scene⑯,すれ違い
クロウが森の山小屋に帰ると、レグとマテルが荷物をまとめていた。
クロウが思った以上に、レグも事態を理解してくれていたようだった。マテルは大人たちの不穏な様子を感じ取っているようで、いつものようにクロウを見るなり飛びかかるようなことはしなかった。それどころか、気を使うようにクロウを意識しながらも荷造りの手伝いをしている。
クロウが言う。「すまない。せっかくの住み慣れた場所を……。」
「とんでもない。むしろ、アンタがいなければもっと危なかった。で、荷物の持ち主は分かったのかい?」
「あのラウルフは役人から
「何と……。」
「状況としては最悪だ。で、奴もここから逃がさなきゃいけないんだが、行方は分かるかね?」
「ラウルフたちのコミュニティなら心当たりが……。」
「そこにはいないだろうな。何せ、私は奴らがクレイを探してるのを聞いたんだから」
「うぅむ……。」
「……例えば、亜人で薬物を売りさばいている組織……とか」
レグが一瞬クロウを見て目をそらした。
「知ってるみたいだね」
「いや、いかん。アンタそこへ乗り込むつもりだろう?」
「乗り込むというか、話を聞くだけだ。むしろ、奴らだってクレイを探してるかもしれないから、情報をもらえるかもしれないだろ?」
「危険な奴らなんだ。アンタの身に何かが起こったら……。」
「……分かったよ」
クロウは懐から財布を取り出した。そして1セル硬貨を取り出すと、レグに手渡した。
「……これは?」
クロウは次にテーブルの上の手拭いを取り、顔に巻き目隠しをする。
「その硬貨を指で弾いてくれ」
「……何をするつもりかね?」
「いいから」
レグは言うとおりに、1セル硬貨を指で弾いた。音を立て、硬貨が回転しながら宙を舞う。
次の瞬間、クロウが順手で抜刀し、刀を手中で一回転させ逆手で納刀した。その間、レグの目には刃の閃光が、耳には甲高い金属音が聞こえただけだった。床を見ると、そこには真っ二つに両断された硬貨が落ちていた。レグはあまりの情報量に、何から捉えればいいか混乱をきたした。
目隠しの状態でクロウが硬貨の位置を知り得たこと。さらに支えのない硬貨を空中で切り裂いたこと。何よりクロウの抜刀術は、いつ硬貨を切ったどころか、刀抜と納刀の動きすら把握ができなかった。
「もちろん、普段は硬貨なんか斬らないよ」目隠しを取ってクロウが言う。「いつも斬ってるのは肉と骨だ。……前に言ったろ、諸国を回ったって。女が独りで長旅を続けるのに、綺麗な体でいられると思うか? こんな世界で」
ラガモルフの親子のクロウを見る目が変わっていた。
クロウは思い知る。結局は短い間の家族ごっこだったのだ。あの時から、抜き身の刃であることでしか自分を通すことはできないことなど分かっていたはずだ。
クロウがレグに教えられた亜人の組織“ブロード一家”のアジトに向かっている頃、折り悪くすれ違うようにクレイがレグの家へやってきてしまった。
クレイは、親子の焦燥感が粉塵のように息苦しく充満している室内の空気のことなど、まるで感じられないかのように陽気に声をかける。
「レグの旦那ぁ、荷物取りに来たぜぇ」
そして親子の厳しい視線もやはり眼にはいらないと言わんばかりに笑顔を向け、促されてもいないのに堂々と椅子に座った。
「おおマテルっ、今日も可愛いなぁ」クレイは手を伸ばすが、マテルは近寄ろうとしない。「ちぇっ、相変わらず男には興味ねぇか」
「クレイ……。」
「ん? どおした? そういえば今日はあの猫耳女はいねぇみたいだな。まぁ、そっちの方が好都合か。で、アレはどうした?」
小包は寝室の奥にあった。だがクロウからは、たとえクレイが来てもそれを渡さぬよう指示されていた。
「レグ?」
「あれは……ここにはないよ」
クレイが焦って立ち上がる。「おいおいおい、待てよっ。どういうことだよ、預かってくれといっただろ? なくしたのかよっ」
「クレイ、落ち着いて聞いてくれ」
「落ち着いてられるかっ。テメェもしかして、アレの中みたんじゃねぇだろうなっ」だがレグの様子を見て、さすがのクレイも察する。「おい、マジかよ……。」
「クレイ、自分がやったことがわかっとるのか? 畑から人参を盗むのとはわけが違うんだ。ここから逃げないと。私とマテルもそうするつもりだ。私とお前の居場所はもうここにはないんだよ」
「ふ、ふざけんなよっ! せっかく掴んだチャンスだぜ!? アレさえあれば何だってできる! 惨めな生活からもおさらば出来るんだ! 街の高級レストランで給仕に札束で頬叩いて言う事を聞かせられる! 娼婦を一晩で1ダース抱ける! 亜人だと俺を見下してた奴等を見返せるんだ!」
レグは猟犬を前にした兎のように弱々しかったが、それでも厳しくクレイを諭す。「クレイ、違うぞ。お前が掴んだのチャンスじゃない、狼の尻尾だ。アレの出処を知らんとは言わせん。取り調べすら受けさせてもらえず殺されるぞ」
金と阿片の出処を知られたことに一瞬躊躇したが、クレイは牙を向いて言い返す。「どうってことねぇよ! とっととさばいて金にすりゃあ分からねぇって!」
「役人はそんなに馬鹿じゃあない。クレイ、命を失っては元も子もないんだ。クロウさんが手配してくれているから、彼女に従ってここから離れよう」
「なるほどな、あの女の入れ知恵ってわけか。なるほど!」
「どういう意味だ?」
「あの女が総取りしようって魂胆なんだよ! そうか、そういうことか! アンタ馬鹿だぜ! 色仕掛けでまんまと騙されやがって! あの女はどこ行きやがった!?」
「馬鹿なことを。彼女はそんな人じゃないよ」
「新参者と俺と、どっちを信用するんだよ!」
「クレイ、彼女もお前も私にとっては大切な友人だ。私は両方を助けたいんだ」
「ケッ、相変わらず聖人ぶりやがって、大層なこったぜ。もういい、あの女を見つけ出して奪い返す」
「……彼女は持ってないよ」
「じゃあどこにあんだ!?」
「……滝から捨てた。阿片は川に流れたよ」
レグは、クロウを守るため、とっさに嘘をついた。クロウと、息子と、そしてクレイをも守るためだった。しかし、それが最悪の悪手になろうとは思いもしなかった。
クレイは放心してその場に膝をついた。それこそ犬のように舌をだらしなく口から垂らし、涎もこぼれ落ちそうになっていた。
「嘘だろぉ……嘘と言ってくれ……。」
「クレイ、逃げよう。必要なものをまとめるんだ」
クレイは膝をついたままうなされたように何かをボソボソとつぶやいていた。しばらく何を言っているのかいるのか、ラガモルフの耳でも聞き取れなかった。
「……クレイよ」
「……ねぇよ」
「何だって?」
うつろな表情のままクレイは呟く。「ざけんじゃねぇよ……。」
「……クレイ?」
「ざけんじゃねぇ……。せっかくの……。ちきしょう……。」
クレイは立ち上がった。足取りはおぼつかなく、ふらつきながら出口を目指す。
「おいクレイ。しっかりするんだ。ここから逃げる準備をしようっ」
「うるせぇよ……。」
「クレイ……。」
「俺は……ここで成り上がるんだ……。また野良犬みてぇな暮らしができるかよ……。」
「クレイっ」
レグはクレイに歩み寄り袖を掴んだが、クレイに振りほどかれた。自暴自棄ゆえの加減のない力のせいで、レグが吹き飛ばされ尻餅をつく。
「クレイ、戻るんだ! 冷静になれ!」
クレイが振り返った。だらしなく歪んだ口は、嘆いているのか
今にも消え入りそうなほどおぼろげなクレイの像は、森の中へと消えていった。
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