scene④,クロウとレグ

 ──ダニエルズ侯国領・カーギル

 クロウはヘルメスを出た後、ダニエルズ侯国の中心都市で、一番大きく栄えているこの地へと流れ着いていた。身を隠すならば、人が多い都市部の方が勝手が良いかった。

 クロウは見ず知らずの(といってもクロウにとっては大体の場所が見ず知らずだったのだが)土地の酒場で火酒を飲んでいる真っ最中だった。この土地の酒が自分に合うかどうかは彼女にとって優先事項だった。

 グラスを空けたあと、クロウはカウンターの棚に並んでいた瓶に目をつけそれを注文した。運ばれて来たのは、真っ赤なグランベリージュースだった。ワインに比べると、明るく子供っぽい赤で、ルビーというよりもガラス細工に近かった。

 クロウはグラスを掲げると、ランプの灯りで透る赤色を眺めた。そういえば、子供の頃はステンドグラスの光が好きで、一日中眺めていることもあったな、とクロウは童心にかえっていた。


「よぉ、ねえちゃん。生理か?」

 クロウの隣に突然男が座った。横目で確認しただけだったが、カーリーヘアとケツアゴの特徴的な男だった。体は中年太りで、座ったせいで腹がズボンとシャツの間から飛び出していた。クロウは男ではなく、その周囲を見た。常連かもしれなかったが、男の周りに知り合いらしき人間が見えない。 

「女ってのは、生理の時はグランベリージュースを飲むんだってな? ホントか」

 クロウは何も言わずに立ち上がる。瞳は一転、冷徹な光を帯びていた。

「おい、もうちょっと付き合……。」

 男が言いかけていると、クロウは男の後頭部を掴み、顔面をカウンターに叩きつけた。グラスが置かれている真上からだったので、グラスが男の顔面にぶつかり砕け散った。

「あ、ああぎゃああああああ!」

 男は悲鳴を上げ顔面を抑える。ガラスの破片で出血し、さらにグランベリージュースが混ざり顔が真っ赤に染まっていた。

 クロウは男の首に腕を回し、フロントネックロックで固めると、丸椅子に足をかけ、それからカウンターに足を乗せて飛び上がり、宙で一回転して勢いをつけ、そして背中から落下して男の顔面をコンクリート製の床に叩きつけた。頭を打ちつけ男は気を失った。

 クロウはカウンターに戻ると、懐から適当に札を取り出しカウンターに置く。

「飲み代と修理代だ」

「……足りんよ」去ろうとしているクロウに、カウンターの向こうで皿を拭く店主が言った。

 クロウは頬をぴくりと動かすと、気を失った男の懐をあさり財布を取り出しカウンターに叩きつけた。

「これで足りるだろうっ」

 クロウは毅然と、しかし激情で床を踏みしめるような大股開きで店を出ていった。


 クロウが店を出ると、ちょうど外には10人ほどの役人たちがいた。

 クロウはたまたま出合わせたことを期待しながら役人たちの横を通り過ぎようとする。だが、役人たちはクロウを取り囲み始めた。

 クロウは酒場を振り返る。

「ダニエルズの役人は優秀だとは聞いていたが……ずいぶんと手が早すぎなんじゃないか?」

 役人たちは槍を突きつけ、クロウに動かぬよう念を押す。

「……たかが、酒場の喧嘩に大げさだな」

 役人の一人が、クロウの腰から刀を奪った。

「店の男を見てみろよ、刃物は使ってないぞ?」

 役人の隊長がクロウの前に立った。短く、清潔に白髪を切りそろえた男だった。初老で目の周りの肉がたるみ始めているが、その奥の眼光は容赦なく、濁っているものの鋭かった。

 隊長が油断のない目つきでクロウを見る。「貴様に聞きたいことがある。役所まで来てもらおう」

 薄々感じていたが、どうやら役人は酒場の喧嘩で来ているわけではないようだった。


「嘘をつくな、剣を持ってる女なんてそうそういない」

 酒場の前で捕縛された後、クロウは役所に連行され取り調べを受けていた。

 話によると、ネスレからカーギルに向かう現金輸送車が、強盗団に襲われるという事件があり、その中に武装した女がいたのだという。役人は武器を持った大柄な女を探しているということだった。

「私がそんなに大柄に見えるか? それに強盗団のメンバーが、仕事が終わったあと武器を持ったままうろついてると? じゃあ掏摸すりがあったら財布を持ってる奴をしょっぴいて、火事が起きたら煙草を吸ってる野次馬を牢屋に入れるのかい?」

「あの剣、女が護身用に持つには使い込まれてるようだな?」

「レンジャーなんだ。伊達で持ち歩いてるわけじゃない」

「レンジャー? ……許可証は?」

「……期限が切れてしまったんだ。ここに流れてきたばかりだし、登録するのに手間がかかってる。それより目撃者に面どおししたらどうだ? 私が犯人じゃないことが分かるはずだ」

「犯人は顔をフードで覆っていたというからな。面どおしに意味はあるまい。面どおしなら、お前こそアリバイはないのか? 事件があった時間に誰かと会っていたとか……。」

「……その頃はネスレの方で、兎獣人ラガモルフの親子と馬車で隣り合わせになったよ。じゃあ彼らを探してくれ」

「ネスレは管轄外だ」

「犯人が管轄外に逃げてても同じ事を言うつもりか?」

「そういうわけじゃないがな。だが、このままだとお前はここに数日間、宿泊することになるぞ」

「勘弁してくれよ……。」

「ダニエルズ侯国では容疑者の拷問を認めていない。だが、このままだと刑務所にいるのと変わらない期間、留置所に拘束されることになるがね」


 クロウは役所の地下にある留置所へ連れて行かれた。

 クロウを連れてきた役人が言う。「しばらく気が変わるまでここにいろ」

「それだと骨になるな」クロウは辟易して言った。

 役人は鍵の束を振り回して得意気に嗤う。「タフぶんなよ。その前にどいつも音を上げる」

 そこは取調官の言うように、刑務所とかわりない劣悪な環境だった。一人部屋だが、クロウひとりでも寝返りがうてないほどに狭く、敷かれたマットは縫い目の奥にシラミが湧き、隣の房では物狂いになった容疑者が頭を打ち付けながら神に祈りを大声で捧げていた。一晩でクロウは自分も精神に以上をきたすのではとうんざりした。


 翌朝、クロウの留置所の扉が開けられた。

 クロウが言う。「ルームサービスかい? チップはシラミの卵でよろしいかな」

「黙ってでろ」

 クロウは留置所から出されると、中庭に連れ出された。

 そこには、数人のフェルプールやワウルフの亜人が並んでいた。クロウは目を細めて彼らを見た。彼らは昨日、クロウが馬車で一緒になった乗客たちだった。

 役人が言う。「この女に見覚えは?」

 亜人の一人が、クロウを昨日馬車で乗り合わせた女性だと答えた。役人たちは顔を見合わせる。

 この時点で彼らが人間、もしくはエルフだったならばすぐに釈放のはずだった。だが、クロウを犯人だと決め付けていた取調官は諦めがつかず、「亜人の言うことだ。どこまでが本当か」と釈放を渋った。

 するとクロウの前に並ぶ、濃い茶色の毛並みの兎獣人ラガモルフの男が口を開いた。「ウチの子供に彼女が飴をくれたんだ。もしかしたら彼女のポシェットにまだ入っているかも」

 役人の一人が、長机に並べられたクロウの私物の中から、革製の小さなポシェットを取り中を探ると、中から飴の入った紙袋が出てきた。

 それが出てくると、役人たちは皆取調官を見た。

 役人の一人が取調官に耳打ちする。「彼らの乗っていた馬車は定期便です。業者にも確認が取れています。時刻に関しては嘘はないかと」

 取調官はうなってクロウを見た。

 クロウは肩をすくめ首を傾け、如何します? と問うように取締官を見返した。

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