scene⑫,家族

 一ヶ月が経ち、より秋も深まってきていた。森の木々は色を変え、残暑も川での遊泳以降は落ち着いていた。しかしクロウは相変わらずギルドの登録ができなかった。それでもレグの紹介で、手先の器用さを生かした料理や裁縫の仕事を請負い、さらに馴染みの仲間ができることで食料をタダでもらえる機会も多く、生活にはまったく困ってはいなかった。クロウとラガモルフの親子は付き合いも頻繁で、物々交換だけではなく、クロウがレグたちの服を繕ったりと、持ちつ持たれつの密な関係になっていた。

 ある夜のこと、レグが水汲みから戻ると、クロウの小屋の方から怒鳴り声がするのが聞こえてきた。驚いてレグがクロウの小屋に向かうと、男がドアを蹴破るように出てきた。レグの見覚えのない、人間の男だった。

 男は小屋の中に向かって叫んだ。「ふざけんな! 今度顔見たら承知しねぇからな!」

 すると、小屋からは男の私物が投げつけられた。

「このアマァ!」

 すると、今度は瓶やナイフといった、危険物が男をめがけて投げつけられた。

「うぉ、危ねぇ!」

 男はパンツ一丁で私物を抱え、ざけんじゃねぇよ! と捨て台詞を吐き山を降りていった。

 男が去ると、クロウがドアを閉める為に小屋の中から顔を出してきた。クロウとレグの目が合ったものの、クロウは何も言わずにドアを乱暴に閉めてしまった。

 レグはしばらく呆気にとられ小屋を見ていたが、すぐにマテルの待つ自分の家へと戻っていった。


 次の日の夕方、クロウが仕事から森に戻ると、川の下流でレグが釣りをしているのが見えた。

 昨日の今日ということもあり、クロウは声をかけずにそのまま通り過ぎようとする。しかしレグの釣竿にちょうど魚が引っかかり、レグは引っ張られる糸を何とか手繰り寄せていたが、大物が釣れたらしく、小さな体のレグはたちまち川に引きずられようとしていた。

 クロウは急いでレグのもとへ駆け寄り、背後から釣竿を掴んだ。

「お、おお、アンタかっ、すまないね」

 クロウは返事をせずに踏ん張る。クロウにとってはそこそこの大物程度だったので、魚はすぐに釣り上げられた。釣れたのは鮭だった。

 クロウは川原を跳ね回っていた鮭を抑え、どうするかレグに訊ねる。レグの持って来ている魚籠びくは、生きた鮭を運べるほど大きくはなかった。

「しめてくれ構わんよ」

 クロウは頷くと、鮭のエラをえぐって懐のナイフで切り裂き、流れる血を川の水でそそいで鮭を魚籠にしまった。

「たいした手際だね」

「一通りの獲物のさばき方は心得てる。独り旅が長いからね」

「うむ……。しかし、こんなに大きくては二人じゃ食べきれないな。どうだい、今晩、一緒に夕食でも」

「あ、いや……気持ちは嬉しいが……。」

 レグに昨日のアレを見られたのは確実だった。今日くらいは彼と距離を取りたかった。

 しかし、そんなクロウの胸中をすでにレグは知っていたようだ。「……昨晩のことを気にしとるのかね」

「ああ、まぁ……。」

 レグは毛を揺らせて笑う。「なぁに、アンタだってまだ若い。彼氏のひとりくらい作るだろうし、喧嘩だってするだろうさ。気にしておらんよ」

「いや……あれは彼氏というわけではなくてね……。」

「ああ……。」

「金で買った男だよ」

 平静を装おうとしていたレグだったが、思わず目を見開いてクロウを見た。

「男娼をひっかけたんだ。そういうところがあるって聞いてね」

 レグは何といっていいかわからないようで、取りあえず釣竿をしまい始めた。

「金で買ったのに、モノを投げつけるのか?」

だよ」

 レグはまた目を見開いてクロウを見た。

「……同族以外の男女のことはよく分からんが……アンタなら酒場で飲んでいれば、男が自然と声をかけてくるもんじゃないかね?」

「別に……ただ男を金で買いたい気分だったんだ。男に口説かれるんじゃなくて、自分の都合で男をそばに置きたかったのさ。そして気分に任せて当たり散らしたりとね」

「……何故そんなことを」

 クロウは意味もなく魚籠の中の鮭を見た。自分でしめた鮭だった。当たり前のごとく鮭は魚籠の中で死んでいた。意味のないことだった。

「……たまに、自分の人生を振り返りたくなる時があるんだ。もちろん自分の選んだ生き方に後悔はない。納得もしている。普通の人間には得難い体験も、出会いもしてきた。充実した人生さ……。それでもたまに、選ばなかった人生の可能性に思いを馳せることがあるんだ。それで、もし気分になった時には、金で解決するようにしてるんだよ。情や後腐れが残らないようにね」

「……まぁ、誰にだって人生を振り返る時はある。私も……。」

「何だい?」

「いや……やめとこう。ところでその……その選んだかもしれない可能性とやらは、振り返るだけでいいのかね?」

「……どういう意味だ?」

「もしかしたら、アンタだって家族を作ることができるかもしれん」レグはクロウを見ては目をそらす。「その……マテルはアンタにとても懐いてる。私だってアンタがそばにいてくれると安心だ。今こうやって背中を引っ張ってもらったようにね。アンタさえ良ければ、ひとつ屋根の下に暮らすのも悪くはないと思うんだがね」

 クロウはしばらく夕日を反射する川面かわもを見た後、伺うようにレグに訊ねた。「もしかして、プロポーズしてる?」

 レグは大きく体を揺らして笑う。「そんな気取ったもんじゃないさ。男女の仲だとか血の繋がりなんて、なくてもいいんじゃないか? 少なくとも私は、家族にそんな窮屈なのが必要だとは思わんよ」

「……なるほど、言われてみればそうだ」クロウはレグを見て口角を釣り上げた。「考えとくよ」


 その夜、クロウは鮭と貰い物の野菜でポトフをこしらえた。マテルはクロウが来る度に新しい料理を食べられることが嬉しいようで、クロウが料理中に何度も材料の名前や調理の仕方を訊ね、食べる時も調理前の食材とまるで違うことを不思議がりながら終始せわしなかった。

 食後はクロウは自分の小屋には戻らず、ラガモルフの親子の家で一夜を過ごした。夜中に3度、自分の寝床に潜り込んでくるマテルを引き剥がす厄介はあったが。

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