姿なき墓標
私は左手で左の腰の刀を逆手で掴んだ。
ロランは右手で左の腰の剣を順手で掴んだ。
私の方が早い。
私は逆手で刀を抜き、真上に切り上げロランの心臓を下から上に切り裂きにかかった。
ロランは順手で剣を抜いて横に薙ぎ、私の首を左から右へ切り落としにかかった。
男のロランの方が速い。
私は刀身の真ん中に右拳を添え、てこの原理と体全体のバネを利用して肋骨の下から一気にロランの体を切り上げた。
ロランの剣が、私の首の皮一枚を切り裂いて停止した。
私は体を回転させて、背中越しにロランの胸部に刀を突き立てた。
筋肉の密集した臓器を貫いた感触が、刀身を通して手に伝わってきた。
止まっていた空気は一瞬で激しく動き、そして穏やかになった。
窓枠ではコマドリがさえずっていた。首を傾げて室内の私たちを眺め、やがて私たちが動かないことを知ると、再び小さくさえずって飛び去って行った。
刀越しに、私は刻一刻と消えていくロランの鼓動を感じ取っていた。
ロランの顔がうなだれ、そっと私の肩に彼の顎が乗った。移動祝祭日の夜、命をぶつけるように交わした熱い吐息は、今では死の冷たさに侵されつつあった。
私は口づけをするようにロランの唇に口を近づけ囁いた。
――ファントムは捉えられたかしら、ダーリン?
そしてロランから刀を引き抜き、刀を振って外套で血を拭い、掌の中で刀を回転させてから納刀した。
数多の悪党を斬ってきた手順と、一切変わりなく。
私は倒れているロランに言った。
「お前さんの理想のため……そのために振るう剣なら価値があるって言ったの……嘘じゃあなかったんだぜ……。」
ロランは何かから解放されたように、穏やかな顔をしていた。
死んでいるとは思えなかった。まるで、長い旅を終えて自宅のベッドで安心して眠っているような顔だった。
「……馬鹿だよ。お前さん」
私がロランの亡骸を眺めていると。部屋のドアが開いた。
「よぉクロウ。呼んでも返事がねぇから入った……。」入ってきたのは、昨日ロランと行動を共にしていたディアゴスティーノだった。「オメェ、斬りやがったのかよっ」
「ああ、仕方ないだろう。コイツは斬られに来たんだからね」
ディアゴスティーノはマジかよ、と帽子越しに頭を掻いていた。
「……私を役人に突き出すかい?」
「身内に領主殺しなんて出せるかよ。とりあえずお前はここをしばらく出てけ。今度は本当にな。で、こっちは何とか処理する」
「ありがとう。嬉しくて涙が出るよ」
「処理できねぇって分かったらすぐにオメェに全部被ってもらうぞ、もちろん」
「ありがとう。嬉しくて涙が出るよ」
ディアゴスティーノは大きくため息をついて遺体を調べ始めた。
「よぉ、クロウ。火の粉払ったってんなら仕方ねぇが、こいつはこいつで良い領主になってたと思うがな。種族の対立も階級の格差も、こいつなら本当になくせたかもしれないんだぜ?」
「どうだかね。ただ、彼は種族も階級も天秤にはかけなかったけど、命を天秤にはかけ始めてたんだ。いずれは父親と同じことをやってたさ」
ディアゴスティーノはそうかよ、と言って手で鼻を押さえた。生粋のフェルプールだけに、血の臭いが堪えるようだった。
「そいういえばお前さん、その口ぶりからすると今回の件、全部知ってたんだな?」
私はディアゴスティーノに歩み寄った。
危険を察したディアゴスティーノが両手を振りながら釈明する。「いやぁ、全部ってわけじゃあねぇぜ? あくまで今回の計画には途中からかんだだけだし、全容だって聞かされてねぇんだ」ディアゴスティーノは待ったをかけながら後退りをした。「ちょ、ちょっと待てよ、クロウっ。俺だってオメェが大事に至らねぇように、あれこれ手を回してたんだぜ……ぐぶぅっ!」
取りあえず、左拳をディアゴスティーノの
「まぁ、オメェにはこの権利があるわな」
「……まったく、どうしてここまでして大事に関わろうとするんだ? 墓にまで財産は持っていけないんだぞ。ただでさえ寿命が短いってのに」
ディアゴスティーノは唾を吐くと、もう一度口を強く拭って言った。「金が要る」
「それは知ってるよ。その目的だ」
「役人が要る。医者が要る。それらすべてを揃えるにゃあ、学校と病院が要る。そしてそれを作るには金しかねぇのよ」
「……なるほどね」
「俺たちはゴブリンとは違う。戦後どんだけ世界が変わろうと、食らいついていかなきゃあなんねぇのさ」
「お前さんのそういうところには頭が下がるよ。しかし私には関係ないことだ」
私は部屋を去ろうと扉に手をかけた。
私の背中にディアゴスティーノが言う。「よぉクロウ、これは変えられねぇ流れなんだぜ。どれだけ気に入らなかろうが、俺たちはもうここで生きていくしかねぇんだ。……例え間違っていようとな。それなのによぉ、そんな片意地張ってどうしようってんだ」
「そんな大げさなもんじゃないさ」私は振り向いた。「そうじゃない別の人生を生きたいだけだよ。風にまかせてね」
「勝手にしろい」
私はそうして部屋を出ていった。
外に出ると背後から一斉に夏風が走り去っていった。それは私の目の前に広がる緑の濃淡で彩られた山々を森林を、木々の間を走り、そのままこの世界の隅々までも走っていきそうな透明な風だった。
私は懐から羽を取り出し空にかざした。あの日以来、色褪せることなく、真珠のような光沢を帯びている、彼女の願いの欠片だ。
羽は少し、風になびいた。きっとすぐにでも大空へと羽ばたきたいのだろう。
「次はどこに行こうか、エレナ」
こうして私はヘルメスを去った。それからしばらくして、風の噂でヘルメス侯国が解体され、周辺諸国によって分割で統治されるようになったと聞いた。強力な権力を無くした旧ヘルメス侯国では種族・階級の間で争いが起き、絶え間無く血が流れたという。
人は土の上で生き土の上で汗を流し、やがて土の上で血を流して倒れ土の中で眠りにつく。流れた血は土と結びつき土地となり、そして人々の
いずれにせよ私には関係のないことだ。私の墓標は、あそこにはないのだから。
第1部 姿なき墓標 完
隠しタイトル:美少女エルフに異世界転生した俺が女剣士に斬り殺された件について
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