Bonus track:Dead men tell tales,5‐1
ロランを斬ったクロウは、その日の内にヘルメス侯国からダニエルズ侯国に逃れた。
ダニエルズ領には知人もいなかったので、とりあえずクロウはタイソンと出会った安酒場へと足を運んだ。彼女はバーテンにとうもろこしの火酒とハチノスのトマト煮込みを注文すると、シガレットホルダーを取り出し煙草を吸い始めた。これまでの旅のことを思い出し、また同時に忘れようと、吐き出した煙が虚空に
火酒を持ってきたバーテンが言う。「お待たせしました。確か……貴女はヘルメスの方だとお伺いしてますが。遠路よりはるばる」
クロウは当たり障りのない微笑みで応えた。「光栄だね、覚えていてくれたのか」
「ええ……。」しかしバーテンの顔はすぐに悲しみに沈んだ。「しかし、世の中わからないものですね。あのタイソンがまさかあんな死に方をするなんて……。」
「……死んだ?」
「え? てっきり彼の葬儀に来られたのかと……。」
クロウがタイソン一家の居住区の最寄りの教会まで行くと、確かにそこでは葬儀が執り行われていた。放免だった彼が疎まれていたことと、また昔の悪い付き合いの仲間の出席をタイソンの妻が断ったせいで、参列者は多いとは言い難かった。それでも普段から夫婦と懇意にしている住民たちは彼女の夫の死を悲しみ、中には涙する者もいた。
すでに葬式は終わっていて、今はモーニングに身を包んだタイソンの妻が出席してくれた縁者に挨拶をしている最中だったが、クロウはそんな葬儀の列を遠巻きに眺めていた。この距離だと、特に盲の彼女の表情を知ることは難しかった。クロウは中に入るのを躊躇していた。縁に関していえば微妙な上、かつ彼女の夫が無事に帰ってくると根拠のない励ましをかけ、そしてそれが大外れしてしまったことで、何とも顔を合わせ辛かったのだ。
参列者を眺めていると、クロウは教会の中にタイソン夫婦の息子がいないことに気づいた。周囲を見渡すと、教会の近くを流れている川の川原にタイソンの息子のアルがいた。アルは川に石を投げ、水切りをして遊んでいるようだった。
「……久しぶり」と、クロウが声をかける。アルはクロウを振り返ったが、すぐにまた水切りを始めた。
「……うまいもんだな。どれ……。」
クロウはアルを真似て川に石を投げた。石は一度も水面で弾けることなく川底に沈んだ。
「……難しいね」とクロウが言う。
「……平べったい石じゃないとダメだよ」
「へぇそうなのかい?」
「横に……。」そう言って、アルは石を持って振りかぶった。「回転をつけるように投げるんだ」そして石を投げると、石は三回水面の上で弾けた。
「へぇ……。」
クロウは再び石を拾い、川に向かって石を投げた。石は六回水面の上で弾けた。
「……すごい」
「きっと、先生が良かったんだろうね」
「……おばさん、本当は最初からやり方知ってたでしょ?」
もちろん、田舎育ちのクロウが水切りを知らないわけがなかった。
「……教会の中にはいかないの?」と、アルは言った。
「どういう顔をしてお母さんに会えばいいか分からなくてね……。」
「見えないよ」
クロウは苦笑して言う。「いい皮肉だね、頭のいい子だ」
安易な褒め方だったせいか、アルは再び沈んだような顔になった。
「頭いいって、それ良い事なのかな……。」
「悪いよりずっといいさ。足が速いみたいなもんでね、損をするということはない」
「……でも。父さんは頭が良かったから殺されたんだよ」アルは石を拾った。そしてその石を投げようとするもうまくいかず、そのまま石を手の中で弄んだ。「お役人の手伝いを頑張りすぎたから殺されちゃったんだ。優秀すぎたんだってミラーさんが言ってた」
「……違うよ」クロウは言った。「お父さんが殺されたのは、お父さんを殺すようなクズがこの世にいたからさ。彼に非はないんだ。お父さんはお前さんの将来を案じていたよ。きっと最後までそうだったはずさ。お父さんが信じた未来を疑うことはない」
アルは川面に石を投げた。石は一回しか跳ねなかった。
「……おばさん」
「何だい?」
「……これ」と、アルは懐から手帳を取り出しクロウに差し出した。
「これは?」
「父さんが、自分に何かあったらミラーってお役人さんか、クロウさんにこれを渡せって」
「お父さんが、これを?」
クロウは手帳の中身を見た。そこには多くの名前が記されていた。ざっと流し読みすると、”クロウ・マツシタ”という彼女の本名があり、少し下には“ジュウニロウ・マツシタ”と“ジュウクロウ・マツシタ”があった。どうやら、転生者の子供の名前が連ねてあるリストのようだった。
手帳をめくると、最後の方にタイソンの走り書きがあった。
『なぜ記録が消されている? 役人に内通者? 消すべきか残すべきか “最初の子ら”に託す?』
意味はよくわからなかった。ただタイソンの中で、これに関して迷いがあることが伺える記述だった。
「……お父さんは、なぜ私にこれを渡すように言ったんだろう?」
アルは首を振った。
「もしかしたら……こうなることが分かってたのかもしれない」
「……そうか」
クロウは教会の方を見た。
「……私も挨拶をすべきかな。お前さんと話して決心がついたよ」
クロウは教会に入り、参列者の中にいるタイソンの妻の下へ行った。彼女は身なりのいい礼服に身を包んだミラーと会話している最中だった。
「ミセス・タイソン……この度は、何というか」
クロウは列に混じって挨拶をした。葬式だというのに喪服も着ないよそ者を他の参列者たちは奇異な目で見ていた。
タイソンの妻は顔を上げ、額で空間を探るように言う。「あら、貴女。来てくださったのね。わざわざ遠くからおこしになるなんて、あの人も喜ぶわ」
「……貴女にそう言っていただけるのなら、来た甲斐がありました。……花を?」そう言って、クロウは献花用の花をかかげた。
「ええ、お願いします」
クロウは棺まで行くと、花をタイソンの眠る棺の中にそっと置いた。タイソンは彼女が聞いた悲惨な死と関係なく、安らかに眠っているようだった。それが少し彼女を安心させた。
タイソンの妻のところへ戻ったクロウが言う。「以前は、いい加減なことを言って申し訳ありませんでした」
「“いい加減なこと”とは?」
「……その、彼が無事に仕事を終えて帰ってくるのだと……。」
「ええ、貴女の言うとおりでしたわ。主人は仕事をしっかり終えて帰ってきました。……そうでしょう?」
クロウはタイソンの妻の盲た瞳が、悲しみに負けないほどの誇りで輝いているを見た。
「……ええ、その通りだとも」
同意するクロウの後ろから、ええそうですともと、背後からミラーが声をかけてきた。
「……貴方は?」
「私はヴィクトル・カイネイア・ミラー。タイソン殿と一緒に仕事をさせていただいていた、ダニエルズの役人です」
わざわざミドルネームを口にし、ファミリーネームを綴りが間違えられないようイントネーションをはっきりさせて言うのは、貴族によくある振る舞いだった。
「そうですか……。」
「タイソン殿は私を賊から身をていして守ってくださったんです。立派な最期でした」
タイソンの妻は、それを聞いて小さく頷いた。
「……そうですか。ちなみに、その賊はどうなったのだろうか?」
「残念ながら多勢に無勢、そのまま逃げられました。口惜しいことです」
ミラーの口ぶりからは嘘は感じられなかった。しかし、クロウは複雑な感情の乱れも感じていた。
「あの……主人は、最期に何か言ってはいなかったでしょうか」と、タイソンの妻は伺うようにミラーに聞いた。盲目の彼女にとっては、半分しかまだ実感のないタイソンの死を、耳によって確実にするということはいささか勇気のいることだった。
「それが……。」と、申し訳なさそうにミラーが言う。
「そう……ですか」
「いえ、何も言っていなかったわけではないのですが……。
「異国の?」
「ええ、確か……。“ヨ・ソイ・トゥ・エネミゴ”という言葉を繰り返していました」
「え?」
と、タイソンの妻が聞き返す。しかし、それには彼女よりも後ろで聞いていたクロウが反応していた。クロウには、かつてタイソンと酒場でした会話の光景がフラッシュバックしていた。
――ヨ・ソイ……トゥ・エネミゴ
――違うよねぇちゃん危ねぇな。ヨ・ソイ・ノゥ・トゥ・エネミゴ。ノゥがねぇよ、それじゃあ“私はあんたらの敵だ”って言っちまってる
“ヨ・ソイ・トゥ・エネミゴ”
ノゥがない、つまりコイツはこう言ってるのか……。
“私はお前たちの敵だ”
クロウは感情の乱れを抑えて、ゆっくりと呼吸して目を閉じた。
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