scene㉙,遅れてきた客

 モーリスとロウズの二人が商談をしているレストラン・フロリアンズ。山あいにある店はたった二人の客のために貸切になっていた。外にはレストランであるにもかかわらず、物々しい雰囲気の男たちが立っている。男たちは手にした武器を一切隠すことなく、これみよがしに周囲を威圧していた。


 レストランの裏口にも男が一人立っていた。男は小腹を空かせながら悪態を独りごちていた。クソ、今頃モーリスはディナーに舌づつみでも打ってんだろうな。まったく、こんな山奥のレストランでヤクの商談やるかね。遠出したせいで晩飯食いそびれちまったぜ。

 うんざりしながら空きっ腹をなでていると、男は暗闇から気配がするのを感じた。

(なんだぁ?)

 男が目を凝らすと、闇の中から一人の女が現れた。

 焦げ茶色の外套マントにすっぽりと身を包んだ女だった。男は一瞬、女に奇妙な違和感を抱いた。どこがどうとは言い難いのだが、歩き方が妙に不自然に見えたのだ。まるで、体そのものが幽霊か幻影の如く前面に滑り出ているかのような、そんな違和感のある歩き方だった。だが、そうは言っても女は女である。男はそのまま女の接近を許した。

 男はてっきり自分に用があるのかと思いきや、女が自分を無視して平然とドアノブに手をかけたので、慌てて女の手首を掴んで捻り上げた。

「おいおい、何やってんだ。今日は貸切だ。店の関係者か? にしては小汚いじゃないか……。」

 男が話している最中、女は捻り上げられた腕を下げていた。そして再び手を上げると、二人の手が入れ替わり女が男の手首を掴んでいる状態になっていた。男は組み替えられた手を不思議そうに見る。

 女が一気に手を下げる。男の腕が捻れ、ポキキっと音を立て男の肩と肘の関節が外れた。

 男は呆然と垂れ下がった自分の腕を見る。「……あれ?」

 激痛が――関節を外されたことによる痛みがすぐに自分を襲う。男は総毛立たたせ悲鳴を上げようと喉を震わせた。だが女は容赦なく男の関節の外れた腕をさらに捻り上げ、顔面蒼白の男の上半身が前のめりにつんのめった。

「おい、ちょっとま……。」

 そして女は男の後頭部をつかみ、顔面を思い切りドアノブに叩きつけた。ロックの突き出た部分が眼球に刺さり、男は小刻みに痙攣する。さらに女が男の後頭部に前蹴りを入れると、男の顔からグシャリと異様な音が響いた。

 蹴りの勢いで女の顔から外套がはだけ、顔が露わになった。

 浅黒い肌、黒髪のように深い赤髪、金色の瞳。その全てが、今まさに人をひとり殺めたというのに微動だにしていなかった。むしろ、微動だにしていないというよりも、激情を鉄仮面で押さえつけているようでもあった。死者を見下すにしては、その瞳はあまりにも冷たすぎた。抜身の刃を詰め込んだ麻袋のように、はち切れんばかりの殺気が女の体に充満していた。

 女はドアノブから男を引き剥がすと、ドアを開いて建物に侵入した。

 ドアを開けると、正面に伸びる従業員通路では、七人の男たちがたむろしてタバコを吸っていた。

「何だお前?」と、その中のひとりが問う。

 だが女は返答せずに進み続ける。

 男たちがそれぞれ顔を見合わせたあと、ひとりの男が歩み寄った。

 男の手が届く範囲になった時、女の外套がめくれ上がった。

 光? そう思ったすぐ後に、男は自分の正面からバシャッと何かが溢れる音を聞いた。視線を下げると、男は息を飲んで腰を抜かし壁際に倒れこんだ。

 男が見たのは、腹からこぼれ落ちた自分の内臓だった。

「あ……か……。」男は必死に腹を抑え、内臓がそれ以上飛び出すのを防ごうとする。

 その男が倒れ込むや否や、男たちはタバコを投げ捨て剣に持ち替え、一斉に女に襲いかかった。

 先頭の男はロングソードで斬撃を次々と繰り出した。女はその剣撃をスウェーバックで避け続ける。女は男の攻撃の隙に、柄を握っている男の両腕の間に鞘の先端をさし込みひねり上げた。関節を極められ男は体を腰からの字に横に曲げ体勢を崩す。女はその状態から抜刀し、動けなくなっている男を袈裟で切り伏せた。

 さらに後ろに控えていた男の大上段。女は得物の長さを見切り一足分、後ろに下がる。大上段は空を切り、振り切った男の手首を女が小さく素早い“小手”で切り裂いた。

 右の手首を半分切られて呻く男。女は戦闘不能とみなし、そのまま建物の奥へと侵入する。しかし、その男は諦めずに「こなくそっ!」と左手一本で背後から挑んできた。女は振り向いて剣をかち上げて弾き飛ばし、男を逆袈裟で切り伏せた。

 その男を斬ったあと、女は突然三人いる男たちの方へ駆け出した。

 迎え撃とうとする男たちだったが、男たちの間合いに入る寸前に女は壁に走り、壁の側面を駆け上って男たちの背後についた。女は男たちの背後から襲いかかり、ふたりを左右の切り上げで始末した。

 最後の男は用心深く女の行動を観察する。女は残身、ならばこちらに振り向いて構え直すスキに切りつける。そう思っていた矢先、女は残身のままで男との間合いを狭めた。まるで、女と自分との間の地面が狭まったように男は錯覚した。

「!?」

 予想外の女の動きに虚を突かれ反応が遅れる。男は肩口から脇下までを袈裟で切られた。

 残った一人は仲間を呼ぶため、足をつっかけながら女の前から逃げていった。


 女は逃げた男の後を追いさらに建物の奥、厨房と入った。白いタイルの敷き詰められた、清潔感のある厨房だった。スープの入った大鍋が釜の近くにあり、部屋の隅のワインラックにはワインボトルが並べられている。

 厨房には料理人や給仕たちが困惑したように立ちすくしていた。女が顎をしゃくって出て行くように促すと、彼らはいそいそと厨房を後にした。残ったのは、女が用のある男たちだけだった。

 女を取り囲む四人の男たち。手には剣やマチェテ※を手にしている。

(マチェテ:山刀。ナタに形状の似た刃物。武器・農作業に使え汎用性が高い)

 女は厨房の中央の長テーブルにある、スープの入った小鍋を掴んで男の一人に投げつけた。ズボンの裾に熱いスープがかかり男の視線が下を向く。女はそのスキを狙ってレザージャケットの懐からナイフを取り出し投げつけた。ナイフは男の眉間に刺ささり、男は膝から崩れ落ちた。

 女はテーブルの上にあった調理器具を片っ端から男たちに投げつけ始めた。ひるんだ男の一人に、女は地面を這うように飛び込み脛を切り裂いた。

 女はさらにもう一人に斬りかかる。だが、剣撃を防がれつばぜり合いになりテーブルに押し込まれた。女はテーブルの上を転がって対面に落ちるとテーブルの板を持ち上げて倒し、男とのあいだに衝立ついたてのように立てた。

 男は板越しに女に斬りかかる。腕の力だけの斬撃で、板は途中まで切断されたまま女までは届かなかった。女が下腹部に力を込めた渾身の袈裟斬りを放つ。刀は板越しに男の体を切り裂いた。

 女は残る最後の男と対峙する。色黒で、顔に刺青のある中年の男だった。手にはブラスキー※を携えている。小柄だったが、どうやらこの中で一番の手練のようだった。男は「いやぁあああ!」と叫びながら、ブラスキーを振り回し女に襲いかかった。

(ブラスキー:刃の後部につるはしを備え、農業・林業・工事に使用できる万能斧。消防斧に近い)

 ひたすらにブラスキーを振り回す、単調で分かりやすい攻撃だった。しかし、柔軟な手首と肩、そして遠心力を利用し休みなく繰り出される攻撃は、たとえ読めたとしても速さと重さがあり、反撃に転じるのが難しかった。

 女がドアに追い詰められる。からくも一撃をかわし、ブラスキーが木製のドアにめり込んだ。そのわずかに生じたスキを狙って女が斬りかかる。だが男はすぐに刃をドアから抜き出し、ブラスキーの柄で刀を受け止めた。そして受け止めた状態から素早く柄を傾け、柄の先端で女の胸を突く。女が小さく呻いて後ずさりする。男は追撃でブラスキーを左右に振り回し、女の喉と顔面を切り裂きにかかった。女は小刻みにすり足を繰り返してそれを避けた後、仰向けに倒れた。バランスを崩したのだと思いきや、女は倒れる寸前に片手をつき、男の右足に蟹挟かにばさみ※をかけた。足を絡められた男が仰向けに転倒する。

蟹挟かにばさみ:立っている相手の太腿または膝を自らの両足で挟み込み後方に倒す技。サンボ、レスリングで使用される。)

 女は手を伸ばし、ワインラックからワイン(300ジル)を抜き取り男の頭上に叩きつけた。瓶が中身をぶちまけながら粉々に砕ける。

 一発では終わらず、女は二本(700ジル)、三本(1000ジル)と立て続けに男の頭を瓶で殴り続ける。高いところに行くほど高いワインが並んでいたので、男の頭を殴る度にワインの値段が上がっていった。

 最後に女が手にとったのはこの店で一番高い、アイゼン地方の50年ものの赤ワイン(3000ジル)だった。

 男は思わず待て、と手でそれを制した。頭を叩くには高すぎる逸品だった。

 女はまじまじと瓶を眺めた後、やはりその瓶で男を頭を殴打した。

 瓶は砕け散り、男は顔面をワインが真っ赤に染めて気絶した。残念なことに香りに関しては、各地域各年代のワインが混ざり合い、匂いもへったくれない状態になっていた。

 女は周囲を見渡しキッチンの男たちを始末し終えたのを確認すると、モーリスのいる客間へと向かった。

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