scene⑧,三人目の男

 表に出ると、クロウはシガレットホルダーを懐から取り出し煙草に火をつけた。そしてひと吸いしてから、途方に暮れて頭をかいた。無意味な腹いせをしてしまったことに対する自己嫌悪もあった。

 すると煙草を吸っているクロウのもとへ、若い役人が歩み寄ってきた。革の鎧さえ着ておらず、詰襟で紺色の制服だけだったが、役人の多いダニエルズではこういった軽装の役人も多くいた。

「ちょっと君っ」

 胡散臭い小奇麗さの男だった。頭髪はクリームを塗って栗毛色にしているらしく、口ひげとは色が違った。臭いもきちんとした整髪料のものではなく、絵の具に近い臭いが漂っていた。ところどころに、のある身なりだった。

「何だい?」クロウが訊く。

「ここは喫煙禁止の場所だ」

 クロウは辺りを見渡す。「喫煙禁止? 外だぞ? おてんとさんの真下で何を規制されるって言うんだ?」

「ギルドといった、公共施設の付近では煙草を吸えないのさ。ここの条例で決まってるんだ」

「……分かったよ」

 クロウは火を点けたばかりの煙草を、しぶしぶ地面に落としてもみ消した。

「路上にゴミを捨てるのも禁止だ」

「……それも?」

「条例だ」

「私はこの街が初めてなんだ。なぁ、初犯ということで見逃してくれないか」

「だめだ。その初めてというのもあくまで君が言ってるだけだからな。別の役人にもそう言ってるかもしれない」

「分かった。……で、条例違反で私はどうなるのかな? いくらぐらい払えばいい?」

「君は非喫煙場所での喫煙と、ゴミの不法投棄をした。だから、合わせて150ギルだ」

「ひゃくごじゅうギルだと? 待てよ、4日分の飲み代が飛ぶぞ?」

「じゃあ4日間酒を我慢するんだな」

 クロウはクソっと悪態をついてから懐の財布を取り出した。

「おいお前、何やっている?」

 するとそこへ別の男がやってきた。簡素な私服だったが、真っ白なシャツに模様の入った革のベストから、男の身分が高いことが分かった。

「あ……えと」

 その男に声をかけられ、途端に役人は顔色を悪くした。嘘臭さに磨きがかかったようにクロウには見えた。

 クロウはそんな役人の様子の変化を怪訝に思いながら男に教える。「このお役人さんが、私がここで煙草を吸ってたのを条例違反だというんだ。罰金を払わなきゃいけないらしい」

 男はクロウの財布を見て首を傾げる。「今、この場でか?」

「ああ、そうみたいだが?」

 男は役人に訊ねる。「……おい、お前。違反者に罰金を払わせる手順はもちろん心得てるよな?」

「そういうお前こそ何者だ? 役人の仕事を邪魔しようってのか」役人は挙動不審な様子で、何とか語気を強めて言う。口調も荒くなっていた。

「非番だが、俺も一応役人だ」

「……え?」

 男は首を曲げ横目で役人を伺うように見る。「お前、俺を知らないのか?」

「いや……。」

「役人なら、身分証を持ってるよな? 出してもらおうか」

「何故お前に見せなきゃいけないんだよ。そんな資格あるのか?」

「ダニエルズでは、勤務中の役人が身分証を求められたら必ず出さないといけない決まりがある。例えそれがどんな身分の者であろうとな」

 役人は男をしばらく見たあと、思い出したように懐を探り始めた。「知ってるさ、それくらい。面倒な奴だなっ」

「ちなみに、役人の身分証の偽造は重罪なのは知ってるな?」

 役人の手が、懐に入れたまま止まった。

「もしかしたら……。」

「“もしかしたら”なんだ?」

「……役所に忘れてきたかも」

「身分証なしで職務についてたのかお前? 問題だぞ、どこの担当だ?」

「あ……う……。」

 困り果てた役人は、男の後ろに誰かを見つけたようにハっと背後を見やり、「ちょうど良かった、彼に聞いてくれ」と、男の後方を指差した。

 男が振り返る。特に、役人らしき人物はいなかった。

「……誰もいないが?」

 振り返ると、役人は消えていた。

「逃げたよ」と、クロウが言う。

 男はクソッと苦虫をかみつぶすように、逃げていった男の後ろ姿を見る。

「……もしかして、アイツ偽物だった?」

 男は首を振る。「おそらくな。まいったもんだよ。最近は役人を騙るのも増えてね。政策あれば対策あり、こっちが新しい事をやる度に、新しい悪事が増えるときた」

「なぜ偽物だと?」

「条例違反の罰金は、その場で徴収はしない。いったん令状を渡して、その後役所で払ってもらうんだ。不正に小遣い稼ぎをしてる役人かもしれなかったが、なら役人じゃないってことさ」

「大した自信だね?」

「自信じゃない、事実さ」

 確かに、男の口調に虚勢はなかった。男の堂々たる口調に、クロウは引きつった笑顔を浮かべる。「……なるほどね。おかげで助かったよ、4日分の飲み代が飛ばずに済んだ」

「俺が非番じゃなかったら、令状を渡してたぜ?」

「慈悲はないのかい貴族様?」

 コーヒー豆のように深い茶色の肌をしている男だった。ダニエルズでは、こういった黒い肌の人間は貴族の可能性が高かった。しかもこの男は口ひげを綺麗に整え、長いくせ毛を三つ編みにまとめて後ろで結んである凝りようだった。下級貴族ではまずない。

「この国では法が絶対だ。法の下の平等がモットーなんでね」硬い言葉だが、砕けた口調だった。

「住みづらい場所だ。私のような半端物には」

「どこだって住めば都だ。どうだい街を案内しようか?」

 男は厚い唇を釣り上げ笑顔を作った。口から覗く歯は、一切の汚れもなく並びも良かった。石畳が敷き詰められた街道のように、まっすぐに整頓された笑顔だった。恵まれた生まれと恵まれた外見、それを謙遜することなく自認していなければできない笑顔だ。

「大丈夫だ。当分男には懲り懲りでね」

「大した自信だな。令状はないが、君を私的にしょっ引きたくなってきた」

 男は負けじとクロウに近づき囁きかける。男の口調はますます砕けはじめ、役人らしかった先ほどとはうってかわり、完全に貴族の放蕩息子の顔になっていた。

「自信じゃない、事実さ。一昨日は飲み屋でからまれて、昨晩は寝床にもぐり込んできたんだ。男はしばらく遠慮したい」

「へぇっ、モテるじゃないか? 君はそんな男どもを、どんな態度で袖にしたんだい?」

 クロウは牙を覗かせて嗤う。「ひとりはグラスで顔を切って血まみれに、ひとりは耳を千切りかけた」

 男の顔が引きつるのを見ると、クロウは涼しげに微笑んで、「じゃあ」とその場を去ろうとした。

「なぁ、俺は君の飲み代を救ったんだぜ? せめてつきあうぐらいしてくれたっていいじゃないか」

「てっきり正義感からの行為かと思ったが、下心があるようだな。口八丁で金をかすめ取るのも、権威をかさに女を酒場に誘うのもやってることは変わらないと思うがね」

 男は困惑と共に、少し不快な様子で笑顔を歪めた。「そんなに君の気分を害したのかい? 随分きつい言い方だな。別に無理強いしてるわけじゃないぞ。そこまで邪険な言い方をしなくても」

「私の物言いにかどがあるなら、それは今しがたギルドで申請をむげに却下されたばかりだからだよ。淑女的な礼儀作法で受け応える余裕がないんだ。これが割のいい仕事の後なら、お前さんの耳に口を近づけて“あら嬉しい私の王子様お殿様、でも今日はお友達との約束があるし、家では病気の父親が心配するから早く帰らないといけないの。14人の兄弟の世話もあるしうまやの水を変えないといけないし、神様に西に向かって日が沈む前に祈りも捧げないといけないわ。またいつか機会があれば誘ってくださいな、”くらいは言えたかな」

「……機嫌が良くてそれか? あきれた女だな」

「もし私の口の悪さを問題に思うのならご心配なく。自分でも重々承知だ。ごく稀に眠れない夜にそのことを思い出して、ほんの少しばかりの罪悪感にさいなまれることはある」

 男は口を開けたまま黙ってしまった。クロウはそんな男の様子をみて、改めて「じゃあこれで」と、その場を去って行った。

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