scene⑦,ダニエルズ侯国

「ありがとう。マテルも喜んでたよ」

 食事が終わると、すぐにマテルは床についた。どうやら、元気を出しすぎて食べ終わると同時に、疲れ果ててしまったようだ。

「いつもあんなに元気なのかい?」

「いや……。」レグは息を深く吸って息子を見た。ため息の理由は疲ればかりではない。感情の入り混じった哀愁があった。「アンタが来てくれて嬉しかったのさ。なにせ、ずっと男でひとりで育てたもんだからな。それに、最近は仕事ばかりで構ってやれなかった。……この子には随分とさみしい思いをさせてるよ」

 昼に、レグはクロウに人間の農場で働いていると語った。普通、ラガモルフは農作業などをする習性はない。それでも肉体労働に従事しなければならないのは、独り身で子育てをするために、少しでも都市に近いほうが良いという判断からだった。山や野で生活していたら、どんな獣や盗賊に息子が襲われるか分からない。完全に安全とは言えないが、近隣住民の監視が行き届いている都市部の方が、息子の安全がより守ることができる。しかし、都市で生活するために、労働に従事する必要から、息子との時間が奪われてしまうという矛盾も生じていた。

「そうか……。移住してきたというが、ここに来る前はどこに?」

「……う、うむ。ダニエルズの外れの森だよ。良いところだった」

 レグの言葉が詰まったのをクロウは見逃さなかった。嘘をつかれ過ぎた人生で、クロウは相手の挙動からすぐに偽りのサインが見えてしまうようになっていた。どんなに気を許したい相手でも、反射的にそれを見つけてしまうのだ。


 クロウは裏の空き家に行こうとしたが、レグからもう暗いので部屋の整理ができないだろうといわれ、その晩は彼らの家で泊まることになった。レグの家は、元々陶芸家の作業場だったので寝室はなかった。なので、彼らは空いている部屋に藁を敷き詰めシーツを被せ、即席のベッドをこさえて寝床にしていた。クロウはそこで、レグ親子と川の字になって就寝した。

 秋が始まったばかりでまだ暑く、少し夜は寝苦しかった。クロウは薄らと汗をかきながら何度も寝返りを打つ。しかしそれでも寝苦しすぎではないか。レグから借りた毛布が上等だったのだろうか、体にかけているとすぐに体温が上昇した。

 暑い……暑い……むしろ熱い。

 クロウが目を覚ます。そこには、自分の胸の谷間に顔をうずめているマテルがいた。

「………。」

 クロウはしばらくマテルを見ていた。マテルは幸せそうに、うっすらと微笑みを浮かべて眠っていた。世界の一切の悪いことから守られていると信じている、幼子特有の笑みだ。子を持たぬ男でさえも母性をくすぐらるそうな顔だった。もちろん普段のクロウならばそうしていただろう。寝床に無断で入り、胸に顔をうずめてさえいなければ。

 目をつぶってため息を吐くと、クロウはマテルの両耳をひっつかんで持ち上げた。

「レディの寝床に入り込んで何してるのかしら、坊や?」

 クロウが丁寧ながらも冷たい声で問いかけると、マテルは眠たそうに眼をこすった。

「え? あれ?」マテルは宙に浮いたまま周りを見渡すと、柔らかい毛並みをふっくらさせて笑顔を作った。「うふふ、知らないうちに迷い込んじゃったみたいだよ」

 クロウはマテルの耳を左右に広げがるよう引っ張った。

「イタイイタイ! 取れちゃうよぉ!」

 マテルは痛みで、耳の付け根を抑えて悲鳴を上げた。

「ん? おお……どうしたね?」騒ぎにレグが目を覚ます。

「お父さんに躾けてもらわないとね、坊や」

 すぐにレグは何が起こったかを察した。「マテル……なんてことを……。クロウは客人なんだぞ?」

「ごめんなさいっ! すごくいい匂いだったからっ。あと、あと……。」

「あとは何かしら? 言葉を間違えると、耳と頭がさよならするわよ?」

「あと……お母さんが生きてたら、きっとクロウみたいなのかなぁって……。」

 マテルは目を潤ませて許しを乞うた。その可憐な姿に、思わずクロウの手が緩む。

「マテルや、ずるがしこい真似はやめなさい。お母さんがクロウみたいなわけないだろう。体は大きいし毛はないし」

 再びクロウはマテルの耳を引っ張った。

「ごめんなさい! でもさみしかったのは本当なんだよ!」

「マテル……。」子供をいつも一人にしてる罪悪感から、レグはマテルを憐れんで自分の寝床の横を手のひらで叩いた。「お前をひとりぼっちにしたのは父さんが悪かった。それじゃあ今日は父さんと一緒に寝よう」

「やだよ! だって最近父さん臭いんだもん!」 

「マテルよ……。」


 翌日、クロウは再びカーギルのギルドへと登録のために向かった。ダニエルズ侯のお膝元の地域だけあって、レンジャーギルドのある役所も中小貴族の屋敷並に大きかった。しかしヘルメス侯の趣向と違い、質実剛健を旨とするダニエルズ侯の領地である。石レンガとコンクリート造りの建物は、ダニエルズ侯国の建物であることを証明する縦型の紋章の旗以外の飾りはなかった。

 そして受付を済ますとすぐに、クロウの申請は却下されてしまった。受付嬢曰く、住所不定ではレンジャーとして登録できないという事だった。

 クロウは呆れて首を振る。「おいおい、ここじゃあレンジャーに住所を求めるのかい? 移動ばかりしてるからこそのレンジャーだろ。きちんとした家がある方が珍しいぞ。それに、お隣のネスレの方では問題なく登録できたんだが?」

 受付嬢は厳めしい表情で首を振る。「それは余所のお話。このカーギルは特にダニエルズ侯のお膝元ですから、レンジャーに対する条例も多いのです。いい加減な人をレンジャーとして登録するわけにはいきません」

 中年の受付嬢は、まるで自分が背後の旗を背負うかのように語った。旗にはダニエルズ家の紋章である、牧羊犬と天秤が描かれてあった。こと法律が厳しく、刑部が他国よりも重要とされているこの国の象徴だった。

「……正式な住まいができたら、登録できるんだろうか?」

「保証は出来ません。だいたい貴方、“クロウ”って名前で登録なさろうとしてますけど、ファミリーネームは何故書かれないんですか? そんな方は、ここではレンジャーとしての登録は難しいですよ?」

「名前にまで難癖をつけられるのか? そんな厳しい審査ばかりやって、レンジャー不足にならないのかね?」

「ご心配なく。我が国の刑部は他国よりも優秀です。ならず者まがいのレンジャーに頼らなくても、犯罪者は十分取り締まれます」

「優秀ねぇ……。先日私は剣を持っているというだけでしょっぴかれたが」

「でも、野蛮な拷問などはなかったでしょう? 彼らは亜人相手でも、きちんと公平な仕事をするはずです」

「……なぁ、もっと上の人間と話はできないかな」

「上の人間も私と同じ事を申しますよ」

 いくつか提案をしようとしたクロウだったが、どうせこの受付には通用しないだろうと、結局諦めてギルドを出ていった。

 しかし建物を出る前に、クロウはわざとらしく思い出したように振った。「ああ、そうか。レンジャーに対する法の12条4項に照らし合わせたら、確かにこの申請書には不備があったかもしれない」

 受付嬢はクロウを真顔で見ていた。しかし、目が僅かに左右に動くのをクロウは見逃さなかった。

「そうじゃないのかい?」クロウは肩をすくめる。

 受付嬢は必要以上に大きく頷きながらクロウに答える。「いえ、まぁ、そうですわね。12条4項、それも要因ではあります。もちろん、全てではありませんが……。」

「そうか、そんなものがあるんだな。知らなかったよ」

 そうしてクロウはギルドを出ていった。

 受付嬢は、周りの同僚としばらく目を合わせることができなかった。

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