scene⑥,フリーマーケット
クロウたちは、亜人たちが開いている
土地がなく商店を構えることができない都市部の亜人たちは、国の支給だけでは必要最低限の生活もままならなかった。そのため、こういった相互扶助のための場所が各地に存在した。物を売っているのは、ラガモルフやワウルフ、フェルプールといった馴染みの種族や、ゴブリンといった魔族もいた。また亜人だけでなく、戦時中に大きな怪我を抱え働けなくなった人間の姿もあった。
レグは得意気にマーケットを案内する。「もちろん貨幣も使えるがね。だが、私らはこっちの方が性に合ってる」
果物を売っている所に通りかかると、白い毛並みに黒のぶちの入ったワウルフの女性がグレープフルーツの入った袋をレグに差し出してきた。
「貰っとくれよ。この間、大工を紹介してくれたお礼さ。おかげで、うちの雨漏りを安く補修できた」
「悪いよ。今日は農園で稼いだ金があるんだ」
「いいんだって。ずっと困ってた雨漏りをあんなに簡単に直してもらったんだ礼をさせておくれ」
「そうかい、悪いね。じゃあせっかくだからもう一つもらおうか」
そう言って、レグは籠の中のグレープフルーツを一つ掴んで紙袋へ入れた。
「ほら、マテルも」
ワウルフの女性は、レグに切ったリンゴを差し出した。
「ありがとう、お姉さんっ」
そう言うとマテルはリンゴをほお張り、ほっぺたを膨らませ、細めた目でワウルフの女性に微笑んだ。
「相変わらず可愛い坊やだね。どんな種族の赤ん坊だって、アンタにゃあかなわないよ」お姉さんと言われ上機嫌の女性は、マテルの膨らんだほっぺたを軽くつねった。
青果売りを通り過ぎたあと、クロウがレグに訊く。「あのマダムは、あんな多くの果物をどこで?」
とてもあれだけの量の青果を仕入れる業者には見えなかった。彼女の服はボロボロで、使う道具も拾い集めた間に合せのものばかりなのに、果物は大量で新鮮だった。
「知らんとこの農村の果樹園だ」レグが、何ともないように言う。
「……大丈夫なのか?」クロウは面を喰らう。あっけらかんと言うが、やっていることは窃盗だ。
「いいのさぁ。山を下ったところの果樹園は、国の計画で大量に作物を作るんだが、しょっちゅう作りすぎて余らせて、それで結局腐らてしまうんだから。そこから拝借しても誰が迷惑するって言うんだ? 太陽の神様も喜んでらっしゃる」
「太陽神を信仰してるのか?」
亜人たちの信仰は多種多様である。ひとつの種族とっても地域によって異なった。一神教に多神教、土着の神を信じる者もいる。
「いや、とりあえず晴れてるんでそっちに祈っといたのさ。どれか崇めときゃ当たりが出るだろう」
レグは毛皮をふくらませて笑った。クロウも首を振って苦笑いする。
「レグよ、今日は客人を連れてきたのか」
茶色の麻のローブを纏ったフェルプールの老人がレグを呼び止めた。目が白んで頭は総白髪、かなりの高齢のようだった。
「ああ、今日からご近所さんになるクロウさんだよ」
白みがかった右目を開いて老人はクロウを見た。「……人間かね?」
「いや、フェルプールだよ。半分はね」クロウは髪をかきあげ猫耳を見せた。
「ほう。珍しいところに耳があるね。異国のフェルプールなのかな?」
「いや、出身はヘルメスだ」
「ヘルメス……。ヘルメスと言えば、ええと、何といったか……であごすてーの、とかいう奴がおるそうだな」
クロウは肩をすくめて「らしいな」と答えるにとどめた。ディアゴスティーノのことなので、方々で恨みを買っている可能性もあった。ベンズ周辺にいないフェルプールならば、ディアゴスティーノに追い出されたということもありうる。血族や同族に対する贔屓は過剰なディアゴスティーノだが、裏切り者に対する制裁もまた容赦のないことで知られていた。特に年寄り衆のフェルプールはとある事件以来、ディアゴスティーノに多くを奪われた過去があった。下手に知り合いだと言わない方が得策だとクロウは考えた。
「ワシらの身内でも、そいつの所に行けば仕事があるといって、ヘルメスに行った奴がおるよ」
「話だと、随分手広く仕事をやってるらしいけど、どうなんだろう。良くない噂も聞く」クロウは、敢えてディアゴスティーノのネガティブな情報を流して様子を伺う。
「大金を手にしとれば、汚い金も混じるさ」
老人は逆にクロウを諭すように言った。どうやら、ディアゴスティーノに対して遺恨があるようではなかった。年寄りなので、移動する活力も残っていないのだろう。それでもクロウはディアゴスティーノの話をするのは控えておいた。
「まぁ、レグが連れてきた者なら問題はあるまい……。」
老人はふたりにお辞儀をすると、じゃあとその場を去って行った。
「お前さん信頼されてるんだな」
「雑用係みたいなもんさ。この耳だからね、困ってる声が良く聞こえるんだよ」レグは得意気に耳を指差した。「ところで、アンタ、ヘルメスから来たのかい」
「そんなに意外なことでもない。ヘルメスは五国の中でも一番フェルプールが多いんだ」
「そうだな。どうやら今はヘルメスは大変なことになってるらしい。それで逃げてきたのかい?」
「ん? まぁそういうところかな……。」クロウはバツが悪そうに人差指で顎を掻いた。
レグの家に戻ると、クロウたちは夕食の準備を始めた。
マテルはクロウにべったり張り付き、鳥をしめる時でさえ、怖がりながらもクロウにしがみついていた。クロウは怖がるマテルを面白がりながら、鳥のしめ方や羽毛のむしり方、ナイフでのさばき方を教えた。
クロウは鳥の肉をソテーし、残りの骨付き肉を鍋で煮込んで出汁をり、野菜と煮込み、熟しすぎたトマトを潰し小麦粉でとろみをつけシチューを作った。
「こりゃあ驚いた、大したご馳走だね。レストランで出てきそうだ」
男でひとりで家事をこなしていたレグは、手間ひまをかけたクロウの料理に目を丸くして食い入った。
「有り合わせで適当に作ったんだ。料理の名前もない」
「以前はどこかで料理人を?」
「おおげさだな。料理なんてのは基本は応用でね。食べたことがある素材なら、調理する前から味が想像できる」
食卓では、待ちきれないマテルが飛び跳ねていた。
「父さんっ。もう食べていいのっ?」
「まだだよ、マテル。クロウさんが準備してるじゃないか」
「じゃあ、じゃあね、この甘いのをちょっと食べてもいいかなっ? 僕もうお腹ペコペコなんだよっ。きっとお腹の中には何も残ってないんだ。このままじゃあお腹の虫に体中に食べられちゃうよっ」
マテルはテーブルに前のめりになってブリオッシュに顔を近づけていた。ブリオッシュの前の顔が、うっとりととろけていた。
「やめなさい、みっともない」
「坊や、火が足りないから薪を持ってきてもらえるかしら? その間にできるかもよ?」クロウは、少しでもマテルの気を紛らわせようとお使いを頼んだ。
マテルは「はぁい!」と家を飛び出した。しかし10秒ほどで薪を、しかも枝切れ一本だけを持ってきて「できた!?」と戻ってきてしまった。
クロウは仕方なく、その枝を釜戸に放り込んだ。薪は、パチリと音を立てて燃え尽きてしまった。
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