scene⑨,酒場

 クロウは街から帰ると、意気消沈して山小屋で寝そべっていた。長いことレンジャーとして暮していたので、今後の生活費の算段が思いつかなかった。ディアゴスティーノに預けた金を取りに行こうにも、そこまで行くのが一苦労だし、何より今ヘルメスに帰るには面倒が避けられない。モグリの仕事を探そうにも、今日のギルドの様子からでは取締が厳しそうで良策とはいえない。

 クロウは頭を掻いてため息を着くと、テーブルのワインの瓶を掴んで、杯に注がずラッパ飲みした。カバンからカードを取り出して床の上でソリティアを始めるが、暗い部屋でやけ酒をあおりながらやるソリティアは余計に気分が沈むだけだった。

 夜の酒場に行けば、儲け話の一つでも転がってはいるかもしれない。酒の席では、昼間の往来では言いづらい、後ろめたい話題で溢れている。その仲介役を買えばいい。ファントムの名が知られる前にはそうやって食いつないできたじゃないか。

 クロウは目的ができたのだと自分に無理やり言い聞かせると、体を起こして外に出た。適当な木の枝を見つけるとナイフで削り木刀をこしらえ、日が完全に沈むまで練習にと、その木刀で素振りを始める。

 最初は子供の遊びのように、乱暴かつ乱雑に剣を振り回していたクロウだったが、その動きは次第に形が整い、静かな、しかし速く正確な“型”になっていった。木刀の「ブオンッ」という空気を引っ掻く音が、「ピュイ」という空気を切る音に変わる。

 心に剣を振る気力がないときには、剣に心を振らせ気力を沸き立たせよ、というのが師の教えだった。

 クロウは毎日剣を握るほどの求道者ではなかったが、この教えは中々に実用的だった。こうして無心で剣を振るっていると、自分の中の乱雑な感情や思考が型に納まり、剣の術理のように必要なものだけが必要な反応を示すようになるのだ。

 クロウは茂みに背の高いメヒシバを見つけると、その茎を木刀で切りつけた。秋が始まったばかりでまだ青く、見た目の細さよりも丈夫な野草だった。だがその一太刀で、メヒシバは鋭利な刃物でそうしたように、真っ二つに切断された。

 クロウは剣の術理が体に馴染んだ事を実感すると、座禅を組んでしばらく瞑想にふけった。

「クロウッ」

 ちょうどそこへラガモルフの親子が通りかかり、マテルはクロウが視界に入るや否や、まだ距離があるにもかかわらず、「クロウ!」と駆け出してクロウに抱きついてきた。抱きつかれたクロウは、坐禅の状態で起き上がり小法師のように左右に揺れた。幼子には昨晩耳を引っ張られ折檻されたことなど夢ですらないようだった。

 マテルに追いついたレグが言う。「ギルドでの申請はどうだったね?」

 クロウは無言で首を振った。

「そうか……。」レグは自分に災難があったかのように、小さく悲しげに頷いた。何故か、クロウの方が慰めの言葉をかけないといけないほどの消沈っぷりだった。

 しかし、そんな大人たちの様子など意に介さずに少年は言う。「ねぇクロウッ。今日は父さんとお食事に行くんだっ。クロウもおいでよ。ねぇ父さんいいでしょ?」

 座禅を崩しながらクロウが困惑する。「ありがとう。けれど、そんなに毎日世話になるわけにもいかない」

「構わんさ。今日は客人として呼ばれるんでね。アンタもここらの新しい住人として紹介させてもらうよ」

「そうか、それじゃあお言葉に甘えて……。」

 確かに、顔見知りを作っていた方が仕事をやりやすかった。

「やったっ。……あれ」抱きついていたマテルだったが、急に顔をしかめクロウに顔を近づけ鼻をヒクつかせた。「クロウッ、なんか臭うよ? お酒と汗の臭いがするっ。まだお日様があるのにお酒飲んでたの?」

「コレ、マテル。すまないね、思ったことを口にしてしまう。この年齢の子はみんなそうなのかねぇ……。」

「かまわないよ。実際飲んだくれてたんだ。向こうの川で軽く汗を流してくる」そう言ってクロウは立ち上がり、川の方を顎でしゃくった。

「じゃあ僕、クロウの背中流してあげるねっ」よこしまな気持ちなど微塵もないという風に、屈託のない笑顔でマテルは言う。

「結構よ、坊や」

 クロウはマテルの脇を抱えて持ち上げレグの横に置いた。


 レグに連れられたのは、同じ森の中にあるモグリの酒場だった。丸太小屋の民家を改造したその酒場の客は、フリーマーケットと同じく、ほとんどが亜人だった。

 店内は街では聞き慣れない雑音で溢れていた。亜人たちが各々の種族の言葉で話しているためだ。街の酒場では、亜人が自分たちの言語で話すと不快感を示す人間も少なくなかった。不快感ならまだ良い方で、場合によっては絡まれてトラブルになることも珍しくはなかった。そのせいもあって、亜人は極力人間やエルフたちの共通語を使うのだが、共通言語は発音が亜人の顎や口の形に向いていないため話し方には訛りが入り、そのせいで彼らは人間やエルフに比べ知能の低い存在だと見られるようになっていた。

 クロウたちが給仕に注文をして間もなく、「よぉ、レグ。来てくれたんだな」と、ラウルフの男が近寄ってきた。白と茶色のまだらの毛並みに垂れ耳の男で、犬に例えると猟犬の雑種のようであり、そのせいか元来は実直な顔つきだったものが、全体的にくだけて余計に不真面目な印象を与える顔つきになっていた。

 顔を横に広げて、レグがふっくらとした笑顔を作る。「おお、クレイ。今日はありがとう。いっとくが、私も息子も遠慮なぞ一切しないからな」

「かまわないさ。お前が俺を紹介してくれたおかげで、稼ぎのつてが出来たんだ。なにより、今日は博打で大勝ちしたんでね」

「ほどほどにしとくんだぞ? それに……あんまり、奴らとは深入りしない方がいい。あれはあくまで、アンタがここに馴染むきっかけだ。妙な仕事を頼まれるようだったら、上手く断るんだぞ?」

 笑顔から一転、レグの顔は曇っていた。それは、忠告と言うよりも警告に近かった。

「心配すんなって」

 クレイはと明るく笑うと、レグの肩を叩いてその場を去って行った。まるで、無理に話題を打ち切ったようだった。それを察したレグは、心配そうにクレイの後ろ姿をしばらく眺めていた。

 クロウが言う。「市場でもそうだったんだが、お前さん随分と顔がきくんだね?」

「人の相談を安請け合いしてたら頼られるようになっただけさ」レグは肩をすくめた。

 出入り口のドアが開き、黄色い声が飛び込んできた。二人組の、派手な衣装のフェルプールの踊り子だった。

 クロウはふと、隣に座るマテルの異変に気づいた。がっついていたシチューをテーブルの奥に下げ、体をテーブルから離し口を拭って行儀よく座っている。

 ──まさか。

 すると、女のひとりがマテルを見るなり連れの肩を叩きマテルを指差した。

「きゃ~かわいい~っ。ぬいぐるみみた~い」

 女たちはより一層甲高い声を上げてマテルに歩み寄ってきた。最初は女たちは頭を撫でるだけだったが、マテルが微妙に腕を上げ抱っこをしやすい状態を作り上げると、自然とマテルを抱え上げ頬ずりし始めた。そんな徹頭徹尾計算づくのマテルを横目に、クロウは呆気にとられ酒をすする。

「ね、あれ食べたぁいっ」と、マテルは踊り子の一人に抱かれたままテーブルの上の料理を指す。

 踊り子は「これぇ?」と、野菜の串焼きを手に取り、口で吹いて冷まして待てるに食べさせた。

「おいしぃっ」

 小さな口で野菜を咀嚼しマテルが笑顔を向けると、やはり女たちは悲鳴のような甲高い声でマテルを抱きしめた。

 クロウは途中から見る気もなくして、川魚のオイル焼きを店主に注文した。

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