scene㉖,流血のメッセージ
「頼みますよぉ、ヴィロンさん。ここいらにも亜人が増えてきやしたからねぇ。モーリスさんに是非って言っといてくださいよぉ。俺らの縄張り確保するようにって」
ダニエルズ領カーギルの外れの貧民街の裏通り。建物の陰の陽の射さない場所で、ヤクの売人は似合わない猫なで声でモーリスの同僚のヴィロンたちにゴマをすっていた。とうのヴィロンはパートタイマーの仕事が終え、満足げに売人から受け取った札束の枚数を数えている。
「ふん、今月分はこれでいいだろう。だが、モーリスに口添えが欲しいなら、来月からはもっと寄越すんだな」
「そんなぁ……。」
道化ぶる売人の狼狽ぶりをヴィロンが笑っていると、通り側から物音が響いてきた。一転して笑顔が消え、ふたりは顔を見合わせた。通りの方にはネズミが一匹、目を光らせて彼らを見ていた。だが、ネズミの物音にしては大きかった。
ヤクの売人が、「あっちには見張りがいるはず」とヴィロンに囁く。
ヤクの売人は物音のした方向を顎でしゃくり、仲間を様子を見に行かせる。しかしその仲間は、通りに出て角を曲がって姿を消したきり、再び姿を見せることはなかった。
ヤクの売人が困惑して言う。「ここは俺らのシマだ。よその奴がかち込みになんて来る訳が……。」
ヴィロンが剣を抜いて構える。そしてゆっくりと陽の射す方へとすり足で向かった。首を素早く建物の陰から出してすぐに引っ込めて周囲を伺うと、売人の仲間たちが倒されているのが見えた。
ヴィロンが売人を振り返る。気をつけろと言おうとしたその時、ヤクの売人と同僚の役人が音を立てて崩れ落ちた。
息を飲むヴィロン。倒れた男たちの背後には、亡霊のような影が立っていた。
「どうした? 何があったんだっ?」
モーリスが病院に駆け込むと、ベッドの上には体中を包帯で巻かれたヴィロンが横たわっていた。傷は深く、包帯はどこも血が滲み錆色に汚れていた。
ヴィロンは唇を震わせ「モ、モーリス……。」と掠れた声で応える。
「抗争に巻き込まれたのか?」
「ゆう……れい……。」
「幽霊?」
モーリスはヴィロンが酷い怪我で混乱しているのだと思った。昼間に幽霊など見るわけがない。何より、幽霊に切り刻まれたなどおとぎ話でも聞きはしない。
そこへモーリスの同僚のホワイトがやってきた。
「モーリス……。」
肥満体で普段はうっすらとピンク色に顔が染まっているホワイトだったが、今は名前の通りに顔が蒼白としていた。
モーリスが言う。「見ての通りだ。ヴィロンが襲われた。ヴィロンが担当してたシマと抗争してる奴らかもな」
「……普通ならその線だろうが、どうやら違うようだ」
「……どうしてだ?」
ホワイトが肩をすくめた。「別の縄張りの奴らもやられてる」
「……何だと?」
「しかも……。」ホワイトは周囲を見渡してからモーリスに顔を近づけた。「わざわざ、俺らと売人がいる時を狙ってやがる」
モーリスは愕然として顔を落とした。
「悪いニュースは続くぜ、モーリス」
「……なんだ?」顔を上げずにモーリスが訊く。
「部長が今回の件でお前に話があると」
「……どうしてだ?」
「そりゃそうだろう。刑部の役人が尽く斬られて、しかもどいつもヤクの売人と一緒ときた」
「……クソッ」
モーリスは体を屈めて吐き捨てた。
カーギル中央にある役所の刑部。役所の中でも武芸に優れた者や、名門の貴族が跡取りに出来ない次男を任務に就かせる部署だった。その部署の部長の執務室にモーリスとホワイト、他2名の役人が並んでいた。正面では縮れ毛で黒肌の厳つい男・刑部部長のドレフュスがマホガニー製の机の上で腕を組み、彼らを睨んでいた。
「どうして呼ばれたかわかるか?」
モーリスが率先して言う。「……ヴィロンたちが何者かに襲われました」
「そうだ。だが、注意喚起のためならば、わざわざお前らを……いや、お前らだけを呼んだりはしない……。」ドレフュスは睨みをきかせてから再び話し始める。「お前らは全員ある仕事に関係していた。そうだな?」
この部長の問いに関しては、誰も率先して答えなかった。
「お前らの仕事は違法薬物の取り締まりだ。それなのにどうだ? 襲撃を受けた奴らは尽く薬の売人と一緒だったというじゃないか」
室内で、ただひとり汗をにじませているホワイトが言う。「ちょうど、彼らを取り締まっていた時……その際に襲われたのでは?」
「だといいがな。中には奴らとの挨拶が終わった後に襲われた者もいる。彼らは売人を取り締まらずに何をやってた?」
モーリスたちは顔を見合わせたかったが、ここはシラを切り通す場所だった。何とかして適当な答えを出さなければならない。
モーリスが言う。「職務質問をしたけれど……何も怪しいところがなかった、と考えられます」
ドレフュスは唸るようにため息をついて机の中から札束を取り出し机の上に置いた。札束には血が付着していた。
「これが……病院に運び込まれたヴィロンの懐から出てきた。やつの実家は金持ちか何かだったか?」ドレフュスは右の人差し指と中指で札束を叩いた。「仮にそうだったとして、勤務中に大金を持ってどうするつもりだったんだ?」
「……彼らが賄賂を受け取っていたと?」と、あえてモーリスが訊ねた。部長の口ぶりはそれを疑っている。下手にはぐらかすと却って怪しまれかねない。
「モーリス、お前はどう思うんだ?」
「……彼らは使命に誠実な男達です。そのようなことはないかと……。」
「お前を含めてか?」
「……もちろん」
ドレフュスは腕を組んで背もたれに寄りかかった。「狙われるなら、理由があるはずだ。下手人は役人が嫌いらしい。心当たりは?」
「……今のところは」
「そういえば……。」ドレフュスは窓の外を見た。「彼らは今日は役所に来ていないらしいな」
「彼ら……ですか?」
「亜人たちだ。近頃よく来ていたろう。門前払いだったが」
「亜人のことはあまりよく……。」
「ほう?」ドレフュスはモーリスに視線を戻し、強い口調で質問する。「亜人の取締に熱心なお前が亜人の動向に興味がないと?」
「いえ……それは……。」
「私が知らないとでも? お前が事件を担当する場合、亜人が抵抗するケースが多いな? そして、結果かなりの亜人が死亡しているようだが?」
ドレフュスは厳しい視線でモーリスをみる。その視線に、モーリスは弱々しく見かえすしかできなかった。
「それは……室長のご報告ですか?」
「それがお前に関係あるか?」
「……いえ」
「お前の父君に免じてあまり深く追求はしていなかったが、目に余るならば、逆に父君に報告することもあるかもしれない」
父のことを言われた途端、モーリスの瞳は虚ろになった。ドレフュスを見てはいたが、その実、瞳の先には彼の父親がいた。
「そういえば、父君はお元気かな? 病気で寝たきりだと聞いたが……。」
しかし、モーリスは放心したまま答えない。
ドレフュスが部下の異変に気づき、眉間にしわを寄せ訊ねる。「……モーリス?」
モーリスは虚ろに答える。「え? ああ? 父上ですね。父上は……元気です」
「……寝たきりでは?」
「ええ、そうです。けれど……元気です」自分の回答のおかしさに、慌ててモーリスは言い直した。
「……そうか。くれぐれも家名に泥を塗るような真似はするな。父君からはお前をしっかりと導くように言われてある」
「……はい」
「……もういい。下がれ」
モーリスたちが退室すると、ドレフュスは秘書官にモーリスたちが手がけた事件の報告書を持ってくるよう命じた。
勤務が終わり、街の酒場に繰り出していたモーリスは頭を抱えていた。
一体どこで間違えてしまったのか。そう自問するが、モーリスには現状を改善するための具体的な事柄は思い浮かばなかった。ひたすら幼い自分を叱責する父が思い出され、そして右手が疼くばかりだった。
「まずいよな……。」と、杯の酒に手をつけることなくホワイトが言う。
モーリスが不機嫌に訊く。「まずい? お前の言うまずいってのは、どのことだ? 俺たちの小遣い稼ぎがバレることか? それとも命を付け狙われてることか?」
ホワイトは独り言のように、しかししっかりとモーリスに聞こえるようにつぶやく。「……もしくはお前が親父さんの名誉を汚すこととかもな」
モーリスは立ち上がり、ホワイトの襟を掴んだ。
「やめとけよ。やるべきことを考えよう」と、別の同僚がモーリスを諌める。
モーリスが苛立って歯をむき出しにする。「やるべきことってのは何だ?」
「まずしばらくは小遣い稼ぎはやめよう。そして、俺たちを付け狙ってる奴を始末するんだ」と、同僚は提案した。
「捕まえるんじゃなくて、始末するのか」と、ホワイトが訊いた。
「当然。下手人は俺たちの事を知ってる。ほっとくと小遣い稼ぎができないばかりじゃない。いずれヴィロンたちみたくやられるぞ」
「目撃情報はないのか?」と、モーリスが同僚たちに訊ねた。
ホワイトが言う。「共通してるのは、ほとんどが剣を交える事無く倒されてる」
「背後からという意味か?」
「違う。ヴィロンは抜いていた。しかも奴はダニエルズ侯の御前試合……毎年やってる役人の剣技のお披露目会だ。それの地区の代表だった。そのヴィロンが何もできなかったんだ。あの後、またヴィロンに会いに行ったんだ。やつが言うには、攻撃が幻影のように刃をすり抜けたと」信じられない、というようにホワイトは首を振った。
「別のやつは通り過ぎただけで体が斬られたと言ってる」
「妖術師か?」
「いったい誰が……。」
言い難そうにホワイトがモーリスを見ていた。
モーリスはホワイトを睨んだ。「何だよ? ホワイト」
「部長が言ってたろ、亜人を手にかけ過ぎてると。それが……。」
「亜人が私を始末しに来ただと? 亜人ごときが……馬鹿な」
「……亜人でも腕の立つ奴はいる」同僚のひとりが呟いた。
「ああ、そうそう」と、ホワイトが思い出したように言った。
「どうした?」
「ヴィロンの話だと、下手人はもしかしたら女かもしれないってことだった」
「どうしてそれを早く言わない?」
「幽霊だとか言ってんだぜ? 錯乱してる可能性もある」
すると突然、「女の剣士なら数は絞れますねぇ」と、三人が飲んでいる後方から声がした。
モーリスが振り向く。「……誰だ?」
「お久しぶり、モーリスさん」
それは、モーリスにみかじめ料を払っているヤクの売人だった。売人は軽く杯を掲げて挨拶をする。明るい酒場にいるというのに闇に紛れているかのような顔は、本人は笑顔のつもりだったのだろうが、飛び出したように大きな瞳のせいで一際不気味になっていた。
「馬鹿っ。こんな時に接触してくる奴がいるかっ」
「こんな時だからですよ……。おたくらに紹介したい奴がいるんです……。」
「……何?」
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