scene③,兄弟
元々の表情が物憂げなため分かりにくかったが、ファイザーは窓から外を眺め物思いにふけっていた。夕日を反射したようなその瞳には、
「族長がお前のことをこう言ってたな“特異点の向かうところは極地点だ”と。くだらん
ファイザーが振り返ると、そこにはバクスターの亡骸が横たわっていた。石の棺の上に寝かされているバクスターは、元々は他の行き倒れの死体とともにまとめて火葬されるはずだったが、ファイザーが弟の遺体を探し出しここへ運んだのだった。
「だがバクスターよ、お前はこの世で残ったたったひとりの肉親だった。どれほど離れていても、生き方を
ファイザーは懐から氏族の護符を取り出した。藁を束ね上げ紐を作り、それで氏族の家紋を形造り“にかわ”で固めた護符だった。護符の加護はあらゆる刃を弾くと信じられていた。仮に戦場で死んだ時、彼らはそれで自らの氏族の証しをしたのである。ファイザーはその護符をバクスターの亡骸に握らせた。
「安らかに眠れ……弟よ」
部屋の隅からうめき声がした。そこにはファイザーに急所を突かれ、出血多量で死にかけている
ファイザーは職員にゆっくりと歩み寄ると、腰を下ろし穏やかな口調で言った。
「すまないな。貴様に恨みはないが、弟の死出の旅に付き合ってやってくれ。寂しい思いをさせたくない」
ファイザーは悲しげな瞳のまま微笑むと、男の頭を優しく撫でた。今まさに死にかけている男は、死への恐怖よりもファイザーの異様な価値観に困惑した。
立ち上がり部屋を出ようとするファイザー。だが彼は出入り口でピタリと動かなくなった。
「……。」
突然ファイザーは駆け出して、スライディングをするようにして部屋を飛び出した。ファイザーが通り過ぎた床にはさすまたの穂先が突き立てられた。番兵が出入り口で待ち構えていたのである。
廊下を滑っていたファイザーは、片足でブレーキをかけ腰から
番兵の一人がさすまたを左右に振り回す。ファイザーは逆手に握った釵で、腕で弾くようにその打撃を弾いた。
間合いに入るとファイザーは
再度双手突きを繰り出すファイザー。どうせまた届かぬとたかをくくった番兵だったが、今度は突き出す寸前に釵が反回転されリーチが伸びていた。刃の部分が肋骨を通り抜け、番兵の肺と心臓を貫いた。
脳天をかち割るように上段を振り下ろすもう一人の番兵。ファイザーは釵を交差させ攻撃を受け止める。棒に引っ掛けた釵を滑らせて間合いを詰めると、片方の釵を抜いて番兵の手首に突き刺した。釵が骨の間を通り抜け、番兵の手首を貫通する。
ファイザーが番兵の手首を貫く釵を捻ると関節が極り、番兵の上体が前につんのめる。ファイザーがもう片方の釵を回転させ逆手で握る。そして肘打ちを打つように首筋に釵を突き立てると、釵が正確に番兵の頸椎を切断した。
瞬く間にファイザーは体格で勝る二人の番兵を始末した。
それは、武術と呼ぶにはあまりにも冷酷だった。格闘技と呼ぶにも合理的過ぎた。それは、人体をひとつの素材に見立てた解体術に近かった。
ファイザーは運び込まれたではなく、できたての死体の転がる廊下を悠然と歩く。出口近くまで行くと、用意していた火炎瓶に火を灯して放り投げ、施設に火を放った。火葬の手間を省くためだった。
ファイザーが表に出ると、馬車の前で一匹のオークが待っていた。体中には歴戦の傷があったが、戦士であろうにもかかわらず手に武器はなく、代わりに年季の入った鎖を巻きつけていた。オークの肩には鷲がとまっていた。巨躯のオークの肩なので、鷲はまるでカラスのように小さく見えた。
「……別れの挨拶は済んだか?」
オークはただ呟いただけだったが、その声は獣の唸り声のような圧迫感があった。
「ああ……。」
ファイザーは馬車に乗り込んだ。その隣にオークが乗車する。オークの体重の重みで馬車全体がメシリと音を立てた。
「……これからどうする?」
「“ファントム”を追う」
「……弟の敵討ちか?」
「別に、種族由来の復讐には興味はない。かといって人間のようにセンチになったわけでもない。ただ、あの弟を殺せる女に興味があるだけだ。無駄な殺生は好まん」
建物の二階の窓を破り、火だるまの男が悲鳴を上げて飛び出してきた。
地面に落ちたその男を見ながらオークが言う。「……そうか」
ファイザーは手綱をふるい、馬車を走らせた。
「もしその女を追うんだったら、弟のように奴らと手を結ぶのか?」と、オークが尋ねる。
「……いや、奴らはいまいち信用できん。俺は個人であの女を追う」
「そうか。ただ気をつけた方がいい。あくまで噂だが、“アンチェイン”をやったのはその女だという噂もある。にわかに信じがたいがな」
「有名人なのか?」
「“アンチェイン”の由来を知ってるか?」
「……いや」
「先の大戦中、ダニエルズ、ヘルメス、アルセロール、全ての国で奴は捕虜になったんだ。そこだけ聞くなら単なるマヌケ野郎だ。しかし、奴はそのすべての国の牢獄から脱獄してるんだ。力づくで正面からな」
「……にわかに信じがたいな」
「アンチェインがファントムに故郷で首を斬られた……ちょっとした騒ぎになったもんさ。……どうしたファイザー、不安になったか?」
そうオークが言うものの、ファイザーに不安になっている様子はなかった。物憂げな表情の中に、ほんの少しの退屈さがあった。
「ファントムってのは文字通り幽霊のことなのか? 生きてるんだろう? だとしたら簡単だ。“生きてる”ならそれが弱点だ」
オークはふん、と笑って首を振った。遥かに自分より体格の劣るゴブリンだったが、ハッタリを言う男ではないことを長年の付き合いで知っていた。
「死にそびれた
ファイザーは、葬儀中に仕事をこなす葬儀屋のように淡々と語った。
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