さらば愛しき人
「ああ、そうさ。でも勘違いしないでよ。ぼくは君のお父さんじゃないからね。彼とは面識だってないし」
私は何も言わなかった。シガレットホルダーを叩いて灰を落とし、その灰を足でこすって床板の節目の穴に落とした。
「説明が本当に難しいんだけどね」ロランは続けた。「前回ぼくは普通の貴族の令嬢として転生したんだけど、ただひたむきな努力だけじゃあ周囲の考えは変わらなかったし、ぼくも女の体に慣れる事が出来なかったんだ。でも、周りの人たちは上手いことやっててね。父は相変わらず偽札作りでヘルメスを繁栄させるけど貧富の差は拡大するばかり、ロルフは貴族の令嬢と政略結婚してヘルメス家を継いで、なのにしっかり妾を囲ってて、タバサは何事もないように商人の家に嫁入りしたよ。二人ともあんなことをやってたのを過去に変えてね。何も変わらない世界でただみんな流されて生きていた。けど、ぼくだけがその流れに乗れなかった……。だから面白くないからとっととその人生を終わらせたんだ。それで、今回は彼らに好き勝手させないよう色々やってみたんだよ。タバサにはぼくの気持ちを子供の頃から伝えて、お互いの気持ちが通い合うように攻略したりね」
突飛な話で、内容だけではにわかには信じがたい。だが、何より私は信じるに値することを体験している。
「……事態は、良くなったとは言い難いがね」
ロランが力ない笑顔で応えた。「今回も、完全な成功とはいえないね。……でも次は違うよっ」
「……“次”だって?」
「そうさ。次はタバサにはこだわらない。彼女はぼくとの愛には耐えられなかったんだ。タバサでつまづくのなら、もう目標を変えた方がいいかなって。もっと素敵な人を見つけたからね。禁じられた愛だって受け入れてくれる素晴らしい人を」
「……よかったら、そのお前さんのいい人というのを聞かせてくれないかな」
「やだなぁ、照れてるのかい?」
頬を赤らめるロランに対して、私は至って真顔だった。
微笑んでロランは言う。「……ぼくの愛している人はクロウ、君だよ」
本当に、憎悪を禁じ得ないくらいに愛おしい笑顔をする男だ。体が変わったというのに、そこは変わることがない。一日中見ていたって飽きることはないだろう。
「ぼくらは最高のカップルになれるんだよ。……なのに、君はちっともぼくに対して微笑んでくれすらしないじゃないか。どうしてだい?」
「言っただろ、お前さんにもう興味がないんだよ」
「……ぼくたちの間には愛があったはずだ」
「ずいぶん昔のことさ。忘れたよ」
「でも、君はぼくを探してくれていたじゃないか。そのために危険も
「別れの口づけが軽すぎたのさ。お前さんにきちんと別れを告げてなかった。自分自身の決着をつけたかっただけなんだ。そしてようやく分かったよ。私の愛した男はもういないってことがね」
「ねぇクロウ、君は分かってないよ。転生者のぼくが君を選んだんだよ? ぼくはその気なれば世界だって動かすことができるんだ。君に誰もがうらやむような美しい城だってプレゼントできるし、世界中の富を君の下に集めることだって出来るんだ」
「城ひとつ国ひとつで傾くと思ったかい? あいにく、そんな安い女じゃないんだよ」
ロランはあの手この手で私をその気にさせようとするが、そうしようとすればするほど彼からは魅力が失われていった。まるで、ボロボロと外面が剥がれ落ちる張りぼての石膏人形のようだった。
「それに、それにぼくとだったら子供を作ることだって出来るんだよ? 転生者だからね。ソニアさんが言ってたろ?」
「……いつ私が子供を欲しいと言った?」
ロランが大きなため息をついた。「もう、いいよ」
「分かってくれたのね、ダーリン」
「今回の君は、いい」
「……どういう意味だ?」
ロランは勝ち誇るような笑いを浮かべた。笑顔なのに、そうすることで辛うじて自分を支えているような危ういものだった。そんなに厳しいことを言った覚えはないのだが。
「言ったろ“次は”って。次回の君とは上手くやるよ。今回は君に関しては完全に失敗だったみたいだからね。タバサにやったみたいに、子供の頃から出会いなおすんだ。そうすれば、ぼくたちは前世から約束された関係になれる」
「……次は私の過去まで書き換えるつもりか」
「君の悪いようにはしないよ。君のことを色々調べたんだ。昔、娼婦をやってたんだって? でも大丈夫。ぼくとさえいれば、そんな過去をやり直すことだって出来るんだから」
「……違うね」
「え?」
「それは、私じゃない」
「……何を、言ってるんだい?」
「そいつは私と同じ顔をした同じ名前の、私と同じ両親を持ち、そして同じ血が流れる、赤の他人だ」
ロランから笑顔が無くなった。
「最後に一緒に過ごした夜を覚えてるか? 教会に孤児を運んだ後、お前さん話してたろう? あの子たちが両親の愛に包まれながら暖かい寝床で安らかに眠ってるより良い可能性の世界のことを。私はそれに何と言った? こう言ったはずだ、あまり甲斐のない話だと。だってそうだろ、仮にお前さんの言うような別の世界とやらで、私とお前さんと
ロランの顔からは一気に血の気が引いていた。
「ロラン、やり直しなんてないんだよ。時間は戻せても、魂までは戻せないんだ。私はあの過去があったから私なんだ。もしやり直しなんてものが本当にあるとしたら、お前さんは傷ついたあの娘の
「君は……とことんぼくを悪者にするつもりなのかい」
「……どうして私に話した過去が最初のやつだったんだ?」
ロランの顔には真顔が張り付いていた。そして、この冷たい真顔はあまり油断すべきではない類のやつだ。
私は立ち上がってロラン、というよりドアに向かった。
「まったく、私にはもうついていけないね。さあ、そこを通してくれ。私はここを出ていく。その見ず知らずのクロウとやらによろしくな」
だが、ロランはそこをどいてはくれなかった。
「ロラン……。」
「ダメだ……。」ロランは剣に手をかけた。「君を、行かせるわけにはいかない」
「……わお」私は後ずさった。
ロランが微かに笑った。自覚された邪悪さが顔から滲んだような笑顔だった。
「ずっと……おかしいと思ってたんだ。大好きな人のはずなのに、君の事を考えるといつも暖かさと同時にいいしれない痛みを感じてた。本当は、ゴブリンだってけしかける必要はなかったのかもしれない。なのにぼくは、敢えて君を危険にさらすことを選んでた。……その理由が今分かったよ」
ロランの構えがより深くなった。
「君のせいだ」ロランの体が暗く冷たい炎に包まれていた。「君さえいなければ、ぼくは自分が英雄だという事に疑問を抱かずに済んだんだ。あの夜から、ぼくは自分の罪を知ったんだ。タバサの事もロルフの事も、罪悪感を感じることはなかったのに。それに、ウォレスだって……。君が、君だけがぼくに罪を教え、ぼくの罪を知ってる。……このまま行かせない」
「いいじゃないかロラン。さっきのスカした愛の告白より、ずっと真に迫ってるよ。しかしね、男の体になったからって私に勝てると踏むのは、随分と思い上がりが過ぎるんじゃないか?」
「別に、死んでしまったらしまったらで、またやり直せばいいだけだよ。その時は、君と真っ先に出会って君を攻略するさ。ぼくにとってそれが君であることには変わらないんだからね。それに、君の剣術、居合切りっていうんだろ? ぼくの世界にもあったよ。一見は速く見えるんだけどね、結局は不意打ちやフェイントの類さ。既に見てるぼくには通用しない」ロランが嘲るように笑った。磨かれた暗器の様に、狡猾かつ陰湿に輝く笑いだった。「君はファントムなんかじゃない、単なるトリッカーだ」
「……男になって随分と口が回るようになったな」
「別に、君だって油断できないよって事を言いたかっただけさ。男の体の方が、速さも強さも上なんだからね」
「おめでたいね」
お互いに無駄口を叩いていたが、二人とも共に間合いの中、すでに機先を制するための、構えのための構えに入っていた。
「しかし……相変わらずだねぇ」と、私は苦笑して言った。
「……何がだい?」
「やっぱりお前さん、物忘れが激しいんじゃないか?」
「ハッタリは通用しないよ」
「前に言っただろうこの刀、父の形見なんだと」
「……それで?」
「父が自分の世界から持ってきたんだよ」
私の耳は、ロランの心音が変わったのをとらえた。
「“転生者殺し”だぞ、これ」
ロランの心音が乱れた。乱れた心音は体の働きをも乱す。
機だ。
私たちは、同時に動いた。
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