scene⑭,或る女
レグが農場での仕事を終え、フェルプールの老人に預けていたマテルを引き取り家に帰ると、部屋には帰りを待っていたクロウがいた。
「……お帰り」
「おお、クロウ。来てたのかい」
クロウは挨拶だけを交わすと、即座にマテルに川に水を汲みに行くように言いつけた。何が起ころうともそう言うことを決めていたように、頑なな態度だった。
クロウの様子をレグも察し、マテルに川に行くよう勧める。そしてマテルが出ていくと、レグはテーブルを挟んでクロウの正面に座った。
「……何か、あるようだな」
クロウは無言で箱から小包を取り出し、テーブルの上に置いた。取り繕うつもりは全くなく、包みは開けられた状態だった。
「……開けたのか」
レグが深くため息をつく。
「開けて正解だったよ。ヤクと大金だ。これが何を意味するか分かるな」クロウは人差し指で小包を叩いて強調する。「厄介事の種だよ。牛の糞に蠅がたかるみたく厄介事をおびき寄せる。それも下手すれば命を失いかねない厄介事だ」
「……困った奴だな」
「“困った奴”だって? 違うね。“困った状況”なんだよ。私たちだって危ないんだぞ?」
レグは唸って腕を組んだ。
「とっととあのラウルフに突き返すか、持ち主に返したほうが良い。取り返しのつかないことになる」
「……持ち主に見当が?」
「ヘルメスの知人に調べてもらうよう、使い鳩を送った。数日かかるだろうがね」
「そうか……。」
「……レグ、決断するべきだ。これは助け合いだとかの
「……その、最善なのは何だろうね……。」
「時間が経つほど事態は悪化する。ラウルフに突き返すのが手っ取り早い」
「その場合……彼は?」
「これだけの大金とブツを
レグが驚いて目を見開く。「それは良くない。彼も助かる道を考えないと」
だが、クロウはクレイに対する同情も憐憫もなく切り捨てる。「自業自得だ。もう奴は崖っぷちどころか崖から落ちてる」
「クロウよ、そんなことを言わずに頼む。何かないか」
「この期に及んでまだそんなことを……。いいか? 長閑な田舎のご近所付き合いはもう終わった。都会の生き残りの食い合いが始まってるんだ」
「彼を見捨てたくない」
「奴にそんな価値が?」
「相手に価値を求めるというのか、クロウ? そんなことをし始めたら私らはもう終わりだ。あの、助け合いのあった市場は残らない。相手を利用することしか考えんような、アンタの言う食い合うばかりの関係しか残らんぞ。礼節も、信頼も、約束すらない。そんな世界に、一体どんな意味があるというんだ?」
ゴブリンよりも小柄で爪もなければ牙もない、柔らかい毛皮に覆われたラガモルフのレグだったが、筋の通った信念は彼を一回り大きく見せていた。
しょうがない奴だと思いつつも、そんなレグにこそ自分は助けられたことをクロウはわかっていた。クロウはあまり得策とはいえない代替案を出すことにした。
「……さっきも言ったが、ヘルメスの知人に情報を探ってもらってる。もしこの小包の持ち主が分かれば、そいつに荷物を返すんだ。そして、お前さんとあのラウルフはここを逃げるんだよ。荷物が無事に戻れば、手間をかけて追ってくるようなことは……まあないだろう」
「ここを……出るのか……。」
「流石にそこに対しても我を通さないよな。それなら私もお手上げだ」
レグは机の上に目を落として、少しの間思案していた。しかし、他にやりようもなく、クロウの案に乗ることを承諾した。
日が落ちる前、思ったよりも早くヘルメスからの返事が使い鳩から送られてきた。手紙は“クライスラー”の印章の
(封蝋:手紙の封筒や文書に封印を施すための蝋。これにより、手紙が開封されていない証しだてする)
いつの間に印章を作ったのやら。クロウは日に日に人間に近づいていくディアゴスティーノに感心し、苦笑いを浮かべ封を解く。手紙には明日の正午にこちらに使いを寄越すこと、その使いはダニエルズ中央の役所前の噴水で待つこと、そしてその使いとの合言葉が記されていた。
翌日正午。クロウは指定されたダニエルズ中央の役場の噴水の前にいた。
そろそろ待ち合わせの時間のはずだったが、周囲にはフェルプールの姿は見当たらない。何かトラブルがあったのか、クロウは一度その場を離れようと思った。
すると、後ろから「“マドモアゼル。この街は初めてかしら?”」と突然声がかかった。子供っぽく間の抜けた、足の力が抜けるような声だった。
クロウは言う。「……“マドモアゼルという歳でもないよ。フロイライン。”」
声の主は答える。「“まぁ嬉しい。フロイラインだなんて。”」
クロウが振り返ると、そこにいたのは人間の女だった。しかも異様な服装をした。
女は黒の半ズボンに網タイツ、足には黒のブーツを履き、黒のレザーベストを直に着用して、その上から深い朱色のレザーコートを羽織っていた。
年齢は、顔がゾンビのような真っ白なメイクで、かつ灰色の瞳の周りには病的なアイシャドウが施されているため分かりづらいが恐らく二十代前半。水色の口紅が塗られた下唇には、リング状のピアスが通されていた。首には犬のような赤い首輪もあった。緑色がかった髪はボブカットのように切りそろえられているが、寝癖なのかスタイルなのか、ところどころが跳ねていた。
それは“異世界モード”と呼ばれる、転生者がこの世界に持ってきたファッションだった。種類は違えど、クロウの母もこの“異世界モード”を好んでいた。
クロウは女の格好に驚き思わず口を開ける。しかし、次はクロウが話さなければならなかった。
「……“もしよろしければ、街を案内していただきたいんだが”」
「“よろこんで。美味しいお茶を出すお店を知っていますのよ”」毒々しい化粧には似つかわしくない、100点満点の笑顔を女は浮かべた。
クロウは女に連れられた喫茶店へ入った。仕込まれたように喫茶店には誰もおらず、ふたりは背の高い観葉植物に囲まれた隅の席に通された。席に着くと、クロウは無言で女を見た。
「はじめまして、クロウさん。わたしはリザヴェータっていいます。言いにくいから、シャチョーはわたしのことリーズって呼んでますけど」
「……リーズじゃ子供っぽいね、リザヴェータ嬢。何より、アイツと同じ呼び方をするのも遠慮したい。あと、私はまだマドモアゼルで通用するとアイツに言っといてくれ」
リザヴェータはほんの少し眉間を釣り上げて笑顔を作り顔を傾けた。不快感の全くない笑顔だった。
「お前さん見たところ人間のようだが、あいつの何なんだ?」
「ジャクハイモノですが、シャチョーの秘書をやっています。ディアゴスティーノさんは仕事に関しては種族を気になさらないので、わたしみたいな“人間”も雇ってくださるんですよ」
「……なるほどね。だが、それはちと違うな。奴の同族びいきは徹底してる。それでも人間のお前さんを雇ってるということは、お前さんが異種族であることに目をつぶれるほど優秀だということだ」
リザヴァータは肩をすくめて微笑んだ。「ありがとうございます」
「まぁ、どちらかというとフェルプールじゃあ事務仕事を任せられないからだろうね。フェルプールの奴らときたら、ロクに暗算もできないんだから。もっとも私もそのひとりなんだが」
クロウの言うことが冗談なのか測り難かったリザヴァータは、薄目で下を向き少し首をかしげた。
ファッションや不真面目な声の割には、まるで感情そのものを書類整理のように処理する女だった。喜怒哀楽を細かく分類したメモ、それを状況に応じて瞬時に貼り替えるような、そんな徹底した器用さがわずかな会話で見て取れた。
「……で、やたら早い到着だが頼んでいた情報はあるんだろうね?」
「ええ……。まず荷物の大きさからルイスイする限り、いまダニエルズじゃあそれほどの品物を扱っている組織は思い当たらないらしいです」
クロウは音なしで舌打ちをした。
「ダニエルズは五王国の中でも、ホーチコッカとして有名なんです。役人がレンジャーを必要しないくらい。だから、そこまで大きなシンジケートは存在しないっていうのがシャチョーのお考えなんです」
「……何だい、それだけかね? 手紙で済む話じゃあないか」
「クロウさん、ここからが本題なんです。それでもユイツ、それほどの品物を持てる組織があるんです」リザヴェータはクロウに顔を近づけ小声で言う。「それはぁ……役所の刑部ですよ」
クロウの目が座った。クロウは、自分たちが想像以上に厄介な事態に巻き込まれていることを知った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます