投げつけた。

 ゴブリンはヘコヘコお辞儀をしながらそれを拾うと、コホンと小さく咳払いをして一曲歌い始めた。


 ああ優しい親父さん

 あの娘に惚れた一年前

 異教の村長が目を付けて

 苦しむ俺はただ耐えるだけ


 しかし、男が歌っている途中でクレイは「暗いんだよっ」と、丸めた紙幣を投げつけて男を黙らせてしまった。男はまたヘコヘコとお辞儀をしながら紙幣を拾ってポケットにしまいこんだ。

「ちょっとぉクレイ、可哀想だよぉ」と、そんなクレイを女がたしなめる。

「冗談じゃねぇよ。せっかく良い気持ちだってのに、しらけちまうじゃねぇか」クレイは上等の葡萄の蒸留酒の瓶を手に取りグラスに注いだ。「しかしまぁ親父、悪かったな。これ飲めよ。普段なら滅多に口にできねぇ酒だぜ」

 クレイが差し出すと、ゴブリンはありがたそうに手に取った。

「だがな、ただ飲むんじゃないぞ。一気飲みだ」

 ゴブリンの男は困ったように笑うと、グラスに口を加え一気に傾けた。

「よぉし、ほら親父っ、気合入れろ!」

 頑張って男はグラスの酒を飲み干そうとするが、間に合わずに口から酒が大量にこぼれ落ちた。

「もったいねぇなぁ」

 クレイはその様を見て、再びキャッキャと大笑いする。


 外ではにわか雨はもう完全に降ることをやめていた。それでも店主が外を見た時のように、空は雲に覆われ月明かりが閉ざされ周囲は濡れた闇に覆われていた。涼しげな空気が不気味に漂い、虫の音が次第に大きくなっていた。不吉な死番虫の鳴き声のように、乾いた音がそれに混じった。さらに蛍のような小さな光がチラチラと姿を現し、その光が酒場の周囲を囲い始めていた。

 しかし秋に光る蛍などいない。光の正体は蛍ではなくランタンの灯りだった。音の正体は死番虫の鳴き声ではなく役人たちの軽鎧や武器がぶつかる音だった。

 役人たちの表向きの目的は違法営業の酒場の取締りだった。しかし、すでに彼らは殺意を胸に秘めていた。

 先頭に立つのは、テートライル区刑部上級取締官のフィリップ・モーリス。売人から押収した薬物を陰で売りさばいている不正役人だった。

 捜査でもなく、検挙でもなく、制裁と隠滅のために彼らはここに集まっていた。

 モーリスは鎧の模様を指でなぞり、自分を落ち着かせる。装飾で彩られた自分が、彼の落ち着きを保つ重要なアイテムだった。

「おう、どうしたアライアス。それ新品じゃないか」

「あ、分かります? ヴィロンさん。今日新調したばかりなんです」

 今年配属されたばかりのアライアスが照れくさそうにヴィロンに答えた。

 アライアスを一瞥するモーリス。確かに夜の闇の中、僅かな光だけで白銀に輝く美しい鎧だった。

 ヴィロンが言う。「もしかしてそれ、ミスリル鋼じゃないか? それに浮き刷りまであるじゃないか。すごいな」

「奮発しましたよ。職人に依頼して家紋入りの浮き刷りで作らせたんです」

「ほぉ~」

 モーリスが言う。「……お前ら」

「はい、なんでしょうモーリスさん」

「これから亜人の巣窟に入ろうというのに、何をふざけたこと言ってる」

 モーリスがアライアスに迫った。声が僅かに震えているようだった。

「え、あ……すいません」

 モーリスがアライアスの鎧をまじまじと見る。自分の鎧よりも造りが良かった。モーリスはアライアスの鎧に震える手で触れようとするが、すぐに思い直して手を引っ込めた。

「モーリス」

 ホワイトに声をかけられ、モーリスは我に返った。

「ん? ああ、そうだ……お前ら配置につけ。乗り込むぞ」

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