scene㉜,セレモニー

 クロウが頭をかきながら言う。「多分……ここでどうこう言っても信じてもらえないだろうが、お前さんの身内をやったのは私じゃない。ヨ・ソイ・ノゥ・トゥ・エネミゴってやつさ」

「……かもしれないな」

 ファイザーは全く得物を引く気配がない。

「無実の人間を殺るってのも後味悪いぜ?」

「どちらでもいい。ただ貴様とこうなる縁があったというだけだ」殺意も何もなかった。ただ悲しさのある表情だった。「動機は貴様を殺してから考える」

 クロウは肩をすくめる。改めて、ゴブリンとは会話が難しいことを思い知った。

 見慣れない武器に対して、クロウは全局面に対応しやすい正眼※で構える。

(正眼:体の正面を相手に向け、刀の切っ先を相手の目に向ける中段の構え。)

 対するファイザー。構えを取らず、だらりと両腕を垂れ下がらせたまま、クロウを見据える。

 ファイザーの体が脱力し、膝が床につくくらいに前のめりに倒れた。

 攻撃の前の脱力にしてはやり過ぎだ。クロウがそう思った刹那、ファイザーが床と水平に飛ぶように襲いかかってきた。

 これでは届かない。クロウはそう判断したが、ファイザーの飛距離がさいを地面に突き立てることで体ひとつ分伸びてきた。まるで獣のような動きだった。狙いは足の甲。クロウは脳の指令の伝達の遅い足ではなく、左肩を捻って半身を引いた。肩の捻りの動きに連動して左足が動く。ギリギリで足の甲は串刺しをまぬがれた。

 低姿勢のファイザーの横面をクロウが薙ぐ。ファイザーは右手の釵の又で受け止める。ファイザーが釵を捻り、刀と釵が絡まった。

 突き出されるファイザーの左の拳、逆に握っているため釵の柄が先端にある。

――届かない。だがクロウは念のため体を捻る準備をした。すると釵がファイザーの手中で回転し、リーチが伸びた。切っ先がクロウの腹の皮一枚をえぐる。

 刀を絡められているせいで攻撃に転じられない。クロウは膝でファイザーを蹴り上げた。膝蹴りは顎に当たり、ファイザーは後方に吹き飛んだ。

 2メートルばかり吹き飛んだファイザーは、天井を仰ぐように大の字に倒れた。

「とっとと起きろよ。効いてないことくらい、蹴った私が一番よく分かってる」

 ゴブリンとはいえ、こうまで吹っ飛ぶのは不自然だった。自分で後方に飛んで、ダメージを軽減したに違いない。

 ファイザーは仰向けのまま、まるで糸で引っ張り上げられるように、手も膝も付かずに起き上がった。

「面白い芸当だ。ハッタリかい?」

「ハッタリは……。貴様の剣術だろう」ファイザーは掌で顎を傾け首の関節を鳴らした。「“ファントム”か……どれほどのものかここに来るまで観察していたが、結局のところ虚を突いてばかりだ。名前通りの“見掛け倒しファントム”だ。武術のことも分からん奴らが大騒ぎしてるだけのようだな。俺に手品は通じん。カタをつけてやる」

「不思議だな……。」

「何がだ?」

「私に斬られる奴は皆一様に同じことを言う。そして誰もそれを実行できないんだ」

「そうか……。」ファイザーは構えた。「では、俺が貴様の最初の男になってやろう」

「いいや……。」クロウも再び正眼で構える。「私がお前さんの最後の女になるのさ」

 ファイザーの構えは先ほどと違い、右腕を突き出し、さいの切っ先をクロウに向け、左手は弓を引くように後ろにあった。左の釵は切っ先ではなく柄が突き出ていた。すり足で慎重に間を詰めてくるその構えは、サマンサの構えを思い出させたた。すなわち、徒手における対武器用の格闘術だ。

 今度はクロウが一気に間を詰め、引きの早い面打ちを放つ。ファイザーは左の釵で受け流した。

 さらに手首を返してからのクロウの横面。ファイザーは体を引いてかわす。

 クロウが追撃で小手を狙う。その攻撃をファイザーが右の釵で弾く。

 遠間合いから一気に間を詰めてのファイザーの下段の右回し蹴り。来ることは分かっていたが、下手に避けて体勢を崩したくなかった。クロウは左脚を上げて、蹴りを脚の側面で受けた。

 蹴り込んだ右足を軸に、飛び込むようなファイザーの左突き。柄の先端がクロウの人中※を襲う。流石にこれを喰らうわけにはいかず、クロウは首を傾けて避けた。

(人中:鼻と口の間にある急所。強打すると行動不能、もしくは死に至る場合がある)

 攻撃を避けたクロウは違和感に気付く。

 ――いつの間にか釵の切っ先を握っているファイザーの拳。

 ――クロウの脳裏に浮かぶファイザーの得物の形状。

 クロウは体中の体毛を逆立たせると、即座に体を回転させ、同時にやみくもに刀の柄の先でファイザーを弾いた。ファイザーとは距離を取れたが、クロウの首筋の肉が浅くえぐられていた。

 ファイザーの狙いは左拳の一撃ではなかった。

 突きを避けられた後に、突きの勢いで釵を伸ばし、切っ先の先端を掴み、そして引く。その際に、釵の三叉に分かれた右側の刃が相手の首をひっかかるようになっていた。

 クロウは手のひらを首筋に当て怪我の状態を確かめる。幸い皮をえぐっただけのようだった。

「……なかなかえげつない武器だね。魚河岸の魚みたいになるところだったよ」

 ファイザーは攻撃が失敗したというのに、表情一つ変えない。

「そして……。」クロウは手首から針を抜き、針の刺さっていた部分を食いちぎった。「抜け目がないな。さすがスズメバチ、毒針か」

 両者の間合いが離れる前、ファイザーが含み針でクロウを攻撃していた。

「なんだかお前さん、私より手品ばかりじゃないか」

「誰がそれを悪いと言った?」

 とっつきにくい野郎だ、クロウはそう苦笑すると改めて構えた。

 今度は二人とも慎重にではなく、悠々と歩いて間合いを詰める。

 間合いに入ると、二人は細かく素早い剣撃を繰り出した。レストランのホールに、金属同士がぶつかる音が絶え間なく響く。

 息を飲む男たち。釘を手に打ち付けられているロウズですら、痛みを忘れ二人の攻防に見入っていた。

 クロウの横面。仰向けに倒れて避けるファイザー。

 ファイザーは仰向けに倒れた状態から足を振り上げ回転し、クラウチングスタートの体制から低空で襲いかかり左右の連撃を放つ。クロウはつま先立ちのすり足で、体勢を崩さず後退しながら刀で捌いた。

 ファイザーの勢いがなくなるとともに突きを繰り出すクロウ。釵の又で受けるファイザー。刀と釵が絡まる。

 ファイザーが釵を捻るが、クロウは峰の中腹に手を添え抵抗する。

 空いた手の方の釵で、ファイザーは攻撃を試みる。バランスが崩れたスキにクロウがさらに刀を押し込み、ファイザーの首を切り裂かんとする。

 このまま攻撃を続ければ、お互いに傷を負うことは必死。だが二人とも引くことはなかった。

 ファイザーの釵がクロウの手首に刺さり、クロウの刀がファイザーの首に切り込んだ。

 手首と首、このまま続ければどちらが致命傷を負うかは明白。クロウは手首の痛みを厭わずさらに刀を押し込んだ。

 突然、ファイザーの首が太く膨らみ口がすぼんだ。

 毒針――クロウが警戒し力が抜けた瞬間、ファイザーはクロウの膝に足を乗せ、バク転をしながらクロウの胸元を蹴り上げた。

 着地したファイザーが口を開ける。そこには何もなかった。

「……手品はもう打ち止めと願いたいね」忌々しげにクロウが笑う。

「手品はもう終わりだ。だが……そろそろ魔法が効く時間だ」

「何を……!?」

 クロウの視界が歪んだ。後ろに引くがその足取りもおぼつかなかった。

「決定打がなかったんで、効果が出るまで時間がかかってしまった。……悪かったな、無駄に苦しめて」

 毒だった。しかし毒針はすぐに抜いたはずだ。仮に回ったとしても大した量ではない。ならば残る可能性は……。

「なるほど……“ホーネットスズメバチ”か。毒があるのは含み針だけじゃなかったわけね……。」

 毒は釵にも仕込まれていた。

 ファイザーは不思議そうに言う。「むしろ、なぜ毒がないと思った?」

 クロウは力の入らない右足を数回床に叩きつけると、改めて構え直した。

「諦めろ。もう終わりだ」

「こっちもまだ奥の手を見せてないんだ。お代は見てのお帰りってね」

「まだ殺すつもりはない。貴様には聞きたいことがある」

「答えは言ったろう。やったのは私じゃないと」

「そうか……。」

 ファイザーが構えを解き、真正面から堂々と近づく。クロウは左手を峰に添えた一撃を放つ。だが釵で簡単に受け止められ、さらに片方の釵の又の間に手首を挟まれ捻られ右腕を背中の後ろに回された。刀がクロウの手から落ちると、ファイザーはネクタイを外してクロウの両手首をそれで縛った。左腕は肩の上から、右腕は下から曲げられクロウは身動きが完全に取れなくなった。

 さらにファイザーはクロウのベルトを外し、ジーンズを膝まで下げた。

「いい趣味してるな」と、クロウが言う。

 だがファイザーは何も答えずに、ベルトを膝の上で巻き始めた。クロウの体は完全に拘束された。

 ファイザーがクロウを見下す。「言ったろ。お前の最初の男になると」

 勝ち誇った顔ではなかった。相変わらずの、物憂げな表情のままだった。

 絶望的な状況だったがクロウは涼しげに笑って言う。「ムードをぶち壊して悪いが……実はは初めてじゃないんだ」

 ファイザーは変わらぬ表情のままクロウを見る。

「純潔ぶる女には気をつけたほうがいい。お前さん堅物そうだから騙されやすいだろう?」

 クロウは童貞を憐れむ娼婦のようにファイザーをわらった。武器は奪われ、体は拘束され、完全に敗北を喫していた。それは、虚勢以外なにものでもなかった。

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