scene⑬,不穏の足音

 翌日、クロウは目を覚ますと、朝食の準備のために水を汲みに川へ降りていった。川面には朝霧が漂っていた。川辺に腰を下ろし水を汲み始めたクロウは、三人分必要だったことを思い出し、水を普段より多めに汲むことにした。三人分の水を汲んだ桶は、当たりだが普段より重かった。こうしてこれからの生活は、何事も二人分の重さが増えることを思うと、厄介よりもその変化に感慨深い思いをクロウは抱いていた。


 クロウがバケツいっぱいの水を抱えて家に戻ると、室内にはラウルフのクレイがいた。

「おお、クロウ。水を汲んできてくれたのかありがとう」

 レグ越しにふたりはお互いを無表情で見た。嫌悪感があり、敵意のある無表情だった。

「……朝食を作るよ。だが、あいにく三人分しかないんだ」と、クロウは独り言のように言う。

「おお、それじゃあ──」

「すぐに帰るよ」と、クレイはレグが言いかける前にそう告げる。

「何を言うんだ。せっかく来たのに」

「いや、いい。そっちの方が、あの女もいいだろう?」

 クレイは狭い室内にいるのに、遠くの人物を指すような言い方をする。

 レグは不思議がって二人を見た。

「じゃあな、レグの旦那。悪いが頼んだぜ」

 ポケットに片手を突っ込み肩をいからせ、背を向けたままで手を振りクレイは部屋を出ていった。つまらない虚勢を張る男だと、クロウはつくづく辟易する。

「……あの男はどうしてこんなに朝早くから?」

「ん? ああ。これを預かってくれと……。」

 レグはテーブルの上に置いてあった、大きな包を手に取った。

「何だそれは?」

「さあ。取りあえず、しばらくしたらまた取りに来ると言ってたね」

 クロウは鼻を近づけ臭いを嗅ぐ。コーヒーの臭いがするが、別の臭いも混じっている。

「開けて中を確かめても?」

「いやいやクロウよ、クレイは中をくれぐれも見ないでくれと言ったんだ。そんな厳重に包んであるんだし、包みを剥いだらバレてしまうよ」

 レグはそう言って、小包を部屋の隅の箱にしまった。

「中身を見ちゃいけない荷物を預けるなんて、どうにも怪しい臭いしかしないんだが……。」

 レグが肩をすくめる。「前にお前さんも言ってたじゃないか。後ろめたいことのない奴などいないと。それに、こういった得体の知れん頼まれごとをされるのは今回が初めてじゃないからね」

 クロウは不満げな顔を隠せなかった。

「そんな顔しなさんな。持ちつ持たれつさ。困ったときには助け合わないと。何の後ろ盾もない私らだ。そうしなければ生きていけんよ」

「……天秤が釣り合う程度の持ちつ持たれつならいいんだけどね」

 クロウは朝食の準備を始めることにした。しかし、やはりクレイは信用できない。レグを自分と同じ穴のムジナだと思いたがっているような奴だ。それは裏を返せば、自分がそれに釣り合う後ろめたさを抱えているということだ。クロウは朝食の準備をしながら、時折小包の方へと意識を向けていた。


 それから四時間後の正午前に、クロウはレグに紹介された旅籠屋はたごや※での仕事のため街に降りていた。食材の下ごしらえをして、客に出すという料理人の仕事だった。献立はほぼ毎日有り合わせのスープだけだったが、以前にいた炊事場の老婆よりも遥かに料理の出来がいいということで、旅籠屋の主人からは重宝されるようになっていた。とはいえ、街でキャバレーで下働きをしていた時ほど大量の料理をさばくわけではないので、給料は生活できるほどではなかったが。

(旅籠屋:旅人を宿泊させ食事を提供する家)


「クロウさん、悪いけど、これ二階まで持ってってくれないかしら?」

 店主の妻が料理を終えたクロウにお盆を差し出してきた。盆の上には安物のエールと牛の角で作った杯が乗っていた。

「……お酌をしろってわけじゃあるまいね」

「亜人の団体でね、そこまでの料金はもらってないから。頼まれたら断っても良いわよ」

「尻でも撫でられたらエールを顔にブチまけとくよ」

 中年の女将は明るく笑いながら口に手を当てたが、クロウが本気かもしれないと思い、冗談でしょ? と確認を取った。

 二階の客室に向かうためクロウが階段に足をかけると、彼女の猫耳は意図せずに男たちの話し声を捉えた。


──なんだって奴はあんな馬鹿な真似しやがったんだ?

──博打で大損こいて首が回らなかったらしい

──アホか、アレに手ぇ出したら首が回らないどころか首が落ちるぞ


 どうやら、あまり好ましくない客のようだった。やれやれ、だからあの女将はわざわざ私にこれを運ばせたのか。旅籠の用心棒になったつもりはないのだが……。クロウの心拍数が上がり、わずかに興奮状態になった。瞬時に、最大限の腕力を発揮させるためだった。


──で、奴は今どこにいるんだ?

──今朝から行方がわからねぇっってよ

──奴の行きそうなところはどこだよ?

──森の亜人のコミュニティに行けば何かわかるかもな……。


 クロウは階段の真ん中で足を止めた。そして、それこそ猫のように気配を殺し、音を立てぬよう階段を上り始める。


──どうするよ、俺たちも早くここから逃げないと

──まったく、だから俺はあの能無しを仲間に入れるのは反対だったんだ

──仕方ないだろう。同族のよしみだ、無下に断れん

──クレイのマヌケ野郎が……。


 クロウはもう扉の前まで来ていた。しかし、もう少し情報が欲しいのでそのまま聞き耳を立て続けた。

「クロウさんっ。それ終わったら、食器の片付けお願いねぇ!」

 突然下から女将に声をかけられてしまった。クロウは中にいる者たちの気配が扉に向いたことを察する。

「……失礼します」

 クロウは扉を開けて入室した。中にはクレイと同じくラウルフの男が三人。男たちは、話しを聞かれたのではないかとクロウを用心深く見ている。

「お飲み物、こちらに置いておきますね……。」

 クロウはそう言って、盆を部屋の真ん中の丸テーブルに置いた。

「よぉ、ねぇちゃん……。」

 一人の男が退室しようとするクロウに声をかける。

「やめとけ」

 別の男がそれを止めた。下手につつかない方が良いと踏んだのだろう。


 胸騒ぎのするクロウは、旅籠屋での仕事を終えるとすぐに帰り支度を始めた。帰り際、女将が夕食の時間もクロウを雇いたいと申し出てきたが、クロウは考えとくとだけ返事をし、急ぎ足で森へ、そしてレグの家へと帰っていった。

 部屋に入るなり、クロウは隅の箱にある小包を取り出した。なるべく開封したことがバレないよう慎重に開けていたクロウだったが、中にあるものが分かった途端、乱暴に封を破って中身を取り出した。

 小包の正体は、100ジル紙幣の束と調合された阿片、《破滅の劣情》だった。転生者が「用法用量を守れば心配のない貴重な収益源」として世に広め、そして彼がいなくなると程なくして違法となった薬物だ。コーヒーの粉がまぶしてあるのは、嗅覚に優れた亜人に荷物の正体がバレるのを防ぐためだろう。

「クソ……あの野良犬、とんでもないものを預けやがったな……。」クロウは思わず声を漏らす。

 金はパッと見5000ジルはありそうだった。阿片は末端価格でその倍はするだろう。つまり、チンピラが小遣い稼ぎに取り扱う代物ではない。さっきの旅籠屋のラウルフたちの話から、クレイが盗んだものと考えてよさそうだった。

 クロウは考えあぐねていた。クレイに突き返そうにも、さっきのラウルフの話を聞く限り、クレイは行方をくらませているようだ。これを持って探し回って役人に職務質問でもされたら言い訳ができない。捨てるにしても、そんなことをやったら、これのからどんな報復を受けるか分からない。

 クロウは逆に考えることにした。これの出所を調べて、先手で行動するのだ。蛇の道は蛇ということで、クロウはカーギルの養鳩場に向かい、ヘルメスに伝書鳩を飛ばしてもらった。その日のクロウの稼ぎがそれで吹き飛んだ。

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