scene㉚,ファントム

「モーリスさん」

 女の侵入を報告しに部下の男の一人が客間に入ってきた。

「何だ。どうした?」モーリスは優雅にディナーをとっている調子を崩さずに言った。

 男はモーリスに耳打ちすると、モーリスは「本当か?」と驚いてナプキンで口を拭った。

「どうしたんだ? 問題でも?」モーリスの正面に座るロウズが心配して尋ねる。

 モーリスが肩をすくめる。「なぁに、はねっ返りのアバズレが、見当違いな私怨を晴らしにこっちに向かっているんだと」

「アバズレ? 頼むよ女関係でビジネスを破談にされちゃ困る。身辺は綺麗にしとけよ」

「そういうんじゃない。その女ってのはレンジャーだよ」

「女のレンジャー?」

「ああ、イカれた女だ。知人の亜人を殺したくらいで私の部下を殺しやがった。挙句こんなところまで乗り込んでくるとは……。」

 モーリスの説明に、ロウズは何か懸念があるようだった。「……もしかして、その女のレンジャーってのは、“ファントム”のことじゃあねぇよな?」

「ああ、確かそんな通り名があるらしいな。部下から報告が上がってるが……。」

 ロウズは「馬鹿野郎」と呟くと席を立った。

「どうした?」

「世間知らずの貴族崩れとは思ってたがここまでとはな。商談は破談だ。お前みたいなのと組む気はねぇ。アンタやべぇのを敵に回してるぜ?」

「たかが女ひとりだ」なだめるようにモーリスが言う。

「その“たかが”ひとりがスミス一家とバクスター一味をぶっ潰してんだよ。オークの“アンチェイン”もあの女が始末したって噂だ。アンタ、ジョーカー引いてるよ」

「知り合いの亜人を殺されたってだけで頭に血が上って乗り込んでくる猪女だぞ? そこまで焦ることはない。腕の立つ部下も揃えてる。ここまでは来れんさ。落ち着けよ」

「それがあの女のやべぇところなんだよ。行動原理がまるで分からん。貴族から大金積まれて指名受けても動かねぇクセに、貧乏人からの割に合わん依頼は引き受けやがる。報酬も自分が納得いかなかったら受け取らねぇとか金じゃねぇもん請求したりとか、考えてることがいちいち読めねぇ。ひとつ言えるのは、奴に関わるとエルフの貴族でも長生きできねぇってことだよ。裏界隈の噂じゃあ、ヘルメスが傾いたのもあの女が関係してるって話だ」

「そぉんなの、噂に尾びれがついたんだろう。そんな馬鹿が長生きできるのなら、君の言う裏社会というのは随分と優しい世界なんだな。どうやら私たちも見習わなければならないようだ」

 ロウズは「言ってろ」と帰りの支度を始めた。

 ロウズが本気だということが分かると、モーリスは部下に目配せをした。部下が背後からロウズの左腕を“脇固め”で抑えた。

「テ、テメェら何のつもりだ!」

 さらにもうひとりのモーリスの部下がロウズの右手首を掴み、テーブルに押し付けた。

「まったく、ディナーの途中で席を立つとは……マナーがなってないな」

 モーリスはジャケットの懐から金づちと五寸釘を取り出し、その五寸釘をロウズの手の甲に突き立てた。

「お、おい何するんだよっ」

「なに、食事中に席を立たないように……。」モーリスは金づちを振り上げた。「躾をするんだよ」

「お、おい、冗談はやめろ。ホントに、やめろ。やめてくれっ」

 モーリスはため息をついて首を振ると金づちを振り下ろす。金属同士がぶつかる音ともに、五寸釘がロウズの手を突き抜けテーブルまで貫いた。

「ぎぃいいいいいやあああああああ!!!! あ、あ、ああああああああ!!」

 モーリスの部下たちがロウズを解放する。ロウズはバタバタ動くものの、手をテーブルにつなぎ止められているため、その場を離れることができなかった。

「テ、テメェ、何てことしやがるぅ!!」歯を食いしばりながら叫ぶせいで、ロウズの口角からは泡が飛び散っていた。

「君が勝手に席を立とうとするからだ。私の父も厳しかったぞ? テーブルマナーを間違えるとよく手を叩かれたものさ」

 ロウズは涙目で睨んで叫ぶ。「金づちを使ってか!?」

 モーリスは暗く青ざめたように笑うと、右手の甲をロウズに見せた。そこには丸い古い傷の痕があった。さらにモーリスは手を返すと、手のひらには同じ傷痕があった。

 ロウズは絶句した。

「父の厳格な教育が、私という紳士を作った……。」

 傷痕をさするモーリス。その表情は、懐かしい思い出に浸っているようでもあり、抑えがたい狂気に侵されているようでもあった。その様にロウズは思わず息のむ。

「仮に……。」モーリスが言う。「そのファントムがここまで来ることになったとしても心配はいらない。こちらもまるで無策というわけじゃあないんだ」モーリスが口角を上げ目を不気味に見開いた。「こんなこともあろうかと、“アンダーテイカー”を雇ってある」

 “アンダーテイカー”の名を聞いたロウズから汗が引いた。「あの葬儀屋をか? まさか……アイツが役人と仕事なんかするわけねぇ。だって奴ぁ……。」

「その通り。だが、今回は彼からの申し出なんだ。どうやら彼はあの女と因縁があるらしい」


 純白のテーブルクロスに、ロウズの手を中心に血が広がる。ロウズが体中を痙攣させ、脂汗を顔に滲ませながらモーリスを睨んでいると、フロアのキッチンにつながる扉が開いた。そこには女が立っていた。

 モーリスが言う。「……ディナーの最中だぞ。気を利かせられないのか」

 女はテーブルを見る。そこにはテーブルに手を打ち付けられたロウズがいた。

「すまないね、勉強不足で。そのマナーは知らないんだ」女は何の躊躇もなくフロアに足を踏み入れた。

「……私の部下はどうした」

「片付けたよ……。いや、散らかしたと言ったほうがいいかな」

 部下がクロウの後ろからキッチンをのぞく。白いタイル張りのキッチンは男たちの血で染まっていた。部下はモーリスを見て首を振った。

 ロウズが思わず、ファントム・クロウ……と呟いた。

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