scene⑤,ラガモルフの親子

 釈放されたクロウが役所の外に出ると、兎獣人ラガモルフの男が玄関先で待っていた。男はクロウを見ると、厚い毛で覆われた右目を釣り上げた。

「……なぜ来てくれたんだ?」

「迷惑だったかい?」

 男は、おかしな質問をするものだ、という具合に聞き返した。

「とんでもない……。」

 クロウはラガモルフのなりを見た。亜人用に小さく仕立てられたデニムのオーバーオールは、汚れてお世辞にも綺麗とは言い難かった。ツギハギの布はさらに擦り切れ、糸もほつれている。

「すまないが、お礼を使用にも大した手持ちがなくってね……。」

 気分を害した男の毛がふわりと盛り上がった。「私がアンタに何かをねだると?」

「いや、そういうつもりでは……。」

「アンタが困ってると思ったんだよ」

「でも友人まで連れてきてくれるなんて」

「ああでもせんと、一人だけの証言じゃあ役人は私ら亜人の言うことなんて信用せん」

 クロウは男の前に進み出て手を差し出した。「クロウだ。この恩は忘れない」

 男はその手を握り返した。男の腕は毛皮で膨らんでいて、一見すると太くたくましかった。だが握ってみると、思うよりも筋骨が華奢だという事が分かった。人間の子供と力比べをしてもいい勝負をしそうだった。

 亜人にはこういった、戦闘に不向きな種族が少なくなかった。戦時中はそういった種族は戦争に協力することができず、戦後になると、彼らは転生者の温情で施しを受けながら生活をさせてもらっているという、自助努力のできない不勤勉な種族とだと蔑まれるようになっていた。もっとも、彼らは彼らとして生活していただけであり、世界が一方的に、また急激に変わっただけなのだが。

「レグだ。忘れてくれたって構わんよ。恩に着せるためにやったわけじゃない」

 クロウは微笑むと、周囲を見渡した。慣れない土地でこれからどうするか考えなくてはなならなかった。仕事に住まい、ギルドの登録が長引きそうなので、どちらもすぐには得難かった。

 クロウが思案している様子を知ったレグが問う。「アンタ、行くあてはあるのかね?」

「え? ……いや」

「良かったら一緒に来ないかい? ウチの近所に空家があるんだ。補修せねばならんが、住めないわけじゃない」

「迷惑じゃあ? そこまでやってもらうなんて流石に……。」

「それに息子もアンタが来てくれれば喜ぶ……どうしたね?」

 クロウが伺うように訊く。「お前さん、あまりにも気前が良すぎるじゃないか? そういう事をされると、なにか企んでるんじゃないかって思ってしまう性分でね」

 レグは毛並を揺らして笑った。「私がアンタに欲情すると? アンタと私とじゃあ体が違いすぎるよ」

「すまない、そういう意味じゃあ……。」

「長い耳もなければ、柔らかい腹の毛だってない。大体そんなに肌がむき出しで、アンタらは恥ずかしくないのかね」

 クロウは両の手のひらを突き出す。「分かったよ、私が悪かった。ではお言葉に甘えるとしよう」

「ああ。私も近所づきあいが出来て嬉しいよ」

「それはそれは。で、お前さんどこに住んでるんだい?」

「町外れの森の山小屋だよ。息子とふたりで住んでる」

「……買ったのか?」

「いや、誰かが捨てていった空家にお邪魔してるんだ」


 カーギル北部の山は、太古の神殿が残る神聖な場所とされていた。歴史の中で、その土地の統治者が幾度か変わった後も、手つかずの状態で残されていた。そのため、土地や家を購入できない流れ者の亜人が住まうようになり、亜人たちのコミュニティがそこの森では形成されていた。また、都市を好まない亜人たちにとっても、マナが残るこの森は居心地が良かったのである。

 レグの住まいは、静寂を好む陶芸家が建てた作業場だった。しかし彼が急逝した後、弟子たちがこの小屋を使わなかったため、小屋は棄てられその存在が忘れ去られていた。そのため丸太は苔が生え、何年も前の枯葉が屋根を覆っていた。窓もいくつか破れていたが、体の小さなラガモルフでは補修するのが難しく、そのままの状態で放置されていた。


「父さんお帰りっ」

 レグが山小屋のドアを開けると、青みがかった灰色の毛並みのラガモルフの少年が父親に抱きついてきた。

「コレ、マテル。ドアを開けるときは用心しろと言ってるだろう。誰が入ってくるかわかったもんじゃない」

 マテルは黒曜石のように黒く輝く瞳をくりくりさせる。「大丈夫だよ。あんな小さな足音、父さんくらいしかいないからっ……あれれ?」

 マテルは後ろにいるクロウに気づくと、父親の体に隠れながら体を曲げてクロウを見た。

「だぁれ?」

「お客さんだよ。これからご近所さんになるクロウさんだ」

「ふぅん」

 クロウは体を曲げているマテルに合わせ、自分も体を曲げて挨拶をする。「よろしく坊や。名前は?」

「……マテル」

「マテルね。私はクロウ。いくつになるのかな?」

「4歳」

 クロウは少し考えた。亜人は種族で成長がまちまちだ。クロウは25歳だが、人間で換算すると大体30に当たる。

「人間でいうと、7歳くらいさ」

 計算しているクロウに、レグが教える。

「私は19歳だが、まあいい歳だね」レグが肩をすくめてつけ加えた。 

「……失礼だが、奥方は?」と、クロウが訊く。

 レグはマテルの頭を撫でて言う。「……先立たれたよ。この子を産んですぐに」

「すまない。悪いことを訊いた」

 レグは首を振る。「気にすることはない。私らは他の亜人に比べても特に短命だ。……まぁ昔の話しさ」レグは話を切り替えるため、笑顔で背後を親指で指した。「で、もうちょっといったところに、例の小屋があるよ。物置小屋みたいなんだがね、なぁにお前さん一人なら十分に足りるだろうさ」

「馬小屋でもありがたい」

 レグは自分の後ろに隠れているマテルを自分の前に引っ張り出した。「じゃあ、新しき隣人を迎えるお祝いといこう。マテルや、街に買い物に行くぞ」

 “お祝い”と聞いて、マテルの黒い瞳が光った。「はぁ~い」

「ちょっと待ってくれ、流石にそこまでやってもらうわけには……。」

「気になさるな御隣人。理由をつけて楽しみたいだけさ」

「わーい、パーティーだっ。ケーキ良い? あ、でも今日は飴を食べたね。じゃあもう甘いものはダメ?」マテルはクロウを見る。「父さんね、甘いものは一日一回って決めてるんだ。ラガモルフは本当は甘いものを食べないからって。でもさ、そんなこと言ったら、どんな動物も元々は煙草を吸わないしお酒も飲まないよねっ」

 マテルは数秒前まで人見知りをしていたと思いきや、真っ黒なクリッとした瞳で、今にもクロウに抱きつきそうな勢いで話し始めた。

「マテル。ケーキは高いし、虫歯になるんだ。他のご馳走で我慢なさい」

 クロウが言う。「煙草も酒も体に悪いさ。じゃあ坊やこうしよう。ケーキは無理でも、おばさんが自分用に甘いブリオッシュを買うことにするよ。でもきっと食べきれないから、半分食べてくれないかな?」

「やったねっ」

 マテルはクロウに体当たりのように体をぶつけ抱きついてきた。軽く服を引っ張る程度ではなく、クロウが足を動かしてもしがみついてはなさなかった。

「マテルっ。クロウさんがお困りだよ」

「嫌なの!?」

「……大丈夫。私は意外と丈夫でね」クロウはマテルの頭を撫でた。マテルの豊かで柔らかい毛並みに、クロウの指が埋もれる。

「ほら、お姉さんも良いって言ってるよっ」マテルは頭を動かし、自分からクロウの手に頭をこすりつけた。

 マテルは次にクロウの体を軽々よじ登り、自力で肩車の状態に持っていく。

「まったく、すまないねぇ。男一人で育ててたもんだから、客が来ると喜んじゃって。こらマテル、あまりやると失礼だぞ」

「すごいねっ。父さんに肩車してもらったときと全然違う。巨人になったみたいだっ。ジャンプしたら山の向こうが見えるんじゃないっ?」

「あまり顔を触るのもいただけないな。女性の顔をそんなに気安く触るのは失礼なんだぞ?」

 肩から落ちないよう、マテルはクロウの顔をしっかりと掴んでいた。

「心配ないさ。お前さんたちラガモルフは異種族に妙な感情を抱かないんだろう?」

「それがねぇ……マテルは進歩的というか、新しい時代のラガモルフというか……。」

 マテルはクロウの猫耳に顔を近づけ、鼻を鳴らし始めた。

「お姉さんは良い匂いがするんだねぇ」

「……ありがとう」

「それに、とっても綺麗な耳の形をしてるよ。僕、初めてキスをするならお姉さんみたいな人がいいなぁっ」

 クロウはマテルを引き剥がし抱え上げ、たしなめるように微笑んで見せた。「大人の女を口説きたいなら、もうちょっと手練手管を身につけなさい、坊やラァム?」

「うん?」マテルはクロウを見ながら、首を傾けぱちくりと瞬きをした。

 どうやら天性のジゴロらしい。酒場に連れていけば、この子を抱っこしようと給仕の女たちが列を作りそうだった。あどけないにもかかわらず、しっかりとあざとい少年にクロウはすっかり感服した。

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