scene⑲,暴虐

 その夜、モーリスは部下と無許可営業の酒場の前に来ていた。酒場と言っても平屋の丸太小屋で、民家と外観はさほど変わりがなかった。

 モーリスはその日も隙のない、完璧な佇まいだった。少なくとも本人にとっては。

 アラベスク模様が浮き刷りにされた傷一つない軽鎧を着込んだ貴族の自分が、部下に乱れのない隊列を組ませ、今まさに魑魅魍魎渦巻く建物に乗り込もうとする。モーリスは、そんな自分を吟遊詩人の歌に出てくる英雄に重ね合わせていた。楽隊がいないのが唯一の心残りだった。

 モーリスが何度も深呼吸をしているのを見て同僚が訊ねる。

「緊張しているのか、モーリス?」

「……緊張? まさか」モーリスは鼻で嗤った。「これから亜人どもの巣窟そうくつに入り込むんだ。奴らの臭いを嗅ぐだけでも体がけがれるからな。今のうちに存分に空気を吸っておかないと」

 首をふり苦笑いをしながら同僚が言う。「そんな、たかが臭いじゃないか」

 モーリスは同僚に顔を近づけて目をむく。「ヴィオン、たかが臭いだといったか?」

「あ、いや……。」ヴィオンと呼ばれた同僚は目を泳がせる。

「いいか? 臭いを嗅ぐということは、そんな簡単な話じゃあない。宙を漂ってる奴らの体の一部が、鼻腔を通して体の中に入ってくるってことなんだ。つまり、奴らの臭いを嗅ぐということは、奴らの一部を体内に取り込んでいるのと同じなんだよ」忌々しげにモーリスが首を振る。「汚らわしい。私の純然たる貴族の血が汚されてしまう」

「は、はぁ……。」

 モーリスは小瓶を懐から取り出し中の酒を一飲みすると、首をくるりと一回転させた。

「行くぞ」


 モーリスが先頭を行く。ドアには鍵はかけられていなかったが、モーリスは蹴破けやぶって中に入った。

 ドアが破壊される音ともに、中の客が一斉にモーリスを見た。客は殆どが犬型獣人ラウルフやフェルプールといった亜人だった。

「テートライル区刑部上級執行官モーリスだ。全員動くな」そう言いつつ、モーリスは目配せをして同僚たちに剣を抜かせた。あからさまな威嚇いかくである。

 ただでさえ無許可の酒場だった。そこに集まる者は清廉潔白とは言い難い。しかもこの地区の刑部担当のモーリスが、亜人に対して苛烈かれつな取り締まりをすることはよく知られていた。亜人と見れば、ほこりが出るまで叩きつづける男だと。

 恐怖に駆られた一部の客が逃げはじめると、恐怖はつぎつぎに伝播した。煽られるように、逃げるつもりのなかった客たちも思わず逃げはじめてしまった。たとえ逃げなかったとしても、役人が「逃げるなと言ってるだろう!」と理不尽に殴打してくるのだ。そのせいで一人、また一人と逃走をはからずにはいられなかった。

 中の役人が亜人たちに棍棒で殴打を食らわし、外で待機している役人たちが槍で威嚇いかくし動きを封じる。次々に打ちのめされていく亜人たちだったが、役人たちは誰も彼らに縄をかけようとはしなかった。モーリスたちには別の目的があった。

 モーリスは悠然ゆうぜんと建物の奥へと歩んでいく。一室を蹴破り中に入ると、ラウルフの男が体を震わせながら部屋の隅で丸まっていた。

 モーリスは男に冷たく問いかける。「クレイはどこだ?」

 しかし、ラウルフの男は答えられない。

 モーリスはイラついたように右の頬をぴくりと釣り上げると、腰間から金づちを取り出し男の頭に振り下ろした。ラウルフの男が「ぎゃあ!」と悲鳴を上げて床を転げまわる。

 モーリスは金づちを振り上げて再度問う。「聞いてるだろう! 質問に答えろ!」

「ヒィッ! 知らない、オイラは知らないよぉ」

「ならとっととそう言え!」モーリスは再び男の頭に金づちを振り下ろした。金づちの先端が男の頭蓋骨を砕いて突き刺さる。男は目から血涙を流しながら痙攣けいれんした。モーリスはそんな男を見ながら「クズめ」と吐き捨てて去っていった。

 次に向かいの洗面所に入ると、フェルプールの男が窓から逃げようとしている最中だった。だが、窓に鉄格子があったせいでうまく逃げることができない。

 モーリスは男のベルトを掴むと窓から引きずり下ろし、金づちを振り回して殴打を加えた。

「なに逃げようとしてやがる!」

 男は悲鳴を上げつつ、窓を割った際に落ちたガラスの破片を握りしめモーリスに襲いかかった。しかし、男はへっぴり腰だったのでいくら振り回そうとモーリスには当たらず、逆に自分が顎に一撃をくらい昏倒こんとうしてしまった。モーリスは亜人が自分に歯向かったという怒りで、倒れている男に何度も金づちを振り下ろした。

 男が動かなくなったことが分かると、モーリスは息を荒げながら洗面台の鏡で乱れた髪を整えた。

「モーリスさん、いました!」部下の呼ぶ声が別の部屋から聞こえた。

 声のした方に向かうと、そこはその店の物置になっていた。部屋の中心にはラウルフの男が座らされている。部屋は裏口に繋がっていて、ラウルフの男は脱出まであと寸前というところで捕まったようだ。

「……見つけたぞ」

 男は無抵抗だったのに顔を殴られ、目尻からは血が流れていた。

「まったく、手を焼かせるんじゃない……。」金づちで手のひらを叩きながらモーリスは言う。

「違うんだ、誤解なんだよモーリス。俺の話を聞いてくれ」ラウルフの男は主人に擦り寄る犬のように哀れな表情を浮かべていた。

 ラウルフという種族は、言葉を話し二足歩行をするが、顔はほぼ犬のものだった。このクレイは、白と茶色の毛並みに垂れ耳という、猟犬の雑種のような顔立ちをしていた。あまり精悍せいかんとは言い難い顔つきだった。

「ああそうだ。話せば分かることだらけだ。ブツはどこにある?」

「それなんだよ。それが問題が起きちまって……。」

 モーリスが目配せをする。すると部下の二人がクレイを押さえつけた。そして右の手首をつかんでモーリスの前に差し出す。

「だ、だから話を最後まで聞いてくれ!」

「クレイ、話は単純だ。お前がちょろまかしたブツがあるかないかだ」モーリスはクレイの小指に狙いを定め金づちを振り上げる。「あるのか? ないのか? イエスかノーか」

「……ある」クレイは涙と鼻水を流しながら言う。

「ほう? どこに?」

「それが……。」

 モーリスが金づちを振り下ろした。小指がいびつな音を立ててひしゃげる。

「ぎゃああああああああああ!!」

「どこにあるのか知ってるのか知らないのか。イエスかノーか。それ以外を言うと次は薬指だ」モーリスはクレイが悶絶もんぜつすればするほど、ますます激昴げきこうしていった。モーリスにとって、亜人の苦悩も苦痛も愚かゆえの産物でしかなかった。

「知ってる、知ってるよぉ!」

「何だ、思い出せるじゃないか。まったく、お前たち亜人は学校や教会に行く習慣がないせいで躾がなってない。モノを思い出させる時には子供みたく折檻しなければならないときた。こっちも一苦労だよ。で、どこだ?」

 クレイが哀願するように涙を流しながらモーリスを見る。

 モーリスが首を振る。「お前らと接してると、なぜ先の戦争が起きたのかよく分かるよ。あれは領土や資源の問題じゃあないんだ。私たちはエルフやドワーフに対して憎しみを抱くことは難しい。そのためには努力や教育が必要だ。だが、お前ら亜人に対しては違う。自然と憎しみがわいてくるんだ。これはもっと心の奥底にある感情、本能といっていい」モーリスは自分の胸に手を当てた。「だからお前らを殴ることに対して、私は良心の呵責にさいなまれることはない。情けを乞おうなんて考えるな。いいな?」

 クレイは諦めの涙を流した。

「ブツと金はどこだ?」

「……レグという男に預けてある」

「……本当か?」

 クレイが力なく頷く。

「なぜ、黙っていた?」

「そりゃあ……アイツが友人だからだ――」

 そう言うやいなや、モーリスがクレイの薬指に金づちを振り下ろした。

「ひぃひぃっひぃいいいいいいいいい!」

 だが金づちはギリギリで外れていた。

「嘘をつくな。お前ら亜人に友情などあるものか。おおかた何か不都合があったんだろう。違うか?」

「それは……。」

 モーリスは再び金づちを振り上げた。

「すまねぇ! そいつがブツを捨てちまったんだよ!」

「……捨てた?」

「ああ、そうさ。嘘じゃない。堅物野郎なんだよ! 預けたもんがブツって分かったら俺に断りも入れず捨てやがったんだ! もうこの期におよんで嘘なんてつく……ぎゃああああああ!!」

 金づちが再びクレイの薬指に振り下ろされていた。今度は外れずにクレイの薬指を砕いていた。

「あ、ああ、あ……。う、嘘じゃあないんだ」クレイが口を戦慄わななかせながらモーリスを仰ぎ見る。

「かもな。これは疑っているからじゃない。ムカついたからだ」

 そしてモーリスはクレイの脳天に金づちを振り下ろした。頭蓋骨を砕く音が周囲に響き、部下の数人はその凄惨せいさんな光景から背けた。

 痙攣しているクレイを見下しながら、モーリスは「ふぅ」と息をつく。

「……ん?」モーリスが胸元を見ると、新調した鎧にクレイの返り血がついていた。しばらく硬直したように返り血をにらんだ後、モーリスは息を荒げ顔を真っ赤に紅潮させた。

「この……やろう……!」

 激昴したモーリスはクレイの頭を滅多打ちにしはじめた。興奮しているせいで、金づちは脳天から外れ、滑って頭部の肉をこそぎ落としたり、肩にぶつかったりしていた。

「モーリスっ」

 老齢の同僚の一人が声をかける。だが、モーリスは無我夢中でクレイの頭に金づちを振り下ろし続けた。

「モーリスッ!」

 同僚が体を抑えるが、それでもモーリスは振り切ろうと暴れる。

「落ち着けモーリスっ」同僚がついにモーリスを自分の方に向かせ言い聞かせる。

「止めるんじゃない!」モーリスは血まみれの金づちを同僚の眼前に押しつけた。

「いい加減にしろっ」

「これが見えないのか?」モーリスは鎧の返り血を指し示した。「新調したばかりなんだぞ!? それが亜人の血で汚れたんだ!」

「モーリス……もう死んでる」

 モーリスが我に返ってクレイを見ると、確かにクレイはうつ伏せに倒れたまま動かなくなっていた。

「冷静になれ。報告書も上げなければならん」

「いつもどおりでいいだろう。“襲いかかってきたから致し方なく”と」

「最近はダニエルズ侯も亜人の権利の拡大に前向きになってる。それに、その息のかかったドラ息子もな。今日は目撃者も多い、今までどおりにはいかん」

 モーリスは忌々しげに舌打ちをして「その死体は川に流しとけ。ボロボロなのは魚が食ったことにしろ」と、言い残し酒場から出ていった。

 外に出るとモーリスは部下たちに拘束した亜人に念を押すよう命令した。今日見たことは他言無用、もし告発すれば命はないと。

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